コラム「春秋一話」

 年/月

2022年8月8日第7156・7157合併号

人間の影響「疑う余地ない」

 鹿児島県の桜島の南岳で7月24日、爆発的噴火が発生した。大きな噴石が河口から約2.5キロまで飛散、3キロ圏内の住民に避難指示が出された。気象庁は噴火警戒をレベル3(入山規制)から最も高いレベル5(避難)に引き上げた。レベル5が出るのは2015年5月の口永良部島(鹿児島県)に続く2回目という。
 「天災は忘れた頃にやって来る」と言ったのは、物理学者の寺田寅彦とされる。夏目漱石の弟子でもあり、奇妙な物理学者として登場する『吾輩は猫である』の水島寒月、『三四郎』の野々宮宗八も寺田がモデルと言われる。文化人シリーズ切手(第1次)にも取り上げられている(1952年発行)。
 寺田は関東大震災に際して、「人間も何度同じ災害に会っても決して利口にならぬものであることは歴史が証明する。…天災が極めてまれにしか起こらないで、ちょうど人間が前車の転覆を忘れたころにそろそろ後車を引き出すようになるからであろう」と述べている。
 しかし、現在は忘れないうちに災害は発生する。集中豪雨に毎年のように襲われ、各地で河川の氾濫や土砂崩れが起きる。線状降水帯、ゲリラ豪雨といった言葉もすっかり馴染みとなった。記憶が鮮明なうちに災害がやってくる。
 気象庁によると、1日の降水量が200ミリ以上の大雨を観測した日数は、統計を開始した1901年からの30年間と直近の30年間を比べると約1.6倍になったとする。内閣府の資料では、過去10年間に97%以上もの市町村で水害・土砂災害が発生している。
 雨の降り方が変化している背景の一つは、地球温暖化の影響と考えられている。気象庁はこのまま温室効果ガスが高いレベルで排出され続けると、今世紀末には、大雨やゲリラ豪雨の発生頻度が20倍以上になると予測している 。
 国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は「人間の影響が大気、海洋及び陸域を温暖化させてきたことには疑う余地がない。大気、海洋、雪氷圏及び生物圏において、広範囲かつ急速な変化が現れている」との報告書を公表している。
 豪雨のみならず、山火事も多発する。豪州でコアラ生息地が大きな打撃を受けた2019年の山火事は記憶に新しいが、米国カルフォルニア州のヨセミテ国立公園近くの山林で、大規模な火災が7月22日に発生し被害が広がった。「オーク火災」と名付けられたが、カルフォルニアでは近年、高温や乾燥した気候で大規模な山火事が相次ぐ。
 米国では7月下旬、テキサス州やアリゾナ州などでも40度を超える高温が報告され、国立気象局は全米28州で高温警報などを発令した。欧州でも熱波により40度以上となる地点が続出。スペイン南部で47度、ポルトガルでも連日40度を超えた。ポルトガルでは国内の20か所以上で山火事が発生した。
 中国も各地で40度を超える日が続く。上海では7月13日に40・9度を記録、1873年以降の最高気温となった。アフリカではチュニジア、モロッコも熱波や火災が猛威をふるう。欧米のみならずアジア、アフリカと世界的規模だ。気候変動は悲惨な山火事を引き起こす要因となるが、穀物の生産にも大きな影響を及ぼす。
 猛暑の到来時期が早まっていると専門家は指摘する。日本でも命を脅かす暑さが続き、熱中症での搬送も跡を絶たない。国連などによると6月の世界の平均気温は1991~2020年の平均値より0.32度高く、19年、20年に次いで3番目に高くなったとしている。IPCCは、パリ協定(地球温暖化の国際的枠組み)による平均気温の上昇を産業革命前と比べ1.5度に抑えるとしているが、今や待ったなしだ。
 日本郵政グループもJPビジョン2025で、2050年のカーボンニュートラル実現を目指している。EV(電気自動車)の導入拡大、再生可能エネルギーへの段階的な切替えなどにより、温室効果ガスの排出量を削減していくことにしている。2030年度までには、温室効果ガスを46%削減する(対2019年度比)。
 小さなことでも着実な積み重ねが求められる。地球温暖化を防ぐには一人ひとりの生活を見直すことも欠かせない。次世代に優しい地球環境を残すために、世界的な取組みの一層の進展を望みたい。
(和光同塵)

