コラム「春秋一話」

 年/月

2021年4月12日 第7087号

日本人の心を揺さぶる桜

 「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」〈在原業平〉。桜は日本の代表的な花の一つである。“桜前線”としてニュースにもなるほど、人々が開花を待ちわびる。桜を愛でる心は万葉の時代から和歌として詠まれてきた。
 今年も桜前線は南から北へと日本列島を彩っているが、今ごろは青森の弘前城の辺りだろうか。4月下旬には北海道に上陸する見込みだそうだが、気象庁によると今年は記録的な早い開花という。
 「人々の嘆きみちみつるみちのくを心してゆけ桜前線」〈長谷川櫂〉。東日本大震災から今年で10年。福島第1原発事故もあり、未だに避難生活を余儀なくされている人は約4万人もいる。復興には程遠いが、桜を見て励まされる人々も多いだろう。震災による人々の嘆きが満ちている東北、その人々の心も想って、桜前線よ北上せよと願う。
 「桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり」〈岡本かの子〉 。春の息吹を秘めて“桜が力一杯に咲いている。私も全身全霊をかけて眺めている”。日本人にとって桜にはなぜ、これほど深い想いがあるのだろうか。華やかにぱっと咲き、そして短い間に散りゆく潔さ、それが日本人の心を捉えたのだろうか。
 民俗学者の柳田国男は「信濃桜の話」の一節に「諸処方々に老木のしだれがあり、そのありかも神社仏閣、その他霊地といってよいような場所が多いことは、信州とあまりかわりがない。…神霊が樹に依ること、大空を行くものが地上に降り来らんとするには、特に枝の垂れたる樹を選ぶであろうと想像するのが、もとは普通であったかといふことである」と記す。しだれ桜は地上への神の通り道であったのだろうか。
 「ほれぼれと桜吹雪の中をゆくさみしき修羅の一人となりて」〈岡野弘彦〉。長閑な春の日に咲き乱れ、その美しさに心惹かれても、風と共にはかなくも散ってしまう桜。桜は「神聖なもの、神を思わせるもの」でもあり、生と死の象徴でもあったのか。「願わくば花の下にて春死なむその如月の望月の頃」〈西行〉
 日本人の心を揺さぶる桜。戦前は戦意高揚に使われた歴史も持つ。「貴様と俺とは同期の桜/同じ兵学校の庭に咲く/咲いた花なら散るのは覚悟/みごと散りましょ国のため」〈同期の桜〉。太平洋戦争の際に、人々が好んで口にした軍歌だ。国のために華々しく散る姿を、桜花に喩えた。軍とは何かを改めて考えさせられる。
 現在でもなおミャンマーで軍による虐殺ともいえる圧政が存在する。国際社会も強く非難しているが、一刻も早い穏やかな暮らしが戻ることを祈る。国民を守るのが軍であるべきだが、軍は軍の都合でしか動かなかった時代は、日本でもつい数十年前にあった。
 終戦前の満州では住民を置き去りにした。軍へ協力を強いた沖縄でも然りだ。痛ましい時代があった歴史を胸に刻んでおきたい。その反省の上に立ってのシビリアンコントロールの徹底を常に考えておきたい。
 「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな」〈伊勢大輔〉。コロナ禍で花見も自粛している人も多い昨今、来年は思い切り花を楽しむことができることを心から願う。「清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき」〈与謝野晶子〉。
 桜が咲く季節といえば、入学式や卒業式、入社式など人生の一大イベントに臨む人も多いだろう。別れの悲しみ、出会いの喜び…人それぞれに想いを馳せる時期だ。日本郵政グループでも1678人が新たな門を叩いた。日本郵政の増田寛也社長は「創造性と挑戦意欲」への期待を表した。
 「いやはてに鬱金(うこん)ざくらのかなしみのちりそめぬれば五月はきたる」〈北原白秋〉。「いやはて(弥終)」は最後。桜の中でも最も遅く咲き、珍しい薄黄色の花を咲かせる鬱金桜、かなしくも散り始めてしまうと5月がくるのだと惜しんでいるのだが、時の過ぎ行くのも早い。新入社員の皆さんが五月病などに罹ることなく、新緑の芽吹きのように力強く人生を歩んでほしいと願う。
(麦秀の嘆)

