コラム「春秋一話」
2026年4月27日 第7350号
「みんなの郵便局」に思う
2021年度から、日本郵便が「みんなの郵便局」を全国各地で始めた。これは子どもたちに郵便局に親しんでもらう目的で、大きな体育館などの会場に模擬郵便局を作り、子どもが郵便局員になって窓口業務や内務業務、配達業務を経験してもらうものだ。
子どもたちは郵便局の制服、制帽を身に着け、本物の社員の指示を受けながら郵便局の仕事を体験する。そして体験ごとに台紙にスタンプを押してもらい、最後にスタンプを給料として記念品と交換する。
この取り組みは、子どもたちが遊びながら仕事体験ができ、郵便局側も地域の人たちに郵便局に親しんでもらえる機会として大きな意味を持っている。保護者も自分の子が一生懸命に郵便物を区分したり配達したりする姿を見て成長を確認できる。
つまり主催者と子ども、保護者いずれにも意義ある施策になっており、開催するたびに大いに盛り上がる。実際に毎回、募集開始とともに多数の応募者が殺到し、ほぼ即日で締め切りになってしまうらしい。2026年3月現在、すでに37回に及んでおり、北海道から沖縄までまんべんなく開催されている。参加者は累計で2万5000人を超えているそうだ。
この取り組みは、次世代を担う子どもたちに、郵便局の存在をしっかりと認識してもらう絶好の機会になっていると思われる。他の銀行などではあまりこうした取り組みは見られない。大人相手のビジネスオンリーの金融機関がほとんどであろう。
「みんなの郵便局」のような施策は地域に密着した郵便局ならではの取り組みであり、手紙文化を継承する大きな手段ともいえる。
デジタル化が急速に進展している現状では、いずれ手書きの手紙がますます衰退し、貯金や保険もますます他者との競合が激しくなるかもしれない。彼らの保護者世代にしても多くが平成時代の生まれで、保護者自身が手紙を書いた経験が希薄になっている。
親から子どもに伝えることが困難になっているのなら、郵便局が手紙文化を継承するしかないが、繰り返しこうした活動をすることで、「郵便局」の存在やその字づらから来るイメージが、子ども世代に定着するのではないだろうか。
一方、音楽業界に目を転じると、アナログレコードが復活の兆しを見せているそうだ。音楽を聴くには昔はレコードしかなかったが、それがやがてカセットテープになり、後にCDになった。しかし、それも今ではサブスクにシェアを奪われてしまい、物理的な音源は消滅しかかっている。
ところが日本レコード協会によると、最近になってアナログの良さが見直され、急激にレコード盤が売れ始めているらしい。売上高は10年前の25倍になっているという。これはデジタルしか知らない世代がアナログの良さに気づき、めぐりめぐって逆にアナログが新商品になった現象ともいえるのではないか。
この現象は郵便にも当てはまるように期待したい。メールやLINEしか知らない世代が、時代がめぐって手紙を書いて送る面白さに気づけば、「郵便」は新商品になる。それがSNSを介して全国的に広まることで、郵便の復活も十分あり得るのではないだろうか。そうなれば地域に根差した活動をしてきた郵便局の存在が今一度見直されるはずである。
「みんなの郵便局」はこうした将来を見越した活動でもあり、その地盤固めでもあると言えよう。保護者世代も含め、今の若者・子ども世代に郵便局をアピールすることで、いずれ郵便の利用減少に歯止めがかかり、逆に増加に転じる時が来るかもしれない。
「みんなの郵便局」に応募者が殺到する現状をみても、その可能性を感じることができる。地元に密着した、こうした地道な活動を根気強く続けていくことが、郵便局にとっても重要なことのように思う。(有希聡佳)
2026年4月20日 第7349号
幼保小、中、高とつながる郵便教育を
人は成長していく中で多くの人と出会い、いろいろなものを見聞きして、様々な経験を積み、見方や考え方も変わっていく。その時には印象に残らなかった、気にならなかったことやものでも、長い時間を経て再び紐解いてみると、「あれはそういうことだったのか」と気付かされることがある。
自分は幼いころから音楽を聴くことや歌うこと、楽器を演奏することが好きだ。テレビの歌番組もよく観ていたほか、ラジオの音楽番組もよく聴いていた。次々といろいろな楽曲が世に出てくる中で、ヒットした楽曲はほとんど口ずさめるくらいだった。
中学、高校と成長していくにつれ、昔の楽曲や、外国の楽曲も少しずつ聴くようになっていった。毎年、大晦日には日本レコード大賞とNHK紅白歌合戦を欠かさず観ていた。
1989(平成元)年の大晦日に、第31回日本レコード大賞を観ていた時のこと。いろいろな歌手やアーティストが登場し、楽曲が演奏される中、「アルバムニューアーティスト賞」を受賞したBO GUMBOS(ボ・ガンボス)というロックバンドが登場し、「魚ごっこ」という楽曲を披露した。