2022年8月1日第7155号

常識…時代とともに変わる認識

 このところ、新型コロナウイルス感染症の感染が再び拡大、「第7波」と呼ばれる状態に陥っている。そのような中でも、濃厚接触者の待機期間を一定の条件付きで最短3日とする行動制限の「規制緩和」が行われるなど、感染症と経済活動の両立に向けた取組みが進められており、歓迎すべきだろう。
 現代の医学を以ってしても、流行3年目となるのに新型コロナウイルス感染症を抑え込むことができていない。まして、人類の歴史を振り返ると、幾度となく疫病の流行が繰り返し、その原因もはっきりと分からぬままに、それぞれの時代の人々は対策を講じ、生き延びてきた。
 ヨーロッパではたびたびペスト(黒死病)が流行した。その治療をする医師は、17世紀には鳥のような長いくちばしを持つ衣装を着けており、絵を見たことがある読者も多いのではないだろうか。
 病気の正確な原因を知る由もなく、当時の見立ては、患者が発する悪い空気、瘴気が原因と考えられ、それを吸い込まないよう防護服を着るとともに、くちばしの部分に薬草(ハーブ)などを入れて呼吸することで、感染しないようにしていたらしい。
 現代でも防護服、マスクを着用するのは変わりないが、ハーブの香りで悪い空気をいわば「浄化」させるという考えが当時の常識であったわけだ。
 ところで、先ごろ京都では、コロナ禍で開催できなかった祇園祭の山鉾巡行が3年ぶりに行われた。この祇園祭の起源は、疫病の流行により悪疫を鎮めるために、貞観11年=西暦869年、当時の全国の国数である「66本の矛」を「神泉苑」という広い庭園に立て、「祇園社から神輿を送った」(公益財団法人祇園祭山鉾連合会HP)ことに始まるという。
 疫病の流行に直面し、真の原因も知る由もない中、当時の人々がいかに悪疫を鎮めようと努力していたのかをしのぶことができよう。それが発展を遂げ、今では京都祇園祭の山鉾行事は、国の重要無形民俗文化財であるとともに、ユネスコの無形文化遺産に登録されている。人類の疫病との闘いの歴史が「我が国の夏祭りの発生や変遷を知る上で欠かすことのできない祭礼」(文化庁HP)に昇華したとも言えよう。
 医学が進歩した現代であっても、コロナ禍に翻弄されている現状。まして、自然科学が未発達な時代でも、人々はその時代の最善と思われる考え方により対策を取り続けてきた。
 我々が「常識」として受け入れている一般的に妥当と考えられるものの見方は、この疫病の例をとっても分かるように、時代によって変わるものだ。
 新型コロナウイルスについてだけ見ても、オミクロン株などの変化があるものの、感染開始当初から比較すると、行動制限の内容は緩和されてきた。また、国によっても、ゼロコロナを目指す隣国がある一方で、マスクなしを認める国々もあり、常識は異なる。
 郵政事業に関する常識は、いかがだろうか。この数年で、かんぽ不適正営業事案、カレンダー問題、郵便制度改正によるサービス見直し、硬貨手数料の導入など、意図した、しないに関わらず生じた事柄と、事業を取り巻く環境の変化も合わせて、会社側の常識及びお客さま側の常識も、少しずつ変わりつつあるのではないだろうか。
 ユニバーサルサービスという郵政事業の根幹に関わる考え方も、未来永劫不変とはいかない。もとよりユニバーサルサービスはコロコロ見直すべきものではないが、事業全般にわたり、時代の動きを感度良く捉え、日本郵政グループの経営理念にある、お客さまと社員の幸せを目指し、経営の透明性を持ち、社会と地域の発展に貢献できるよう、具体策を積み上げていってほしい。
(ケーニヒスベルク)