2021年4月5日 第7086号

郵政創業150年、新たな基盤を

 明治4(1871)年の近代郵便制度開始から150年。この象徴的な年に、郵政関係では様々な出来事が控えている。これらがどのように進展していくかで、郵政事業の次代の発展の基盤が定まっていくとも言える。いくつか具体的に見てみたい。
 まず、グループ中期経営計画が5月に発表予定だ。お客様の信頼回復が一丁目一番地であるのは当然として、グループを成長軌道に乗せていく具体的な絵姿をどのように提示できるか。社員、株主、地域住民等、多くのステークホルダーが固唾をのんで見守っている。
 特に、金融関係では、新たな金融営業の在り方がどのように実感を伴って打ち出されてくるだろうか。渉外要員は日本郵便からかんぽ生命へ出向とされた。これまでとは異なる方向に舵を切った形だが、総合的な金融コンサルティングを、郵便局窓口の社員と「新」渉外社員とでどのように成長させていけるか。この取組みが金融事業の成功事例となれば、歴史的超低金利の下での金融分野での一つの成長モデルになるかもしれない。
 そして郵便・物流関係では、荷物分野をいかに伸ばして利益の柱とするのか。今秋以降、改正郵便法を受けて郵便サービスが見直される予定だ。これまではサービス向上を専ら行ってきた郵便事業が、土曜日の普通郵便休配等、サービスの「切り下げ」に踏み切ることとなる。
 この見直しがなかったとしても郵便物は減少し続けるし、足元ではコロナ禍で郵便の減少に拍車が掛かっているとも見える。今回の見直しを顧客にしっかり周知、理解を得て、ユニバーサルサービスである郵便の安定提供を図りつつ、荷物中心の経営基盤に移行していく契機とせねばならない。
 法改正ではもう一つ、地方自治体の業務の郵便局への委託拡大がこの通常国会で審議される予定だ。農協も地方銀行等も撤退してしまい、集落に残ったのは郵便局しかないという冷徹な現実に直面する地方。また、地方自治体としても厳しい懐事情の中で、限られた資源を選択し集中したい思惑。そのマッチングだ。
 郵便局の収益がこれにより大幅に増加するわけではないが、転出届の受付等への事務拡大で利便性がアップし、願わくは経済的基盤もこれに伴わせて、地域に密着した郵便局が存続できるのであれば、少子高齢化・過疎化の中で現実的選択肢の一つとなるだろう。
 さらに、世の中全体の動きとして、デジタル化の進展は待ったなしだ。郵便局という物理的拠点を構える郵政グループにも避けて通れない道だ。荷物の差出・受取のしやすさ、金融サービスの提供・受容形態など、あらゆる場面でデジタルに取り組まないと、顧客から見向きもされなくなるだろう。しかし、発展の機会でもある。郵政グループがデジタルをどれだけ深化できるかは、主に本社の舵取りに掛かっている。
 最後に、地球環境を考慮し持続可能な事業を行うための道筋をいかにつけるかだ。電気自動車・二輪車はじめ、幅広い事業領域を持つ郵政グループ。意欲的に取り組めば、世界的投資家も放っておかない流れだ。むしろ、取り組まないと見向きもされなくなる。2050年に向けて、更なる具体化が期待される。
コロナで社会が変わる真っ只中でもあり、創業150年という大きな節目の年。郵政事業は、変わるところ・変わらないところそれぞれにつき、臨機かつ機敏に対処しながら、進化を遂げる可能性を有している。
(ケーニヒスベルク)