初めて見るアーティストだったので、どんな楽曲なんだろうと思って聴いていたが、正直、自分の中にサウンドも歌も入ってこない。自分にとってはそれまで全く聴いたことがない類の音楽だった。決して嫌いということではないが、自分には合わないのかな、と思った。
その後、テレビでBO GUNBOSを観たことはなく、学校で友達と音楽の話題になっても名前が出ることもなかったことなどもあり、特に気にはしていなかった。
それからかれこれ35年以上の月日が流れ、最近ふとインターネットでBO GUMBOSの名前を見かけた。気になったので、動画を検索して「魚ごっこ」を聴いてみた。そこで初めて、この楽曲がどういうものなのかが分かった気がした。
ニューオーリンズ風のピアノプレイが印象的で、ジャズとロックが融合したような楽曲だと思った。同時に、初めて聴いた時点では、自分は音楽が好きだとはいえ、数多くある音楽の中の一部しか知らなかったんだな、だから理解ができなかったんだろうなと思った。
なお、BO GUNBOSのボーカルとギター担当のどんとさんは2000年に37歳で亡くなられている。存命だったら、目まぐるしく変化する音楽シーンの中で、どんなポジションで、どんな楽曲を世に送り出していたのだろうかと思う。
さて、昔は歌詞の中に手紙やそれにまつわる言葉が出てくる楽曲が結構あったが、この先それすらも無くなっていってしまうのだろうか。ふとそんなことを考えたりしている。
ある郵便局長は長きにわたり、子どもたちに手紙の良さ、温かさを伝えるイベントを実施し続けている。単に手紙文化振興のためだけではなく、子どもたちを「将来の(郵便局の)お客さま」と捉えているという。
小学生時にイベント等で手紙のやり取りを体験しても、それ以降経験しないと、手紙に触れる機会も無くなり、いざ手紙を受け取っても特に何も感じなくなってしまうおそれもある。
まずは小学生の段階で、手紙の存在、魅力、価値をしっかりと認識してもらい、中学、高校でも手紙を書く場面が継続してあると良いと思う。
幼児教育における「お手紙ごっこ遊び」から始まり、初等教育、中等教育、高等教育、それぞれにおいて郵便教育を行っていくとともに、いろいろな付加価値等も加えながら、それぞれが線としてしっかりと繋がっていくような取り組みが広がっていくことを期待したい。(九夏三伏)
2026年4月13日 第7348号
地域住民の生活を守るための郵政民営化法改正
自民党は、今特別国会での郵政民営化法改正案の成立を目指している。
改正案は、郵便局に公的地位を付与するため、公共サービスなどの「基盤的サービス提供業務」を本来業務に追加するとしている。また、郵便事業の安定的な業務遂行を確保するため、日本郵便に対する交付金を拡充する。
さらに、日本郵政が保有するゆうちょ銀行とかんぽ生命保険の株式の処分について、現行法の「できる限り早期に」との文言を削除し、当分の間、ゆうちょ銀行とかんぽ生命の3分の1を超える株式の保有を義務付ける。
改正案について、一部メディアは「民営化に逆行」と主張しているが、改正の主眼は郵便局ネットワークを維持し、地域住民の生活を守ることにある。
鹿児島大学准教授の吉田健一氏は、現在の大手新聞には、経済界・金融業界の視点や、大都市で恵まれた生活を送っている人の視点しかなく、過疎化に悩む地域の視点が欠落していると指摘している(本紙2025年6月2日号)。
直視すべきは、疲弊した地域の現実ではなかろうか。郵政民営化法は小泉政権時代の2005年10月に成立したが、当時の想定を上回るペースで少子高齢化が進み、地域の衰退は極まった。
総務省が「過疎地域」に指定する自治体は885市町村に上り、全国1718市町村の半数を超えている。
1960年に24.3%だった過疎地域の人口割合は、9.3%(2020年)まで低下している。離島の人口減少は特に深刻だ。1955年には、離島振興法の対象となる離島人口は98万人だったが、34万人に減っている。
全国の支所・出張所数は5214(2021年)まで減少し、空き家数は900万を超えた。学校の廃校も進んでおり、2004年から2023年までに、小学校5799校、中学校1835校、高校1216校、合計8850校が廃校になった。
地域住民の生活を支えてきた公共交通機関の廃止も進んでいる。2008年度から2023年度にかけて、路線バスは約2万3193㌔、鉄軌道は約632㌔が廃止された。1994年度末に6万軒以上あったガソリンスタンドは半分以下に減少した。
地域衰退の主要な原因は、少子高齢化、東京一極集中、農業などの一次産業の衰退だが、市場原理と効率性を最優先する新自由主義的な経済政策がそれに拍車をかけたのではないか。