2022年7月25日第7154号

コミュニケーションのお届けも

 各地で記録的に早く梅雨明けが発表され、最高気温が35度を超える猛暑日となった地点が続出したほか、40度を超える地点も出るなど、厳しい暑さに見舞われた。個人的には、これは早い梅雨明けではなく、単に長く厳しい暑さに見舞われた梅雨の中休みだと思うのだが、気象庁が最終的にどういう判断をするのか見守りたい。
 猛暑といえば昭和8(1933)年7月25日、山形県の山形(以降気象庁の観測地点名を表記)で40.8度を観測した。もちろん当時の観測史上最高気温で、それ以降長きにわたって歴代1位の記録だった。
 その74年後となる平成19(2007)年8月16日。岐阜県の多治見と、埼玉県の熊谷で40.9度を観測した。
 そして現在1位となっているのが、静岡県の浜松と、埼玉県の熊谷で、ともに41.1度を観測している。気が遠くなるような数字だ。
 高知県の江川崎では平成25(2013)年に、4日連続で最高気温40度超えを観測している。8月10日に40.7度、11日に40.4度、12日に当時国内最高気温となる41.0度、13日に40.0度を観測している。
 これは、そもそも江川崎が盆地であることに加え、▽太平洋高気圧と中国大陸からのチベット高気圧も重なり合い、日本列島を覆う形となり、この二層の高気圧が厳しい暑さをもたらした▽西寄りの風によるフェーン現象が発生した▽この年、江川崎では梅雨明け以降ほとんどまとまった雨は降らず、日中に熱せられた地表が冷え切らないまま夜が明けて、また翌日に真夏の日差しで気温が上昇することが続いた―といったことが要因としてあげられる。
 よく聞くフェーン現象とは、風が山にぶつかり、その風が山を越えると乾燥した下降気流となり、その反対側で気温が上昇する現象。標高の高い山がある場所では、往々にしてこのフェーン現象によって気温が上昇するケースがよくある。
 ちなみに、前述の山形の40.8度等は気象官署の記録で、大正12(1923)年8月6日に、観測所の記録によるものだが、徳島県の撫養で42.5度を観測している。これこそ歴代1位だと思うのだが…。
 さて、暑さと共に話題となるのが熱中症。これは炎天下だけではなく、室内にいてもなるものだ。曇りや雨の天気であっても、気温や湿度が高くて蒸し暑い状態だと熱中症になりかねない。高齢者を中心に、一人暮らしの人が自宅で熱中症になり、外部へ連絡ができないような症状だったりすると心配だ。
 郵便局では、各地で自治体と包括連携協定を締結している。その連携事項の中に、高齢者や子どもの見守り、という項目がよく見受けられる。
 具体的な方法については、例えば配達途上、郵便受けに郵便物や新聞が溜まった状態になっている時など、不審に思った際はすぐ行政等に連絡する、ということなのだと思う。
 プライバシーの問題や、郵便局のみまもりサービスとの兼ね合い等あるかもしれないが、一歩踏み込んで、特に郵便物や用件がなくても、1人暮らしの高齢者のお宅にあえて立ち寄って「こんにちは、暑い日が続いているので、お元気にされているかなと思って来ました。体調等お変わりないですか」など、毎日でなくても、会話のキャッチボールをしながら、コミュニケーションの配達をするのもいいかと思う。
 まあ、中には待っていましたとばかりに、延々といろいろな話をされる高齢者もいなくはないと思うが、そこは臨機応変に、例えば時計を見て「あ、そろそろ配達に戻らないと。いろいろなお話ありがとうございます。また来ますね」と言うなどして失礼すると良いのかなと思う。
(九夏三伏)

2022年7月18日第7153号

「求め過ぎない」という選択

 加齢とともに気力も衰えるということはよく聞く。筆者自身も60代半ばになり、定年前の現役時代とは異なり衰えを自覚するようになっている。
 気力の衰えとともに、最近、ミスなどに対して以前よりもストレスを感じるようになった。ミスといってもいろいろとあり、仕事上のミスもそうではあるが、手持ちの機器類の操作が思ったようにいかないことに対してもストレスを感じ、加えてストレスに対する耐性が衰えているように感じる。
 こんなことを感じ始めてふと以前に読んだ「失敗の本質」という書籍のことを思い出した。ほんの小さなミスとはいえ自分にとって「失敗」であり、改めて「失敗の本質」を読んでみることとした。
 「失敗の本質」を知ったのは民営分社化前の郵便局時代になる。当時勤務していた郵便局の局長が読んでいる書籍が気になり尋ねたところ「失敗の本質」であった。その局長はもうすでに3回は読んでおり、管理者にとって必読の書だとも言われた。ちょっと難しそうだなとは思ったが、購入して読むことにした次第である。
 「失敗の本質」は、当時一橋大学教授であった野中郁次郎氏を中心とした6人の大学教授らの執筆陣で構成され、1984(昭和59)年4月に出版されている。第二次世界大戦(書籍の中では「大東亜戦争」と呼称されている)における日本軍の6つの作戦事例をケースとし、それらの作戦がなぜ失敗したのかについて分析している。
 それまで日本の敗戦について書かれた書籍は多数あったが、本書のように、史実の中から日本軍のさまざまな組織特性や欠陥を導き出し理論的に整理した書籍はなかったと言われている。
 6人の著者が導き出した敗戦の原因は、過去の成功体験(日露戦争の勝利)から抜け出せなかったことを背景として、目的のあいまいさ、つまり何のために戦争をして、どのように戦争を終わらせるのかが明確ではなく、短期的な指向しかなかったと分析している。
 さらに、この敗戦の原因となった組織特性や欠陥が、今日(出版当時)でもなお日本のさまざまな組織に継承されているのではないかとの認識のもと、課題の提示と解明がなされている。
 最近、日本の経済力が衰退していると言われている。かつて昭和の高度成長期に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」として米国の教科書と言われた日本であるが、1990年台のバブル崩壊と共に低迷が始まり、以降「失われた30年」と言われ今日に至っている。
 平成時代に目指し追いかけたのはかつての世界に冠たる「ものづくり日本」という成功体験だ。そこから抜け出せず、令和の時代こそと願っていたところに新型コロナという世界的なパンデミック、そしてロシアによるウクライナ侵攻という世界秩序の崩壊が続き、そして円安が拍車をかける。
 日本経済にとって出口が見えない状態が続き、国民にとっても諦観が広がっているように思われる。そこには過去の成功体験に捉われ、取り戻そうとする短期的な指向があるのではないだろうか。
 最近読んだ書籍に「求めない」ということが今後のヒントになるとあった。
 目的を明確にすることは重要だが、高過ぎる目標を追いかけると続かない。ストレスに対する耐性の衰えも自分への過信が伴っているのかもしれない。
 敢えて求め過ぎず、失敗することも想定内と思うことで新たなストレスを生むことがなくなるのではないか。今後の生きるヒントになるかもしれない。
(多摩の翡翠)