2021年3月22日 第7084・7085合併号

現場が知る中間管理職の頑張り

 その昔、郵便配達をしていた時のこと。今は集配業務に携わる人たちは、書留のバーコードをポケットリーダーで読み取ってから配達に出ているが、私が集配をしていた時はまだポケットリーダーは無く、単に書留を冊数だけ数えて配達に出ていた。
 一日中本格的な雨に見舞われたある日のこと。自分は悪天候でも配達が順調に終わり、早く帰局して、郵便物の事故処理などをしていた。
 定時で帰ろうとした時に、班長が帰局した。班長は困った顔をして「書留の配達証が1枚見当たらないんだよ」と嘆いていた。配達証を受け取り忘れた、あるいはどこかに落としてしまったか、あらゆる可能性を考えつつ、課長や課長代理らに話をし、ひとまず配達証を探しに再び班長はその日の配達担当区へと向かった。
 同じ班の先輩は「ほっときな。さ、早く帰ろう」と言ってあがっていったが、私は何となく心配だったので、そのまま帰らずに班長が戻ってくるのを待っていた。それから2時間近く経っていたと思う。ようやく班長が帰ってきた。合羽を着たままの姿で「いや~、配達証見つかったよ。雨が降っていたから書留カバンに(配達証が)くっついていたよ」と、安堵の表情を浮かべていた。
 何はともあれ、事なきを得たということで、私は帰ることにした。その時だった、課長が来て「わざわざ待っていてくれたのか。ごくろうさん、ありがとうね。私もそろそろ帰るから、遅くなっちゃったけど、良かったら軽く飲みにいくか」と誘ってくれた。私は「あ、いいですよ。行きます」と答え、着替えを済ませて、局の最寄駅近くの居酒屋へと行った。
 お酒を飲みながら、課長から「いつもよく頑張っているね。仕事にも慣れて、もうすっかり班のエースだ」など、身に余る言葉をいただいたりしつつ、いろいろと話をしていた。
 そのうち、ため息をつきながら、課長の表情がだんだん曇っていった。私が「課長、どうしたんですか」と聞くと、課長は「課長っていうのもいろいろと大変なんだよ。局長に『君みたいな人間は管理者として失格だ』って言われたよ」と漏らした。
 具体的にどんなことがあったのか、などについては言葉を濁したが、正直驚いた。私にとって課長は本当に良い人でしかなかった。当時の職場は規模の大きい郵便局で、人数も多かったが、課長は私も含めて職員一人ひとりのことをちゃんと見ていて声もかけてくれて、仕事の面でもしっかりやっていて、全く持って悪い印象など無かった。私の同期の中でも「課長はいい人」という評価だった。
 見えない部分で管理者として、様々な問題に対処しながら苦労していたのかな、なかなか思うようにいかないことも多々あったのかな、いろいろなことが頭を巡りつつ、明確には覚えてはいないが「え、そうですか。課長はいつも元気ですごく頑張っていらっしゃると思います」というような月並みな言葉を掛けた。
 帰り道、ずっと課長の言葉を思い起こしながら、「もっと気の利いた言葉をかけられなかったのだろうか」と、自己嫌悪になっていたのを覚えている。
 もし今の自分がタイムスリップして、その当時のその場にいたとしたら、私は「局長は課長の職場での姿をほとんど見ていないですけど、課長はしっかりと職場をまとめていますよ。現場の人たちはみんなちゃんと見ています。だから私はこうして毎日元気に、仕事にやりがいを感じて頑張れるんです」、そんなふうに課長に言葉を掛けられたのに、と思った。
 課長は社会に出てから初めての直属の上司。良い人に出逢えたと今でも思っている。
(九夏三伏)

2021年3月15日 第7083号

「出る単」と不易流行

 先日、仕事で青春出版社の編集担当の方とご一緒する機会があった。名刺交換をした後に、「青春出版社さんには随分お世話になりました」と話しかけたところ、「『出る単』ですか」とすぐに返事があった。
 「出る単」とは青春出版社が発行している参考書「試験に出る英単語」のことであり、私は一度大学受験に失敗しているので2年間に渡り使っていた参考書だが、それからでも40年以上経ち、掲載されている単語も随分変わったでしょうと聞いたところ、何と1967年に発売されて以来、掲載の単語はほぼ変わっていないとのことである。
 本書の著者は1955年から13年間、都立日比谷高校の英語教師をしていた森一郎氏。多くの東大合格者を輩出していた当時の日比谷高校に注目した出版社が、英語教師だった森氏のノウハウを聞き、そのノウハウに基づいた英単語集を出版し、それ以来ロングセラーになっているという。
 途中に単語の追加や変更などがあったのではと聞くと、75年に時事的な単語が6語追加された以外は、掲載単語に変更はなく、91年の著者病没後は、ご子息の森基雄氏が受け継ぎ、97年に二色刷り印刷に赤い暗記用シートを付けたことが唯一の改訂だそうだ。
 2010年にはTBSテレビで放映されている「がっちりマンデー」で40年を超えるロングセラーとして取り上げられ、その後現在までの発行部数は1500万部を超えているという。
 発行された1967年といえば、現代のようなパソコンやインターネットがある時代ではない。著者は地道に試験問題から単語を抽出、整理して単語集として掲載し出版したわけである。その地道な努力に驚くとともに、それが現代まで変わらずに使われていることにさらに驚きを覚える。
 なぜ、これほどまでに長きにわたって使われ続けているのか。それは出版時の著者の考え方「最少の時間と最少のエネルギーで最大の効果を狙える単語集を作る」という理念に表れている。
 そのための具体的な方策として①アルファベット順ではなく重要な単語から配列②収録語数を最小限度にする(約1800語)③一つの単語に一つの訳語④語源から記憶法を記すという4点を挙げている。これが今日まで一貫して続いている本書の原理である。
 本書のことを改めて調べていて「不易流行」という言葉に思い至った。「不易流行」とは「決して変わることのない不易性と、絶えず変化し続ける流行性は本質的に同じである」という松尾芭蕉の俳諧理念の一つである。著者の森一郎氏が俳人でもあったということでもないだろうが、「試験に出る英単語」の理念にこの不易流行が当てはまるように思う。
 コロナ禍により世の中が大きく変わっている。自宅でのテレワーク、商談、会議のリモート化など、コロナ禍前には想像もしていなかった現実が始まっている。一昨年まで、ノマドワークや無駄な会議の改善策などが書籍で紹介されたりしてはいたが、ここまで現実化すると誰が想像しただろうか。経営コンサルタントの小宮一慶氏は今の状況を「未来が早くやってきた」と表現している。
 50年変わらぬ「試験に出る英単語」の原理、未来が早くやってきた現実、コロナ禍によって変わった日常は元に戻ることはないだろう。この現実を企業としてどのように受け止めて対応していくのか。日本郵政グループも例外ではないだろう。今まさに「不易流行」を考えさせられる。
(多摩の翡翠)