小泉政権が「民にできることは民に」を謳い文句に進めたのが郵政民営化であり、「地方にできることは地方に」を謳い文句に進めたのが「三位一体改革」だ。その結果、2004年から3年間で、国庫補助負担金は4.7兆円、地方交付税は5.1兆円が削減された。
立命館大学教授の景井充氏は、地域を切り捨てる新自由主義的な政策は、「棄民」政策だと主張している。
地域の疲弊は第一次産業の衰退に直結し、食料安全保障上のリスクを高める。また、国土管理・防災力の低下を招き、地域共同体の弱体化をもたらす。しかも、離島が衰退し、無人島化すれば、安全保障上の深刻なリスクともなる。
こうした中で、地域住民の生活を守り抜くという強い思いを抱き、献身的な活動を続けているのが郵便局長にほかならない。
九州地方郵便局長会の宮下民也会長は「離島の郵便局は離島で暮らし、働いている方の生活基盤を支える最後の砦」だと強調している。四国地方郵便局長会の真鍋俊明会長は、過疎化が進む地域の高齢者の生活を支えるため、郵便局として踏み込んだお世話をしたいと語る。
いまこそ政治が、地域の声に耳を傾ける時である。もともと自民党には、日本列島改造論を掲げ、国土の均衡ある発展を目指した田中角栄に象徴されるように地域重視の伝統がある。
自民党は法案提出に向けて各党との調整を進めている。地域が衰退する中で、「地域の最後の砦」として郵便局が住民の生活を守っている現実を、改めてすべての議員が理解することが求められている。(酒呑童子)
2026年3月30日 第7346・7347合併号
スティーブ・ジョブズの功績~iPhoneの成功
今や普段の生活にスマホは欠かせない存在になっている。何をするにもスマホがないと進まず、逆に言うとすべてがスマホ頼りの世の中である。外出中にバッテリーが無くなりそうになるとヒヤヒヤするほどだ。「レジ前で充電切れで無一文」との川柳もあった。
ところがスマホが登場した当時は、いわゆるガラケーに電話機能はもちろん、メール機能、インターネット機能も存在し、ほとんど誰も不自由を感じなかった。テレビ局が行ったアンケートでも、ガラケーで十分だという回答が大多数だった。
しかし、その時代から約20年経過した現在ではどうだろうか。圧倒的多数がガラケーよりもスマホを使用しており、前述した機能の他にもモバイル定期になり、買い物をすればポイントがたまり、何か申し込もうとすると二次元コードを案内され、そこから手続きすることになる。
つまり、スマホがないと生活自体が成り立たない状況になったとも言える。これだけ革新的な機器を普及させた人間の功績はすごいと思うが、それがスティーブ・ジョブズだった。
彼は元々怠惰な学生で、大学にもろくに行かず放校処分になるような者だったが、発想力と創造力がずば抜けて高かった。誰も思いつかないような発想力に恵まれ、しかもそれを実現する行動力も備わっていた。
iPhoneに先立って発売されたiPodもしかりである。それまでの携帯音楽再生機は、再生ボタン、早送り・巻き戻しボタン、停止ボタンなどが独立しており、それぞれを押して操作していた。
ところがiPodは液晶画面にメニューを表示させ、それをクリックホイールと呼ばれる丸い操作パネルで選択し、中央の決定ボタンを押す仕様になった。つまりボタンは一つだけになった。これはあまりにも画期的すぎて、最初は多くの人に理解されなかった。
筆者も初めてiPodを見た時はボタンが一つしかないため、一つの機械で1曲しか聞けないのかと思ったほどである。しかしメモリー次第で数千曲から数万曲をダウンロードできると聞き、驚いた記憶がある。そのiPodに電話機能を持たせたのがiPhoneであり、現代的なスマホの始まりであるが、これが世界を変えるだけの画期的なツールになった。
成功した理由の一つに、彼の緻密な消費者行動の分析がある。彼は本体の機能だけではなく、徹底的に製品の使い勝手を追及し、どうすれば購買意欲を高められるかを研究した。
あげくにはiPhoneの箱を開ける時にかかる時間にまでこだわった。購入後に、あまりすんなりと箱を開けて本体が出てくるようではありがたみがない。かといってフタがきつ過ぎてなかなか開かないとイライラする。
様々な実験をした結果、箱を開ける時間は7秒が最適という結論になった。その7秒間で購入者はワクワクを感じ、iPhoneを手に入れた感動を手にする。商品と「はじめまして」と手にするまでの時間をジョブズは非常に重要視した。そして、箱のフタを上に持ち上げた時に、なめらかな感触を手に感じながら7秒で外れる箱を開発した。こういう発想をする起業家はおそらく他にはいない。
もう一つの偉大な着眼点は「フォント」(書体)である。それまでのデジタル機器でもフォントはあるにはあったが、きわめて種類が限られていた。それも英字に使える書体はゴシック体と明朝体くらいしかなく、文字に面白さがない。
そこでジョブズはフォントを研究し、多数の新たな書体を開発した。そして利用者が好きな書体を選べるようにし、iPhoneを使うこと自体に楽しさを持たせた。文字の形に面白さを追求するなど、普通は考えつかないだろう。