2022年7月11日第7152号

近代詩の父・萩原朔太郎没後80年


 わが故郷に帰れる日
 汽車は烈風の中を突き行けり。
 ひとり車窓に目醒むれば
 汽笛は闇に吠え叫び
 火焔は平野を明るくせり。
 まだ上州の山は見えずや。
 夜汽車の仄暗き車燈の影に
 母なき子供らは眠り泣き
 ひそかに皆わが憂愁を探れるなり。

 萩原朔太郎の詩集『氷島』に収められた「帰郷」の冒頭部分だ。「日本近代詩の父」と称される朔太郎。主に大正時代に活躍した詩人で、この時期には石川啄木、中原中也、高村光太郎などがいる。中でも朔太郎は「口語自由詩」を確立したとして評価が定まっている。
 美しい情景を描き、感情を鮮烈に表現しつつも、どこか暗く憂鬱で孤独な世界観を描く。後の詩壇に大きな影響を与えた。高齢の方々は青春のひとときに口ずさんだ詩も多いだろう。
 『月に吠える』『青猫』『氷島』などの詩集で知られる。大正6(1917)年の処女作『月に吠える』は森鴎外から絶賛されるなど高い評価を得た。
 「帰郷」の詩に付した解説には「昭和四年。妻は二児を残して家を去り、杳(よう)として行方を知らず。我れ独り後に残り、蹌踉(そうろう)として父の居る上州の故郷に帰る。上野発七時十分、小山行髙崎廻り。夜汽車の暗爾(あんじ)たる車燈の影に、長女は疲れて眠り、次女は醒めて夢に歔欷(きょき)す。声最も悲しく、わが心すべて断腸せり」(詩編小解)と述べる。
 大正8年、朔太郎は34歳で上田稲子と結婚する。稲子は21歳。葉子、明子の2児が生まれた。44歳での妻との離別は大きな痛手となり、昭和4(1929)年に娘二人を伴い故郷の群馬県前橋市に一旦帰ることとなった。
 前橋市の西北部、利根川のほとり、松林(敷島公園)の中には昭和30年、「帰郷」の詩をブロンズのパネルにして御影石にはめ込んだ詩碑が建立されている。また、前橋市には萩原朔太郎記念館がある。
 朔太郎の長女の葉子は作家となり、女学生の頃に電車で見た父の姿の思い出を残している。「酔い潰れて父がすわっているのに気がついた。あみだにかぶった茶色のソフトから、前髪が目の辺りまで垂れ、片方は赤い鼻緒の下駄をはいている。痩せた肩を前へ突き出した格好で、半分ねむっているのか、車内のゆれる度によろよろしているのだった。…父は孤独なのだと思った」
 朔太郎は明治19(1886)年11月、前橋市で生まれる。昭和17(1942)年5月、風邪をこじらせて肺炎のため死去した。今年は没後80年となる。
 「萩原朔太郎大全2022」と題した企画展が、10月1日から来年1月10日にかけて全国52か所の文学館や美術館、大学、博物館などで独自の角度から開催される(各施設の企画展の開催期間は異なる)。
 SNSなどの普及で簡単にメッセージの交換ができる時代、言語がデータとして「日々大量に消費されつつあるが、一方で言葉が本来持つ豊かな陰影や美しさ、心を動かす力などは貧困化の一途をたどっているように思える。近代日本語に新しい富をもたらした萩原朔太郎の詩と人生を手がかりに、言語とは、表現とは何か、文学は今日いかなる役割を果たしうるのか」といった考察をする(大全実行委員会)。
 全国52にも及ぶ文学館などが朔太郎の詩という一つの中心テーマを共有し、同時多発的な企画展を連動して行う試みは注目される。
(和光同塵)