2021年3月8日 第7082号

実体経済と乖離した株価

 コロナ禍で消費や生産活動が落ち込み、中小企業をはじめとして経営は厳しい。非正規雇用の失業も増えているという。 
 東京株式市場の日経平均株価が2月15日に終値で3万84円となった。終値として3万円の大台を超えたのは、バブル期の1990年8月2日の3万245円以来、30年半ぶりだ。
 しかし、多くの国民は生活実感と比べて違和感を覚えるのではないだろうか。2月16日には3万467円75銭の高値となった。
 実体経済がコロナ禍で低迷する一方で株価が上昇するという異常さだ。株価の上昇は実体経済と乖離した作られたものと指摘する専門家は多い。
 海外からの投資マネーと日銀の公的マネーが押し上げているとされる。日本の株式市場は売買の約7割を外国投資家が占める。コロナ危機対策として、各国の中央銀行が大規模な金融緩和を実施した。
 昨年1年間でアメリカ、欧州、日本などで供給された資金は740兆円を超えるとされ、その資金が株式市場に流れ込んでいる。
 格差が拡大している状況下で、大企業や富裕層への余剰資金となり、株式市場に流れ込む。日本証券業協会によると株式を保有しているのは16.1%、投資信託は10.9%で、株式の保有率は20%強程度。コロナ禍で苦しんでいる人々への直接投資が求められる中、株主だけが儲けるような現状では問題だ。
 日銀マネーの株式市場への投入では、ETF(株価指数連動型上場投資信託)を昨年は7.1兆円も買い入れた。株式市場に資金を投入、株価を引き上げた。中央銀行の株価への直接介入は日本だけの異常さだ。公的年金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)も株式に投資している。
 公的資金を使っての株価上昇は、富裕層への優遇との指摘もうなずける。昨年の東京23区の中古マンションの平均価格(70平方メートルあたり)は5766万円と3.6%値上がったという。大企業の内部留保も増え、資本金10億円以上の大企業の内部留保は237兆円に達するとされる。
 国際NGOのオックスファムが毎年1月に公表している報告書では、格差拡大に警鐘を鳴らしている。コロナ禍に苦しんだ昨年、世界の富裕層上位10人の資産が5400億ドル(約56兆円)増加したと試算する。
 「世界で最も裕福な人々は、新型コロナウイルスによる損失をわずか9か月以内に取り戻したが、世界の貧困層が損失から回復するには10年以上かかる可能性がある」とし、コロナ禍による影響は平等ではないと強調。コロナ禍からの景気回復を実現するカギは、より公正な経済だとする。
 大企業の株価は上昇、99%を占める中小企業は厳しい選択を迫られている。雇用についても有効求人倍率が大きく低下している。
 昨年度の有効求人倍率は1.18倍と前年度から0.42ポイント低下した。下げ幅としては第1次オイルショック後の1975年の0.59ポイントにつぐ45年ぶりの大きさだ。
 特にコロナ禍の直撃で宿泊・飲食業、小売業の求人は30%以上も減った。コロナ禍の影響で昨年2月からの経営破綻は1000件を超える。完全失業率は前年度から0.4%上昇し2.8%になった。11年振りの上昇だ。非正規雇用、特に女性が著しく減っている。コロナ禍の影響が色濃く出ており、今後も厳しい情勢が続くことが予想される。
 かつてGDP(国内総生産)の6割を占めていた個人消費は5割台にまで低下。非正規雇用は働く人の4割近くにも達している。女性では半数を超える。雇用の“調整弁”などであってはならない。
 非正規雇用の増加は経済を脆弱にし、貧富の拡大など社会的課題をもたらす。コロナ禍で経済が落ち込む中、こうした社会の歪みを正すことが急務と言えよう。雇用対策の充実が求められる。
(麦秀の嘆)