こうしてiPhone本体の便利機能や所有すること自体のワクワク感や使う時の楽しさを追及し、数あるスマホメーカーの中でもiPhoneだけで相当なシェアを占めるに至った。
世界を変えるだけの事業を成功させるには、どんな分野でも大変な試行錯誤が必要だが、それとは別に、普通なら思いもつかない発想をし、徹底的に消費者行動を研究する努力が必須なのだろう。そしてiPhoneの成功がそれを証明しているように思う。
残念なのは商品開発に厳格にこだわったジョブズは、自分の身体にも厳格になりすぎ、ガンになっても手術などの西洋医学を受け入れず、菜食主義や針治療にこだわり、わずか50代の若さで亡くなってしまったことだ。彼が亡くなって15年、スマホがこれだけ生活必需品になった現在、新しい機器を手にした時に感動を覚える人は、今どれだけいるのだろうか。(有希聡佳)
2026年3月23日 第7345号
惑星から外された冥王星
3月3日の夜、皆既月食が観測された。残念ながら低気圧が本州の南を東進し、広範囲で曇りや雨の降る天気になったため、天体ショーを楽しめた地域は少なかったかもしれない。皆既月食は、太陽と地球、月が一直線に並ぶ満月の時に起きる現象。満月が地球の影を通過するとき、光が失われて赤銅色と呼ばれる赤みを帯びる。
奇しくも雛祭りの夜だったが、次に国内で見られるのは約3年後の2029年1月1日だという。こちらは元旦になる。新しい年の始まりに雄大な天体の動きに思いを馳せるのも粋な計らいのように感じる。
言うまでもなく、私たちが住む地球は太陽の周りを回っているが、他にもいくつかの惑星が同じように周回している。これらをまとめて太陽系と呼び、太陽から近い順に「水金地火木土天海」と覚えた方も多いと思う。ただ30年ほど前までは一番最後にもう一つ「冥」という呼び名がついていた。これは冥王星のことであり、太陽系の一番外側の惑星として有名だった。
しかし、天文観測の技術が高度化するにつれて、一番外側にあった冥王星の状況が徐々に明るみになり、太陽系ではあるが惑星ではないことにされてしまった。なぜなら冥王星よりももっと太陽から遠い所にも同程度の大きさの「エリス」という星があり、それが太陽の周りを周回していることが分かったからである。
それならエリスも太陽系の惑星として組み入れればよさそうなものだが、それまでは惑星の定義が曖昧だったため、これを機に明確な定義が決められた。その条件の一つに「軌道上の天体を排除していること」という項目が付け加えられ、冥王星もエリスもそれには該当しないため、エリスを入れるというよりも冥王星を外すことになった。
この「軌道上の天体を排除していること」とは、その惑星が自分の重力で他の惑星を自分に引き寄せていたり、他の惑星の軌道に影響を与えているかどうかという意味だが、残念ながら冥王星はこの条件にあてはまらなかったのである。そこで天文ファンの希望もむなしく、泣く泣く冥王星は惑星ではなく、「準惑星」に格下げされてしまった。
冥王星は地球から最も近い所にいる時でも約43億㌔、最も遠いと約75億㌔も遠い場所にある。75億㌔というと、時速250㌔の新幹線でも到着まで約3425年かかる。時速750㌔の飛行機でも約1142年かかる距離である。つまり、新幹線だと紀元前1400年の縄文時代、飛行機だと平安時代に乗って地球を出発し、やっと今ごろ到着する距離である。
そんなに遠い所にある星など惑星でも準惑星でも構わないではないかとの向きもあると思うが、一度付いていた肩書きがなくなることや、これまでのグループから外されることの寂しさなどが擬人化されて、日本人の心に刺さる面もあるのだろう。
冥王星も太陽系惑星から外されたことで一抹の寂しさを感じているかもしれない。もしかしたら冥王星のひとつ手前にある海王星も、これからの新たな発見で格下げの憂き目に遭うかもしれず、そうならないかとビクビクしているかもしれない。
少し天文に興味がある人なら、望遠鏡で澄んだ夜空を観測してみると、金星や火星、土星のリングなどを見ることができる。最も身近な存在は月だろうが、それにしたって地球から約38万㌔も彼方の星である。先の例でいうなら、飛行機で約21日かかる距離だ。
現実的に誰もが行ける地球外惑星は今のところ存在しない。しかし、たとえ見るだけでも、それらの星々に地球と同じような生物が存在しているのだろうかと想像を巡らせるのも楽しい。一層その星に親しみがわくのではないだろうか。何かと地球では心痛める出来事の多い昨今、夜空を見上げ、勇壮な宇宙の営みに想いを寄せれば、愚かな諍いの無意味さにも心が向くことにならないだろうか。(有希聡佳)
2026年3月16日 第7344号
年賀はがきと正月の風物詩