2022年7月4日第7151号

最近の物価高と会社経営への影響

 去る4月の拙稿で、ロシア軍のウクライナ侵攻による戦争と、それにより世界経済のグローバル化が逆に「ブロック化」していく方向であることを記した。この戦争の影響のみならず、目下、世界的なインフレーション傾向があることから、物価高の影響について考えてみたい。
 今回のウクライナ戦争への各国の対応を分類すると、①アメリカ、ヨーロッパ、日本など、ウクライナ側に立って物心両面から応援している国々、②ロシアに支持又は理解を示す国々、③これら以外の旗幟鮮明にしていない第3勢力、と大きく分けられる。
 エネルギーでは、ロシアから輸入していた①の国々は、即時の全量輸入停止は難しいもののロシア離れを指向している。この結果、限られた供給の取り合いから価格が上昇している。  ②、③の国々は、エネルギーを相対的には調達しやすくなり、また価格上昇でロシアは資源からの収入を大きく減らさず、戦費に充てられる財源を得られるという皮肉な展開である。
 小麦は、アフリカなどがウクライナ産を輸入できず食糧問題と化し、国際相場上昇を招いている。肥料調達の課題もあり即増産とはならず、何とかウクライナからの輸出再開を期待したいが、物流の重要性を再認識せしめた出来事でもある。
 例示すればきりがないが、コロナ禍による人手不足や物流停滞の後遺症もあり、世界的にインフレ傾向となり、これを受け各国中央銀行の利上げが始まっている。しかし、日本銀行は利上げせず金融緩和維持の方針で、内外金利差から約四半世紀ぶりの円安である。
 エネルギーのみならず原材料価格の上昇から、食品、飲料はじめ各界で値上げが続いており、この5月の企業物価指数速報値は対前年で9.1%上昇、消費者物価指数は同2.5%の上昇(生鮮食品を除くと2.1%)となっている。
 日本郵政グループにあっても、このような逆風を受けてどのような点に留意すべきであろうか。
 まず諸物価高騰の影響を最小限にすべく、調達物品の価格の低減をあらゆる方法により対処する必要がある。長期安定した契約、国内の確実な調達先の確保、無駄遣いの削減などにきちんと取り組まねばならない。金融面では、運用は各種ヘッジやポートフォリオの組み換えにより対策は一定程度されていようが、引き続き注視していく必要があろう。
 そもそも郵便局で提供する業務は、「モノ」の販売はわずかであり、窓口業務や集配という性質上「サービス」業であり、事業に必要なモノは調達しているにしても、人件費が費用の約6割を占める。
 しかし、物価上昇による経費上昇圧力へ対処するといっても、どこかで限界も来よう。インフレが進んでいった場合、次なる打ち手は何なのだろうか。 企業の収益確保のための値上げは、食料品など身近な商品で既に幅広くみられるし、電気代は対前年で約2割上昇した。別の観点からは、社員の生活を守っていく上では賃上げといった議論もいずれは出て来ようが、その原資はでは値上げ、であろうか。
 その対象としてまず想起されるものとして、郵便料金がある。料金値上げという選択肢も早晩出て来よう。しかし、普通郵便の土曜休配など郵便サービス見直しや硬貨手数料の導入を行ったばかりであり、世の中の理解を得るのは難しい。まずは営業拡大による収益増加を目指さないでは、利用者国民の納得は得られないだろう。
 長い目での構想を練りながら、まさかの場合には即応できる対策を練っていくことが肝要である。
(連環子)