2021年3月1日 第7081号

行動原理は定着しているか

 かんぽ不適正問題を端緒に、「創業以来の危機」に直面した日本郵政グループ。お客様は置いてきぼりとなり、社会の信頼を失い、3か月の業務停止命令という行政処分を受ける結果となった。
 その原因は「かんぽ生命保険契約問題 特別調査委員会」の報告にあるように、一部の募集人のコンプライアンス意識の低さのほか、高実績者に依存せざるを得なかった状況、上司も看過して不適正が黙認される雰囲気が醸成されたこと、営業目標必達主義の下で厳しい営業推進管理などがあった。
 また、本質的な問題として、根本的原因は追究されず問題が矮小化されたこと、さらに重層的な構造の中、郵便局の実態が把握されなかったことなどが指摘された。これらを受け、2020年1月に日本郵政グループの3社トップが交代。適正な営業推進態勢づくり、コンプライアンス・顧客保護を重視する健全な組織風土の醸成、顧客や社員の声等からのリスク分析や内部統制強化等のガバナンス強化が図られた。
 このうち、重要な取組の一つに、経営理念の再度確認、原点に立ち戻る活動が挙げられる。グループ会社社員に「経営理念ハンドブック」を配付し、日本郵政グループの経営理念、経営方針、行動憲章、グループ各社の経営理念を再認識し、社員の行動のよりどころとしようというものである。
 多くの企業において、平時のほか、大きな問題が発生したときに、創業の精神、創業者の理念、あるいはその企業の存在する根本的意義に立ち戻る動きが見られる。企業といっても人の集合体であり、永続的に事業を行っていくために、これは重要な営みである。
 前島密翁が明治維新直後に作り上げた郵便制度。江戸時代の通信を担った飛脚などの関係者を巻き込み、新事業の財源にメドをつけ、短期間に郵便制度を作り上げたことに思いを致すと、現代人にしてみれば、郵便はむしろ古いメディアに属するが、その構想から実現までの尽力は、とてつもない努力の結晶である。
 前島翁は「縁の下の力持ちになることを厭うな。人のためによかれと願う心を常に持てよ」を信条としていた。この言葉の、日本郵政グループにおける今日的意義は何であろうか。それを探る一つのヒントは、「ハンドブック」が実際どのように活用されているかではないだろうか。
 経営理念を自覚し、しかも実施できているか。すなわち、社員自身の血や肉になっているか。まずは、会社幹部(役員、支社長等)が率先垂範しているか。中間マネジメント層は実践できているか。そして、社員一人ひとりが、頭で理解し、行動も起こしているか、お客様とは前島翁の精神で接しているか。
 他社の例を見ると、日本航空が経営危機に直面した際、高齢の稲盛和夫氏が再建を担った。その薫陶を受け、同社のサービスや商品に携わる全員がもつべき意識・価値観・考え方である「JALフィロソフィー」(フィロソフィーは、哲学、価値観といった意味を持つ)が同社社員自ら策定された。これを教育し、根付かせていった。
 「フィロソフィー」が浸透するに従い、仕事に対する姿勢、考え方が変わっていったという。会社として、継続して定期的に研修を行うほか、社員の自主的な勉強会も行われている。
 日本郵政グループでも、行動の原点について、改めて社員一人ひとり、とりわけ率先すべき立場の者が、自分ごととして、胸に手を当てて考えてみてもよいかもしれない。
(連環子)