今年も早や3月になったが、今回の年末年始は日本郵便にとっても特別だったに違いない。昨年発生した点呼業務不備事案に対する行政処分により、2500台もの輸送用トラックが向こう5年間使用禁止になった。また軽四輪車も一部使用禁止となり、その対応に追われた中で迎えた繁忙期だった。
それでも同業他社への協力依頼や、点呼業務実施の徹底を前提とした自社車両の活用で、大きな混乱もなく、この時期を問題なく乗り切った。そこは企業努力が成果を上げた証拠だと思う。
一方で気になるのが取り扱い物数だ。ゆうパックはほぼ前年並みだったようだが、年賀はがきは対前年72.9%に止まってしまった。当初発行枚数を見ると、最盛期だった平成16年用年賀はがきは約44億5000万枚だったが、その後は年々減り続け、令和8年用は初めて10億枚を割り込み、7億5000万枚になった。なんと最盛期の17%である。わずか20年程度でこれだけ減少するとは、当時は誰も思わなかったに違いない。
こうなった原因は近年急激に発達したデジタル機器の影響もあるだろうが、根本的な原因は正月を迎える文化そのものが衰退の一途を辿っているからではないだろうか。昔は12月に入ると世間全体がなんとなくせわしくなり、12月も下旬になるといよいよ年の瀬が押し迫ってきた切迫感のようなものがあった。
そして大晦日から元旦に日付が変わるということは、大きなイベントであり、特別な意味を持っていた。こうした新鮮な特別感が日本人に深く刻まれていたため、正月にまつわる多くの行事が発生したのだろう。年賀はがきもその一環だったはずである。ところがその伝統的な正月文化の衰退に伴い、それと深い関係にあった年賀も一緒に衰勢となってしまった。
筆者が高校生だった頃は、どこの普通局(今の単マネ局)も夏の暑い時期から早々に年末年始のアルバイトを募集し始め、何百人もの高校生を集めて年賀はがきの処理に従事させていたものだ。
そして暮れに近づくと郵便局の中は若い男子や女子であふれている状態で、これは当時の郵便局では当たり前の風物詩だった。それが今では社員だけで処理できてしまうそうである。
おせち料理もずいぶん様変わりした。昔は母親が素材を買ってきて料理し、重箱に詰める「作るもの」だった。それがいつの間にかスーパーで買ってきて、普通の皿に「盛るだけ」になってしまった。そして、今ではすでに出来上がっているおせちを購入して、ただ「食べるだけ」になった家庭も多いだろう。
商店街も昔は年末年始の間は長期で休業になるため、年末になると予め大量の食材を購入して冷蔵庫に入れていたものだ。店がどこもやっていないのは不便といえば不便だが、それだけ年末年始の空気感を堪能できた。
ところが今ではそういった不便もなければ、かつて存在していた正月独特の風物詩も少ない。年中無休の店が当たり前になり、買いだめする必要がない。初詣に着物を着てくる女性もほとんど見なくなった。凧揚げしたり、コマ回ししたり、羽根つきする子どもも見ない。おせち料理を用意する家庭も減ってきたのだろう。
要するに正月といっても通常の平日となんら変わらず、ただカレンダー上で年号の数字がひとつ増えるだけなのである。この状況では年賀はがきが減少していくのは当然といえば当然とも言える。正月の風物詩自体がなくなっているのに、年賀はがきだけ生き残るのはなかなか困難な面がある。
すべてが合理化に向いている現状では、正月文化が昔に戻るとは思えない。ではこの風潮の中で、年賀はがきを存続させるにはどうすべきだろうか。それはやはり年賀状が、年の初めに人と人とのコミュニケーションをつなぐ独自の「紙ツール」であることを認識してもらうことではないだろうか。
スマホの画面ではなく、年賀はがきという実体のある紙であいさつし合う楽しさを、あらゆる媒体を使って宣伝する必要もあるだろう。それが定着すれば、年賀はがきは正月文化の衰退にかかわらず、独自の路線で存続していくことができるのではと期待するが、如何だろうか。(有希聡佳)
2026年3月9日 第7343号
コロナを乗り越え大きく飛躍を
3月に入り、卒業シーズンを迎えている。別れの季節、旅立ちの季節、なんてよく言われる。4月から進学や就職など、新たな生活をスタートさせる人も多いだろう。
本紙発行日は3月9日。ふと、3ピースバンド・レミオロメンの「3月9日」という楽曲が思い浮かんだ。
「3月9日」は数ある定番卒業ソングの中の1つとなっている。だが、もともと卒業をテーマに書かれた楽曲ではなく、3月9日に結婚式を挙げたメンバー3人の共通の友人のために作られた楽曲とのことで、歌詞の中にははっきりと卒業にまつわる言葉は出て来ない。このように、作り手の思いと違った形で受け止められて広まっていくことはわりとよくあることだ。
広まっていく、といえば、あまり思い出したくないという人も多いかもしれないが、2020年からの新型コロナウイルス感染拡大だ。