2022年6月27日第7150号

盛り上げてくれる存在は大切

 今年のプロ野球はセントラルリーグ、パシフィックリーグとも3月25日に公式戦が開幕した。それからまだ3か月も経たないが、4月10日に千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手が史上最年少で完全試合を達成したのをはじめ、5月11日には福岡ソフトバンクホークスの東浜巨投手がノーヒットノーラン、6月7日には横浜DeNAベイスターズの今永昇太投手がノーヒットノーラン、6月18日にはオリックス・バファローズの山本由伸投手がノーヒットノーランを達成している。そう滅多には見られない記録が、この短い期間で4回も達成されているのは驚きだ。
 選手の打撃成績を見てみると、規定打席に到達して打率3割を超えている選手はセ・リーグが3人、パ・リーグも3人と、例年に比べると少ない。
 投手の防御率を見てみると、セ・リーグ1位が青柳晃洋投手(阪神)で0.89、2位が西勇輝投手(阪神)で1.50、パ・リーグは1位から順に千賀滉大投手(ソフトバンク)、佐々木投手(ロッテ)、山本由伸投手(オリックス)、加藤貴之投手(日本ハム)、石川歩投手(ロッテ)、田中将大投手(楽天)の6人が1点台となっている。ここまでは両リーグとも投高打低の様相だ(6月17日時点)。
 プロ野球のセ・パ交流戦も終わり、セ・リーグ、パ・リーグのペナントレースが再開された。そうした中、じわじわと注目の的になっているのが、北海道日本ハムファイターズのチアリーディングチーム「ファイターズガール」が、ファイターズの本拠地である札幌ドームでイニングの合間に披露する「きつねダンス」だ。
 きつねの耳のカチューシャを付けたファイターズガールが、北海道日本ハムファイターズのマスコット「フレップ」「ポリー」とともに、ノルウェーのコメディーデュオ「Ylvis(イルヴィス)」の「The Fox(What Does The Fox Say?)」という楽曲に合わせて、きつねをモチーフにした可愛らしいダンスで球場を盛り上げている。
 このきつねダンスは、今シーズンから行われている。最初は観客の反応は今ひとつだったが、球団公式ツイッターやYouTube、SNS等で動画が公開されるにつれ、徐々に話題となっていき、ファイターズファンのみならずパ・リーグの選手やファン、さらには交流戦を機にセ・リーグの選手やファンにも人気が広がっている。
 きつねダンスで流れる「The Fox」は、犬や猫をはじめ、様々な動物や生き物の鳴き声を紹介していく歌詞やメロディーの中、サビで「What does the fox say?(キツネは何て鳴くんだ?)」というフレーズに続き、奇声(言い方は失礼かもしれないが)とも取れる推測の鳴き声が次々と流れるユニークな楽曲だ。この楽曲のミュージックビデオでの、サビ部分の振り付けをもとにアレンジされているのがきつねダンス。手の動きが中心のダンスということもあり、観客席では一緒になって踊っている人の姿も多く見られる。
 グッズの販売やイベントの開催など、ファンサービスの充実によって、さらにファンの楽しみが増えると思う。キャラクターやチアリーディングなど、盛り上げてくれる存在はやはり大切だ。
 日本郵便には「ぽすくま」という、頼れる存在がいる。ぽすくまはこれまでも単体や「ぽすくまと仲間たち」として、各地のイベントなどで活躍しているが、自治体や企業等のキャラクターとのコラボレーション、新しいグッズの販売など、これまで以上にさらに活躍の幅を広げていってほしい。
 そうした中、密かに気になっているのが、かんぽの宿キャラクター「ゆのぽん」。何らかの形で生き残ってくれることを願ってやまない。
(九夏三伏)

2022年6月20日第7149号

始めるに遅すぎることはなし

 4月18日号の本紙で経営コンサルタントの小宮一慶氏が経営者の学ぶべきこととして勧めている3つのうちの「経営の原理原則を学ぶ」ということについて触れた。今回は「何千年もの間、多くの人が正しいと言ってきたことを学ぶ」ということについて触れたい。
 「何千年もの間、多くの人が正しいと言ってきたこと」とは具体的には「論語」や「老子」などの中国の古典や「聖書」「仏教聖典」などであるが、「これらを学ぶことなくして本当の正しい判断はできない。そしてこれらが、真の意味での成功の原理であることは、渋沢栄一翁、松下幸之助さん、稲盛和夫さんたちの成功を見ても明らかである」と小宮氏は述べている。
 経営者として会社を良くしていこうとするためには、お客さまに喜んでいただいて、働いてくれている人にも幸せになってもらおうという正しい信念がなければならず、それがあれば自ら会社を経営する勇気も生まれてくると言う。この正しい信念を持つために何千年もの長い間読み継がれた本を読み学ぶことを勧めている。
 筆者はこの小宮氏の考えをその著書などで読んで知ってはいたが、なかなか古典を読み学ぶということはできずにいた。「論語」について言えばテレビの時代劇の中などで子供が寺子屋で素読をしている場面が出てくるなど、昔から日本社会の中で広まっていた。
 しかし筆者自身の記憶を辿ると「論語」に触れたのは高校時代の漢文の記憶が甦り、あまり良い印象がないのが実態である。
 「論語」は漢字や仏教とともに中国から伝わったとされるが、奈良時代に編纂された「古事記」や「日本書紀」にも記述があり、聖徳太子が制定した「十七条憲法」の第一条の「和を以って貴しとなす」も論語の教えを取り入れたものとされている。江戸時代には徳川幕府が朱子学を推奨し、代表的な書物である「四書五経」が注目され、特に「論語」は重要な書目、学問の入り口として一般庶民にも広まっていた。
 そして明治時代に入り明治政府は「学制」を公布し道徳教育としての「修身」が始まった。明治23年には教育勅語が発布され忠孝道徳を中心とした様々な道徳的な内容項目(徳目)を多く示されたこともあり国全体に浸透していくこととなる。
 しかし、昭和20年、敗戦により占領軍の指示を受けて修身科などの授業は廃止され、以来日本においてかつて浸透していた道徳教育専門の教科はなくなる。その後に戦後の教育を受けた者にとって「論語」などの古典に馴染めないまま大人になってしまったという人が多いのではないだろうか。
 小宮氏は、何から読み始めたらよいかわからない人は松下幸之助氏の「道をひらく」から始めると良いと勧めている。また古典についても原書を読むということではなく、「論語と算盤」の渋沢栄一や、昭和の時代に「論語」を蘇らせたと言われている安岡正篤氏の著書も参考になるという。
 それでもハードルが高いと思っていたが、最近、安岡正篤氏の孫にあたる安岡定子さんの著書「渋沢栄一と安岡正篤で読み解く論語」という本を読んでみた。安岡定子さんは子供への論語教育に力を入れていて著書も多い。このような親しめる本で論語に触れるとハードルも低くなるかもしれない。
 自分自身の心棒になるような書籍をもつということが「正しい信念」につながる。何歳になろうと始めるのに遅すぎるということはない。常に「今から」を心がけ、生きる上での心棒となるようなものを求めていきたいと思う。
(多摩の翡翠)