2021年2月22日 第7080号

心の傷はずっと残るもの

 意図的にではなく言った言葉が、相手を傷つけてしまうことがある。
 小学校低学年の時のこと。担任の先生は女性だった。ノートに親が算数の計算問題を書いて、それを解いて答えを記入して、親に丸付け(採点)してもらって先生に提出すると、「よくできました」というスタンプを押してもらえる、という学習を毎日していた。
 ある時、私がノートを提出すると、先生はこう言った。
 ―これ、自分で(問題を)書いて自分で丸を付けたんじゃないの?―
 ショックだった。一生懸命頑張って、スタンプを押してもらうのが楽しみで、毎日やっていることなのに、どうして…
 帰宅後、母に話をしたら、母は自分が毎日ちゃんと問題を作成して書いて丸つけもしている旨を連絡帳に書いてくれた。
 翌日、連絡帳を先生に提出した。うろ覚えだが、「そっか、ごめんね」というようなことを言われたような気がする。
 小学校中学年の時にはこんなこともあった。担任の先生は男性だった。授業参観の日で、多くの保護者が教室に訪れる中、どの教科だったかは忘れたが、担任の先生が何かの質問をみんなにした。誰もわからずに、挙手する人もいなかった。私もいつもならすぐに手を挙げるところだが、パッと答えが思い浮かばずに、自分から挙手はしなかった。
 誰も挙手をしない中、先生が私を指名した。突然指名されたので戸惑ったが、まずは起立をして、自信は無かったが、こうかな…と思うことを答えた。すると先生はこう言った。
 ―お前の喉はガンか?―
 「えっ?」と思って呆然とし、そのまま着席した。そこから後のことは頭が真っ白になったような感じで、ほとんど覚えていない。
 ただ、家に帰ってきてから1人で泣いていたことだけは覚えている。
 その後、母が帰宅した。母によると、授業参観の後で行われた保護者会の中で、先生の私に対する一言が相当批判の的にさらされたようだ。母も私に「あれはひどいよ」って言ってくれた。
 翌日、すっきりしないまま学校へ行った。すると先生が来て、「ちょっと言い方は悪かったけど、もっと元気よく答えてほしかったんだ」というようなことを言った。それに対して私はどんな反応をしたのかもあまりよく覚えていない。
 それ以降、登校拒否になったわけでもなく、普通に登校はしていた。ただ、先生に対してはどこか壁を感じるようになった。自分からはほとんど先生に話しかけることも無くなった。
ふと昔を振り返った時、やはりいくつになっても思い出してしまう出来事だ。
 その後、中学、高校、大学を経て社会に出たが、その間に言葉で傷ついたことは何度もあった。
 しかし、自分自身も成長しているので、それなりには受け止められるようにはなった。ただやはり、傷ついた言葉は記憶から完全に消し去ることはできない。
 心無い言葉で、人によっては心が折れてしまうこと、トラウマになってしまうこともあるだろう。
 学校であれ職場であれ、集団の中では人と接することになる。
 人に言葉をかける、指導をする、注意をする、そうした場面も当然出てくるだろう。そうした時に、相手はどういう人なのか、温厚なのか、物静かなのか、はきはきしているのか、どんなふうに受け答えするのか、そうしたことを一歩立ち止まって考えて、相手に合わせて言葉をかけることが大事だと思う。
 もし本意ではないにせよ、相手を傷つけるようなことを言ってしまったならば、しっかりとフォローすることも大切だ。
 相手をいかに思いやれるか。難しいテーマだが、特にこれからの時代、必ずや必要になってくることだと思う。
(九夏三伏)

2021年2月15日 第7079号

好評の「地球の歩き方・東京」

 「地球の歩き方」というガイドブックをご存知の方も多いだろう。海外の観光名所や宿泊施設、現地で役に立つ細かい事情などを紹介する1979年刊行の定番ガイドブックである。約40年前、第1弾として「アメリカ」編と「ヨーロッパ」編の2冊が発行されたが、その後、世界各地を紹介するシリーズとして100タイトル以上が刊行されている。このシリーズに昨年9月、初の国内版として「地球の歩き方・東京」が刊行され、発売以来、既に7刷8万部とベストセラーとなっている。
 出版社によると「東京五輪を記念し、採算度外視で始まった計画、これで売れなかったら国内版は売れないと考えていた」と、当初は五輪をきっかけに日本各地から上京してくる観光客やビジネスマンの需要を狙ったそうだ。五輪の延期で当初の目論見は外れたが販売は好調である。
 これだけ販売好調な理由は海外版に親しんできた愛読者の需要を喚起したこともあるが、潜在的に国内の旅行需要が根強いことを物語っているのではなかろうか。しかし、昨年来のコロナウイルス感染拡大の影響を受けた観光需要の落ち込みは大きい。「鎖国状態」とまで表現される海外からの訪日客の激減、そして日本人の海外旅行の激減は深刻だが、意外にも旅行消費額に占める海外需要は低い。
 2019年の日本国内の旅行消費額は27.9兆円であるが、このうち訪日外国人の需要は4.8兆円(17.2%)、日本人の海外旅行需要は1.2兆円(4.3%)であり、全体の8割近くは日帰り旅行を含めた国内旅行である。昨年来コロナウイルスの影響で海外からの旅行者がほぼ0に近くなっているが、旅行業界にとって最も大きな打撃は国内旅行を控えた日本人の需要である。
 このような時期に国内の旅行ガイドブックがベストセラーになるのはどのような理由だろう。そのヒントが「地球の歩き方」事業をめぐる出版社の動向にも関係があるようだ。
 1979年刊行の「地球の歩き方」は出版社ダイヤモンド社の子会社であるダイヤモンド・ビッグ社が発行していた。同社は「地球の歩き方」をはじめとする海外旅行ガイドブックの出版を中心に事業を展開していたが、新型コロナウイルスによる海外旅行関連の事業が大きく変動したことを受け、学研ホールディングスの子会社である学研プラスという会社に今年1月に事業譲渡された。
 買収した学研プラスは「今後の二大成長戦略である“DX”と“グローバル”での拡大に寄与するものとして事業を譲り受けることとした」と述べている。学研プラスはここ数年の間に電子出版、デジタルサービス事業企業、教育のICT化ノウハウを持つ企業を吸収合併している。これらを総合すると、今後、デジタル技術をさらに発展させ、紙の出版物とデジタルとを組み合わせた旅行需要だけでなく様々なサービス展開を目論んでいるのだろう。
 「地球の歩き方・東京」の好調さはこのような企業戦略の方向が決して誤っていないことを証明しているのではないだろうか。コロナウイルスが早期に終息し、このような将来予想が現実のものとなり、国内旅行だけでなく海外旅行にも心置きなく出かけられることができるようになることを願いたい。
(多摩の翡翠)