元号が令和に変わって2年目を迎え、夏には東京オリンピックが開催される予定だったこの年、前年12月に中国で発生した新型コロナウイルス感染症が世界的に広がっていった。
2020年1月16日、日本国内で初めての感染者が確認され、3か月後には日本での感染者数は1万人、死者数は200人を超えた。連日のように感染者数・死亡者数が報じられた。
4月、当時の安倍晋三首相は東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県に緊急事態宣言を出し、その後、対象区域が全国に拡大された。
不要不急の外出は避けるように、とのアナウンスに、人々は外に極力出ないようになった。各地で予定されていたイベント等も中止、あるいは大幅な規模縮小を余儀なくされた。「おうち時間」「自粛警察」などの言葉もよく聞かれた。3密(密閉空間・密集場所・密接場面)を避ける新しい生活様式が日常となっていった。
同年夏に東京で開催を予定していた2020年東京オリンピックは翌年へと延期となった。普段は多くの人でにぎわう場所も閑散とし、飲食業をはじめ、多くの店舗・企業等が大きなダメージを受けた。長年切り盛りしてきた店が閉店となってしまう、そんなニュースも多く報じられた。
そうした中、教育現場でも大きな影響が出た。入学式や卒業式の中止、規模の大幅縮小、学校の休校、行事の中止など、本来普通に行われてきたものがそうではなくなってしまった。
入学してからも常に、自分も周りもみんなマスクを着用している日々。とりわけ、小学生たちのことが心配になった。
マスクをしていると、口や鼻が見えない。目だけしか見えない。顔から見て取れる、本来の人間の喜怒哀楽、表情が分からない。それが当たり前となっている中で過ごす日々。家に帰ってからも友達と遊びに行かず、家では宿題をやる、ゲームをする、その胸中はいかばかりだったのだろうか。
新型コロナウイルスに感染しないよう、「三密をさけるように」と徹底した新型コロナ対策を経験してきた小学校生活。この春、卒業する小学校6年生は、入学の時からずっとマスクをしていた特別な学年。新型コロナウイルス感染拡大によって、通常の小学校生活を送ることができなかった子どもたち。コロナ禍で多くのことをあきらめざるを得なかったことと思う。
大きなハンデを背負う形で過ごした小学校生活だった。コロナが無ければあれもできた、これもできた、思い返せばきりは無いだろう。
手紙の書き方授業等で子どもたちと関わった局長・社員も多くいると思う。この春に卒業する子どもたちと接する機会があったらぜひ、精一杯のエールを送ってあげてほしい。(九夏三伏)
2026年3月2日 第7342号
郵便局が取り組む耕作放棄地再生
日本の農地面積は、ピーク時の昭和36(1961)年には608万6000㌶だったが、令和6年にはおよそ3割減少し、427万2000㌶にまで落ち込んだ。農業従事者の高齢化や後継者不足などによる耕作放棄地の拡大に歯止めがかからなければ、さらに農地面積は減少していく。
農林水産省によると、日本の農地の3割強(130万㌶以上)で10年後の担い手(耕作者)が決まっていない。担い手が決まっていない農地の割合は、東京都では89.3%、大阪府では80.2%、沖縄県では76.7%に上る。徳島、香川、広島、岡山、高知、群馬、和歌山の各県でも60%を超えている。
耕作放棄地の増加は、決して農家だけの問題ではない。国内の食料生産量が低下すれば、さらに食料自給率が下がりかねない。これは食料安全保障の弱体化に直結する深刻な問題だ。
特に有事の際には、食料自給率が低い国では大量の餓死者も想定されている。数年前に米ラトガース大学の研究チームが発表した研究によると、局地的な核戦争が勃発し、大気中に巻き上げられた大量の微粒子で日光が遮られる「核の冬」が訪れ、食料生産の減少と物流停止という事態に陥れば、2年後の餓死者は世界全体で2億5500万人に上る。そのうち、食料自給率の特に低い日本での餓死者は、世界全体の約3割にあたる計算となる。
耕作放棄地の増加は食料自給率の低下を招くだけではない。農地の荒廃は、農地が本来持つ「貯水・保水能力」を低下させ、洪水や土砂崩れなどの災害リスクを高める要因ともなる。また、耕作放棄地の拡大がクマの出没増加を招いている可能性も指摘されている。
こうした中で、耕作放棄地再生など農業支援に取り組んできたのが日本郵政グループだ。
福島県北部地域の郵便局では、希望する社員が兼業申請をしたうえで、JAふくしま未来の職業紹介所に登録し、地域の農家の仕事を紹介してもらう仕組みを整えてきた。
昨年11月1日には、日本郵政グループとJAふくしま未来の共同企画として「援農支援体験会」が開催され、福島県北部地区連絡会の太田浩幸統括局長(岩代)ら郵便局とJAから30人が参加した。参加者は地域の特産品である「あんぽ柿」の原材料である蜂谷柿の収穫作業を2時間程度行った(通信文化新報2025年12月8日号4面)。