2022年6月13日第7148号

梅雨の季節には紫陽花が似合う

 梅雨の季節がやってきた。しっとりと雨に濡れたアジサイ(紫陽花)の花が、この季節には似合う。日本固有の植物とされるアジサイが、最初に書物に登場したのは奈良時代、最古の和歌集『万葉集』だ。
 言(こと)問はぬ木すら味狭藍(あじさい)諸弟(もろと)らが練(ね)りのむらとにあざむかえけり〈大伴家持〉。諸弟は家持と女性との間の使いをしていた男の子。「物を言わないアジサイのような木である私でも、恋しているというあなたの諸弟への巧みな言葉に、すっかり騙されてしまったのです」
 安治佐為(あじさい)の八重咲く如く八つ代にをいませ我が背子(せこ)見つつ偲はむ〈橘諸兄〉。「アジサイが八重に咲くように、あなたも末永く健やかに過ごしてください。この花を見るたびに、あなたを想っています」
 古くから日本人に親しまれてきたのだろう。万葉集では紫陽花の表記は使われていない。馴染みのある紫陽花の表記は平安時代。学者で歌人の源順(みなもとのしたごう)が、中国の白楽天の詩に記されていた紫陽花と、日本でよく知られていたアジサイが同じものだと考えた。
実際は別種の植物だったとされるが、これをきっかけにアジサイに紫陽花という漢字があてられるようになった。アジサイは土壌の酸性度によって花の色が変わる。一般に酸性ならば青、アルカリ性ならば赤になると言われている。
 また、多くの花言葉があり、花の色ごとに存在する。時期によって花の色が変化することから付けられたのが「移り気」や「浮気」「無常」。一方、ポジティブな「辛抱強い愛情」「元気な女性」「寛容」「和気あいあい」「家族」「団欒」というのもある。この花言葉から近年、母の日にはピンクのアジサイが好んで贈られているそうだ。
 母よ――/淡くかなしきもののふるなり/紫陽花いろのもののふるなり/はてしなき並樹のかげを/そうそうと風のふくなり/時はたそがれ/母よ 私の乳母車を押せ/泣きぬれる夕陽にむかつて/轔々(りんりん)と私の乳母車を押せ/赤い総(ふさ)ある天鵞絨(びろおど)の帽子を/つめたき額にかむらせよ/旅いそぐ鳥の列にも/季節は空を渡るなり/淡くかなしきもののふる/紫陽花いろのもののふる道/母よ 私は知つてゐる/この道は遠く遠くはてしない道
 三好達治が大正15年に発刊した『測量船』に収められている「乳母車」の詩だ。母への切ない慕情が溢れる。
 日本原産のアジサイは自生していたガクアジサイ。江戸時代、長崎の出島に居たドイツ人の医師シーボルトによって欧州に紹介された。それが品種改良され西洋アジサイとして大正時代に逆輸入されたという。
 瑞々しい明るさと同時に、どこか怪しげな美しさも感じさせるアジサイ、近代短歌にもよく登場する。
 紫陽花も花櫛したる頭をばうち傾けてなげく夕ぐれ〈与謝野晶子〉。アジサイの花を花櫛に見立てたものだか、嘆くのは晶子自身でもある。
 森駈けてきてほてりたるわが頬をうずめんとするに紫陽花くらし〈寺山修司〉。15歳で詠んだというから驚く。燃えたぎる恋情か、鬱々とした将来への不安か、わけもなく抑えきれない青春の激情を感じさせる。
 昨日より色のかはれる紫陽花の瓶をへだてて二人かたらず〈石川啄木〉。色が変わったアジサイ、二人の心変わりを暗示しているのだろうか。
 思いきり愛されたくて駆けてゆく六月サンダルアジサイの花 〈俵万智〉。愛されたいとサンダルのままアジサイのそばを駆けていく。溌剌とした若き女性の想いが伝わってくる。
 梅雨は鬱陶しいが、たまには気分転換にアジサイを求めて歩くのも楽しい。しかし、花は決して口にしてはならないという。有毒な物質が花や葉にあり、食中毒の危険性があるとされる。妖艶さも感じさせるアジサイの所以だろうか。鑑賞するだけに留めておきたい。
(和光同塵)

