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2024年05月20日 第7249号

【主な記事】

野間健衆議院議員 郵政事業の健全な発展を
 
三事業の一体性を維持
日本郵政 金融2社の一定株式保持


 立憲民主党の野間健衆議院議員は、民主党政権で郵政民営化担当大臣を務めた故松下忠洋氏の志を継ぎ、郵政事業の健全な発展を自らの使命として取り組んできた。民営化後の郵政事業と、自民党の「郵便局の新たな利活用を推進する議員連盟」(郵活連)が中心になって準備を進める民営化法改正について野間議員に聞いた。(坪内隆彦)
 ■野間議員が薫陶を受けた松下忠洋衆議院議員は、民主党政権時代の2012年6月に郵政民営化担当大臣に就き、郵政改革を目指して活動していましたが、志半ばで亡くなられました。
 松下先生は、大臣就任会見で「郵政民営化が実現し、一定の時間が経過したが、郵政の足腰が脆弱になり、離島や過疎地などの人口減少地域におけるユニバーサルサービスが徹底しなくなった。郵政事業を再生させ、真に国民のためのものにするための郵政民営化を円滑に進めることが大事だ」と述べました。
 しかも大臣就任直後には、郵政民営化の見直しを「一丁目一番地」と位置付ける国民新党が「国民の郵政事業への再起動」と題する提言書を、松下先生に提出しています。提言書は、①前島密が求める郵便局長像、②国民の郵政事業の真の姿、③郵政事業を建て直すため早急に取り組むべき事項─の三本が柱となっていました。松下先生は、この提言書に全力で取り組んでいましたが、わずか3か月後の9月10日、忽然とこの世を去られてしまったのです。
 松下先生は鹿児島県薩摩川内市の出身で、建設官僚を経て1993年の衆議院議員選挙で初当選を果たしました。2005年の郵政民営化法に反対したため、同年9月の総選挙では自民党の公認を得られず落選。その後、国民新党に入党し、09年の衆院選で返り咲きました。それ以来、私は松下先生の秘書としてその教えを受けてまいりました。
 松下先生は郵政事業の維持発展に政治生命をかけていました。その後継者として、国民新党から出馬して政治の道を歩みはじめた私は、郵政事業の健全な発展こそが自分の使命だと思って活動してきました。
 松下先生が返り咲いた09年の総選挙では民主党が大勝し、民主党・国民新党・社会民主党による三党連立政権が誕生しました。同年12月に「郵政株式売却凍結法」が施行され、10年には郵政改革関連法案が提出されましたが、参議院で自民党が過半数を占める「ねじれ国会」のため、審議が進みませんでした。しかし、12年の民営化法改正によって一定の歯止めがかけられたことは郵政事業の存続にとって大きな意義がありました。
 それはこの改正によって、日本郵政・日本郵便に対し、郵便だけでなく貯金・保険のユニバーサルサービスも義務づけられることになったからです。また、民営化法は日本郵政が保有する金融2社の株式を2017年9月までにすべて売却するよう定めていましたが、改正により、株式売却が努力目標に変わりました。
 ■高齢化、過疎化が進む中で地域における郵便局の役割は高まっています。
 JAだけではなく、信用金庫や信用組合の統廃合が進み、郵便局がなければ年金も受け取れないような地域が増えています。ところが、地域における郵便局の機能はかつてより低下していると思います。確かに、日本郵便は過疎化や高齢化の進展に対応して、みまもりサービスの強化などに取り組んではいますが、民営化前のような三事業一体で高齢者を親身になって支援するようなサービスは難しくなっています。
 かつては郵便を配達した際に、高齢者から通帳を預かり、現金を届けるといったことが当たり前のようにできました。ところが、分社化によって垣根ができてしまったことや個人情報保護などにより、高齢者を助ける機能、地域の潤滑油的な機能が損なわれてしまったと思います。三事業の一体性を維持するためには、日本郵政が金融2社の株式を一定程度持ち続ける必要があると思います。
 郵便局長さんの意識も変化しています。民営化前には公的な存在としての意識を強く持ち、地域でお祭りなどの行事があれば、必ず郵便局長さんは校長先生や警察署長さんなどとともに出席していました。地域によって状況は異なりますが、郵便局長と地域とのつながりが徐々に弱まっているように感じています。(2面につづく)


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