一方、岡山県備前西地区連絡会(野村和正統括局長/岡山津島)は耕作放棄地での山椒栽培を行っている。野村統括局長らは2019年から、郵便局の屋上などに巣箱を設置して養蜂に取り組む中で、里山保全の重要性を改めて認識した。ミツバチが育つ環境を維持するためにも、里山保全は必要だからだ(同2022年11月28日号1面)。現在、岡山、玉野市、吉備中央町の局長約40人が、里山保全の活動に取り組んでいる。
備前西地区連絡会では、山椒の栽培とともに、伐採した竹を粉砕して肥料にするなどの活動を展開している。
「ローカル共創イニシアティブ」の一環として、農業支援に取り組むケースもある。日本郵政の三輪信介さんは、島根県雲南市のNPO法人おっちラボに派遣され、農作業や山仕事の手伝いをしたり、耕作放棄地を活用してヒマワリ畑をつくるイベントの手伝いをしてきた。
さらに、岐阜県恵那市では、恵那長島郵便局の馬島直樹局長が、耕作放棄地の再生に取り組む地域企業に協力してきた。農業生産法人東野は耕作放棄地を畑として再生し、にんにくの生産を本格的に開始し、黒にんにくとして商品化した。馬島局長は、ふるさと小包の地域独自施策制度を活用し、商品の販売に協力してきたのである。
馬島局長は「民間企業と郵便局が手を取り合って取り組むことで、少しでも耕作放棄地対策につながり、地域、地元に貢献することができます」と語っている(全国郵便局長会HP)。地域の農産物を全国で販売するうえで、郵便局はふるさと小包などを通じて、様々な貢献をすることができる。
耕作放棄地の再生で郵便局がさらに大きな役割を果すことを期待したい。(酒呑童子)
2026年2月16日 第7340・7341合併号
郵便局と地域のかかわり
郵便局の歴史は古く、創業は1871(明治4)年までさかのぼる。読者の方々はすでにご存じだろうが、創業者は前島密、現在の新潟県上越市の出身で、農家の次男である。彼は元々医学の修行をしており、医者になることを目指していた。
それが1853年にペリーが浦賀に黒船で現れると、国防の重要性を実感し、志を医学から国防に転じた。その後、明治政府から翻訳筆記方への出仕要請があり、英語もできた前島は、明治政府に仕えることになった。
そして、長崎に赴任していた時に知り合ったイギリス人から郵便制度の話を聞き、ぜひ日本にも同じような制度を導入する必要性を実感したのが、郵便局構想の始まりである。
この時、前島に郵便の仕組みを教えたイギリス人は、「情報の伝達は人間でいうところの血液である。国も血液が流れなければ健康体ではいられない。そして、血管は駅逓(郵便局)である」と、概ねこのようなことを言ったらしく、前島の頭の中に一気に郵便局構想ができあがった。
情報の伝達や通信の重要性は、それまでにも明治政府は考えていたのだが、具体的な案が存在しない状態だった。そこに前島が具体的なアイデアを出したため、一気に郵便局網の整備が始まった。
情報伝達が重要なのは、現代の私たちでも実感するであろう。スマホやパソコンから一瞬で情報が伝達できることで、瞬時に世の中の動きが知れる。情報を得ることで人の思考が動き、具体的な行動が起きる。情報伝達の重要性は国防を一時期研究した前島ならではだったのかもしれない。
前島の発議で1871年、東京―大阪間で最初の郵便事業が官営として開始された。しかし、まだまだ郵便局の数も他地域での伝達網も不足し、通信網といっても限られた機能しかなかった。
そこで、政府は地元の名士(庄屋や名主など)から土地と建物を無償で提供してもらい、その代わり彼らを「郵便取扱役」に任命して、「公務」である郵便業務を請け負わせることにした。
土地や建物を貸す方も「準官吏」としての身分を得ることができ、国は多くの郵便局が設置できるという双方に利点があることで、この仕組みは一気に全国に広まり、日本の郵便制度は急速な発展を遂げた。こうして現代では約2万4000にもなる郵便局網ができあがった。
ところで、創業当時から現代まで変わらずに郵便局が取り組んできたことがある。それは「地域との結びつき」である。かつての名士(庄屋・名主)が、地元の信頼を得て強い結びつきがあったのと同様、現代の郵便局も多岐にわたる活動を通じて、地域と密接な関係を保っている。
地元のお祭りやイベントへの参加、小中学校での郵便教室や金融教室、自治体と連携してのフレーム切手の発行、こども郵便局やスポーツ大会の開催、観光スポットの清掃活動、特産品の掘り起こしなど、様々な住民へのサービス提供が頻繁に行われている。
これは郵便局が単に「郵便・貯金・保険」といった三事業を取り扱うだけではなく、地域とともに歩む存在としての必要な活動だろう。地域交流や地域貢献のための活動の推進は、何かあれば地域住民が頼りにして相談する郵便局として、将来的にも欠かせない存在だ。