2022年6月6日第7147号

短期の課題と長期の課題

 仕事をしていると、目の前の急ぎの仕事に追われがちになる。一方で、すぐには対応しなくても良いものの、長い目で見ると放っておくことができない重要な課題というものもある。
 『完訳 7つの習慣』(スティーブン・R・コヴィー著)という自己啓発書がある。とても示唆に富む内容の本であり、詳細を語るのはとても小欄では足りないが、同書に「時間管理のマトリックス」という話が出てくる。 我々の活動を決める要因として「緊急度」と「重要度」の二つがあり、物事への取組は、①緊急かつ重要なもの、②緊急でないが重要なもの、③緊急だが重要でないもの、④緊急でなく重要でないもの、の4つに分類できるというものだ。
 「緊急度」の観点から見ると、①は、緊急かつ重要に対応しないといけない案件で、危機対応のようなものが該当し、やらないわけにはいかないものだが、③は、目に見える急ぎの用事で、どうしてもやらないといけないという気持ちになるものの、実はそれほど重要でないものも含まれる。他方、②は重要なことだが緊急ではないため、後回しになりがちであり、これをやるには「能動的」に動き、「率先力と主体性が要る」ことになる。このような長期的な観点から重要な課題を検討し実行に移していくことは、我々の実感としても、多忙な日常生活では難しいと感じられることでもある。
 国政のレベルで長期的課題を考えてみると、それこそ枚挙にいとまがない。国の借金が増えるばかりの中で財政再建への道筋をどうするのか、少子高齢化社会が進み、どのように出生率を高めるのか、国家予算の制約の中で、社会保障費の増加にどう対応するのか、高度経済成長期を中心に整備された生活インフラストラクチャーの劣化(橋梁、道路、上水道等)の維持補修をどうするのか、国の防衛の在り方をどう見直し、防衛費はどうすべきか、そして教育はどうあるべきか等々。
 当然、コロナ禍への対処やウクライナへのロシア侵略を受けた経済面での影響対策といった短期でやらねばならない重要課題もあり、ひいては長期につながるものも出て来ようが、例えば明治初期のように、国のありようを積極的に議論し導いていくような、「能動的」で「率先性と主体性」のある政治を期待したいものだ。
 では、日本郵政グループではどうだろうか。喫緊の重要課題として、お客様の信頼確保、冷え込んだかんぽ営業の立て直し、一人負けの宅配便個数増加等、沢山ある。コロナ禍では、日本郵政グループでサービスに従事する社員がエッセンシャルワーカーであることが改めて認識されたことは記憶に新しく、まさにユニバーサルサービスたるゆえんだ。
 地域密着のこの事業体を末永く機能させていくための長期的な課題は何であろうか。民間企業の側面からは、収益を伸ばして費用をやりくりし、利益を生み出し続ける構造が必要であり、そのためには常に社会環境の変化に対応して、仕事のやり方も変えていかねばならない。
 更に、グループ特有の性格としては、ユニバーサルサービス提供主体であることから、経営の土台としての郵便局の在り方も考えていかねばならない。例えば、自治体や地域とのかかわり方、置局、要員の配置等、様々な切り口があるだろう。
 では、先に述べた②の重要課題を先送りした果てに待つものは、何だろうか。国政レベルでは、ハイパーインフレーション、財政破綻、地域社会の崩壊等。そして最終的に国力低下が避けられないといったところか。日本郵政グループではどうだろうか。読者の想像にお任せするが、明るい未来を築けるよう、「能動的」な動きと「率先性と主体性」により、中期経営計画のもっと先を考えて具現化する経営を期待したい。
(コン・ブリオ)

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