2021年2月8日 第7078号

124年振り、2月2日の節分

節分や鬼もくすしも草の戸に(高浜虚子)
 くすし(薬師)とは医者のこと。新型コロナウイルス感染症の防止のため、2月2日となった今年の節分は、様々な行事も工夫を凝らして行われた。
 風物詩ともなっている千葉県成田市の成田山新勝寺の節分会、恒例の大相撲力士や歌舞伎俳優らを招いて、特設舞台で行われる豆まきは中止された。コロナ禍でも豆まきを安全にと、鬼の顔をプリントしたフェースシールドも発売された。

節分やよむたびちがふ豆の數(正岡子規)
 數は数の旧字体。節分会は立春前日に厄災を払い、一年の幸を祈る伝統行事。節分の夜、鬼を追い払う(厄を払う)ために、「福は内、鬼は外」と連呼し、一般的には年男が豆をまく。豆は「福豆」とも呼ばれ、家庭では父親が鬼に扮し、子どもが楽しんで豆を投げただろう。コロナの邪気も払いたい。
 健康を祈り数え年の豆を食べる風習のある地域もある。もともとは大晦日の行事で、新暦になり大晦日・元日と節分・立春が大きくずれたため、年取りの行事ではなくなった。年齢よりも一つ多くの豆を食べる風習は、その頃の名残である。
 節分とは季節の分かれ目で、もともとは立春、立夏、立秋、立冬の前日を指した。今では立春の前日を呼ぶことが多い。立春がずれると節分もずれることになる。
 地球が太陽を一周する時間は365日と6時間弱。端数があることから4年に1回、1日を増やして調整する。うるう年だ。1年間を二十四節気に当てはめて運用しようとすると、少しずつ誤差が生じ、その調整のため立春も動く。毎年、国立天文台が発表する。
 立春の日が2月3日(節分は2日)になるのは1897(明治30)年以来124年ぶりという。次に節分が2日となるのは2025年だそうだ。逆に約37年前の1984(昭和59)年は立春が2月5日で節分が4日だったそうだが、記憶にある人はいるだろうか。

わがこゑののこれる耳や福は内(飯田蛇笏)
 昨年は「鬼滅の刃」の映画が話題となったが、そもそも鬼とはどういうものだったのだろうか。地域によって民俗学的な背景があるだろうが、祖先の霊、人間の心情、さらには大和朝廷が支配領域を広げていく過程で反抗した人々ともされる。鬼伝説は各地に残っているが、東北地方に多い。鉄や砂金などの産地で、中央集権国家にとって支配下に置くことが重要だった。
 各地において道祖神、すなわち“境界”の守り神として信仰を集めたのが地蔵。境界のあちら側、いわば異境に鬼はいるとされた。あちら側は日常の秩序ではなく、神秘的な非日常が立ち現われるという観念が生じたが、同時に鬼は悪魔を払い幸せをもたらす神でもあった。秋田の「なまはげ」に代表されるように、来訪神としての鬼も各地に受け継がれている。鬼にちなむ祭りも多い。
 民俗学者の折口信夫は“かみ”と“おに”の同義説を出した。それらは「人間の心に動く哀切な両面」で、「われわれ自身が孤独な現代の鬼であることの証拠かもしれない」と、歌人の馬場あき子は『鬼の研究』(1971年)で述べる。
 また、鬼は「体制が付与し強制した烙印に過ぎない」「人間的なエネルギーの発散者」「鬼とはやはり人なのである」と、 大衆によって投影され受容されてきた鬼のイメージと実体とを探っていく。馬場は「目に見えぬ鬼とはいかに苦しみて尾根より行きし人のこころぞ」と詠う。
 語り継がれてきた鬼、人との関わりは深い。異形・魔物というイメージの強い鬼だが、実は人間性をときに代弁している。鬼は個々の人間の心の中に存在しているとも言えよう。鬼は「人間とは何か」を突き付けているのだ。