最近ではマイナンバーカード関連事務の受託、オンライン診療の拠点などにもなっている。人口減少、高齢化社会では金融決済や自治体の行政事務の代行など郵便局ネットワークを活用し、地域住民の生活を支援していくことは時代の要請といえよう。
ただ、郵便局の現場では課題も多い。郵政事業は三事業一体であることが強みだったが、現行の郵政民営化法では、日本郵政の保有するゆうちょ銀行とかんぽ生命保険の株式を処分することが明記されている。また、ユニバーサルサービスの義務は、日本郵便にはあるもののゆうちょ銀行、かんぽ生命保険にはない。地域の住民生活を三事業一体で支援する郵便局の役割をより強固にするためにも、日本郵便と金融二社との関係を維持できることなどを内容とする郵政民営化法の早期の一定の見直しが求められる。
21世紀になって早くも四半世紀(25年)が過ぎた。かつて「郵便の父」前島密が医学から国防、国防から郵便、そして貯金や保険などまでに関し、日本の将来を見たように、郵便局も時代に合わせて適宜適切な役割を果たせるようにすることは重要だ。
地方では様々な機関が経済合理化によって縮小している中、公的機関だった郵便局を維持していくことは、これからの国の在り方にもつながる大きな課題の一つでもある。 (有希聡佳)
2026年2月9日 第7339号
谷口雄史氏を偲んで
鳥取県因幡地区郵便局長会会長・鳥取大正郵便局長を務めた谷口雄史氏が1月23日、逝去された。享年69歳。
谷口氏は2014年2月、勇退した黒田敏博会長の後を継ぎ、鳥取県因幡地区郵便局長会会長に就任。「黒田会長の熱のこもった指導があったからこそ今がある。黒田路線を継承し因幡地区会を引っ張っていきたい」と決意を語っている。谷口氏の会長・統括局長としての歩みを振り返ってみたい。
「過疎・高齢化が進む地域社会にあって郵便局ネットワークは〝最後の砦〟。今後なお一層、郵便局と簡易局の協力体制を築いていこう」(14年7月、郵便局長・簡易郵便局長合同研修会)。
「地域と連携を図り、活性化と郵政事業の発展を推進していくことが大事」(14年11月、智頭町と連携し「野菜市」を開催)。
「全特会歌は我々の基礎となる局長会の姿と魂を具現している。自らのものとして血肉化してほしい」(15年2月、地区通常総会)。
「郵便局にまた来たくなるようにするために、女性社員一人ひとりが自分たちで郵便局づくりを行い、お客さまに喜んでもらうことが大切」(16年6月、INABA女子力向上セミナー)。
15年度から、連絡会内全局で年2回、地域の人たちが作成した作品をロビーに展示。「全局が同時に開催することに意義がある。全局の展示内容を盛り込んだパンフレットを局に置き、他局の作品展も見学してもらえるようにした」。
16年7月には、鳥取市と56郵便局が地域の活性化を応援する「すごい!鳥取市応援プロジェクト協定」を締結。「すご!ウサギ」ラッピングポストを鳥取市役所本庁前、JR鳥取駅前、道の駅神話の里白うさぎの3か所に設置した。
18年2月に鳥取県と日本郵便が包括連携協定を締結。10月には鳥取県と公益社団法人鳥取県看護協会と中国支社で「地域住民の健康づくりの推進に向けた連携協定」を締結。具体的な連携施策の第一弾として鹿野郵便局で「まちの保健室」を実施。
18年度から「グリーフケア」に本格的に取り組む。「若年層の郵便局利用をいかに拡大していくかが課題。郵便局が常に安心を提供し、気軽に相談できる拠点であり続けることがポイント」。
19年2月に「鳥取市地域食堂ネットワークへの支援に関する覚書」に調印し、地域食堂(こども食堂)への支援活動を開始。行政と郵便局との連携による全国初の試みとして注目される。
9月には令和元年度鳥取県自主防災組織等知事表彰を受けた。「これからの時代、過去最高や想定外の災害が起こっても不思議ではない。だからこそ、最悪にならないために日常から防災意識を持ち、災害への備えや対策を怠ってはならない」。
20年7月、麒麟のまち圏域における観光振興に向けた包括連携協定を締結。21年3月、鳥取県東部地域における情報ネットワーク構築に関する協定を締結。地域コミュニティFMと日本郵便による全国初の協定。「郵便局は地域に根差し、情報発信の拠点ということを地域の方々に理解していただきたい」。
鳥取在住のイラストレーター・りりぽっちさんが手がけたマチオモイカレンダーを見た一般社団法人山陰三ツ星マーケットの渡世唱子代表が話を繋ぎ、谷口氏との縁でりりぽっちさんが鳥取版の寄付金付年賀はがきのデザインを担当するようになった。
このほかにも、その人柄とバイタリティで業務・地域活動に大いに尽力され、リーダーとしても大いに手腕を発揮された。
谷口雄史様のご冥福を心からお祈りいたしますとともに、通信文化新報は今後も、皆さまのお役に立てる紙面をお届けできるよう尽力してまいります。(九夏三伏)