豆とりて我も心の鬼打たん(志太野坡)
 古くから季節の変わり目は、健康に注意をと戒められてきた。疫病や災害など人知を超えたものを払う祈りの節分も過ぎた。今一度行動を引き締め、コロナ退散といきたい。同時に己の邪念や私利私欲などを省みる、良い機会となったとしたら幸いだ。
(和光同塵)

2021年2月1日 第7077号

人口減少は諸悪の根源か

 昨年は5年に一度行われる国勢調査の年であったが、国内では人口推移の統計として国勢調査とは別に「人口動態統計」という調査が行われている。
 国勢調査が「静態統計」と呼ばれるのに対して、市区町村に出生、死亡、婚姻、離婚の届出が届けられた都度、その全数を行政側で調査票に転記し、これを厚生労働省がまとめ、月報、年報で公表されているため「動態統計」と呼ばれている。
 厚生労働省はこの取りまとめ結果を確定値で公表するとともに、毎年末に年間推計を公表している。
 推計項目は、出生数、死亡数、自然増減数、婚姻数、離婚数の5項目であり、自然増減数からその年の人口増減数を推計している。
 ところが、昨年12月21日に厚生労働省は2020年の年間推計を行わないことを公表した。年間推計値は前年の確定値に対して、当年10月までの速報値などを使い算出しているが、2020年は前年までと各種数値が異なっているという。
 具体的には、死亡数が10月までの累計で減少、婚姻件数が大幅に増減、離婚件数が昨年4月以降大幅に減少しているなど例年と異なり、これらのデータを元に機械的に算出した場合、実態と乖離することが想定され、1971年に推計を開始して以来初めて公表しないこととなった。
 ただ、この例年と異なる数値が新型コロナウイルス感染拡大と関係しているかについては分析できていないという。
 一方、2020年の国勢調査の結果は、一部が本年6月頃に「人口速報集計」として発表されるが、今回の調査でもどこまで人口減少が進んでいるか注目される。
 日本の人口が2011年から減少していることは、2015年の国勢調査で明確になった。
 2010年の国勢調査時に1億2800万人だった日本の人口は、5年後に1億2700万人と約100万人減少しており、これらの情勢から50年後の2065年には9000万人、100年後には5000万人とまで推計されている。
 さらに、2019年末の人口動態統計の推計値では自然減数が一段と進み、1年間で約50万人減少している。少子高齢化問題など「人口減少こそ諸悪の根源」と言われる所以である。
 しかし、今回の人口動態統計が推計不能となったように、不確定な要素は今後も現出する可能性はあり、また、今後の国内の政策によっても動向は変わる可能性を秘めている。
 そもそも日本では過去に人口増加が問題になっていた時期もある。
 明治維新期の1886年に3400万人程度だった日本の人口は終戦時には、およそ7200万人と倍以上になっている。戦前からの政府による海外移住の奨励、産児制限などの対策によっても人口増加を抑制することができず、1960年代には住宅難という新たな問題が発生し、郊外への住宅地開発が加速され、その都度「人口さえ減れば問題は解決する」と言われていた。
 ところが、1990年代になり人口減少の兆しが明らかになると、手のひらを返したように「人口減少こそ諸悪の根源」と言われ始めたわけである。
 人口動態統計の異常数値がコロナ禍によるものかは不明であるが、今回のコロナ禍により、テレワークなど働き方の変革や生活様式の変容など、これまでにない変化が日本に訪れている。
 この変化を契機に日本という国のあるべき姿が見直され、人口減少に伴う少子化、高齢化などを初めとした社会の諸問題について良い解が導き出されればと願う。
(多摩の翡翠)

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