コラム「春秋一話」

 年/月

2021年6月21日 第7097号

「Z世代」が担う日本の将来

 最近「Z世代」という言葉を様々なメディアで目にする。「世代」という言葉を辞書で調べると、「親・子・孫など、同じ血筋を引いたそれぞれの代」という意味と「時をほぼ同じくして生まれたり、時代的経験などを共有したりしている一定の年齢層。ジェネレーション」の二つの意味がある。日本国内でよく使われる「団塊(だんかい)の世代」は2つ目の意味で使われており「Z世代」も同様である。
 「団塊の世代」という言葉は1976年に発表された堺屋太一氏の小説「団塊の世代」により名付けられたものだが、1947年から1949年の3年間に生まれた約800万人の加齢とともに、オイルショックを経た日本経済がどのように変容していくかを描いた未来予測小説である。いまこの物語を振り返ってみると1976年当時に経済企画庁の官僚だった著者が描いた未来が、社会の中で現実のものとなっていたことがわかる。
 高度成長期を支えてきた団塊の世代であるが、バブルの崩壊を境に日本経済は大きく変容し、2025年にはこの世代が後期高齢者となることにより医療保障制度が懸念される問題が大きくクローズアップされている。
 最近話題となっている「Z世代」は、1990年代後半から2015年頃までに生まれた世代を指すと言われている。1980年代以降、バブル世代、就職氷河期世代、ゆとり世代など、日本の社会情勢を背景にした名称で呼ばれてきたが、この「Z世代」はこれまでのように日本の時代背景を投影した呼び方ではなく、アメリカで生まれた概念がそのまま使われている。
 アメリカでは戦後の人口増世代をベビーブーマー世代と呼んでいるが、日本の団塊の世代が戦後の3年間に生まれた世代を呼ぶのに対して、アメリカのこの世代は1946年から1964年までの20年ほどの間に生まれた世代を指している。
 アメリカの人口は日本のように第二次大戦後の3年間だけ極端に増加したということはなく、この20年間ほど微増ないしは横ばいで推移しており日本とは異なる。アメリカではこのベビーブーマー世代に続く世代を、ジェネレーションX、ジェネレーションY、そして1990年代後半から2015年頃までに生まれた世代を引き続く形でジェネレーションZと呼んでいる。
 この呼び方が日本でも使用されたということであるが、これまで日本では世代の呼び方を社会情勢に合わせていたのに、何故この世代だけアメリカで使われた呼び方をそのまま使用することになったのだろう。
 世界的にデジタル化が加速してきたのは90年代後半であるが、「Z世代」が育ってきた時代はさらにデジタル化が進み、生活の中でデジタルを活用することが当たり前の真のデジタルネイティブ世代、SNS世代とも呼ばれ、他者との関係性にも変化が現れる。
 これは世界の先進国ではどの地域でも同じであり、デジタルネイティブの世代は個人中心の考え方からダイバーシティ(多様性)やインクルージョン(一体性)という考え方に基づき、他者との関係性を重要視するようになってきたと言われている。
 戦後の高度成長が終わり、バブル崩壊からの終わりの見えない失われた時代、そして世界的なパンデミックなど、混沌とした現代の日本。かつて団塊の世代が高度成長期を担ったように、新たな世代である「Z世代」がこれからの日本の将来を担い、希望をもたらすことができるのか、注目していきたい。
(多摩の翡翠)

2021年6月14日 第7096号

加速する少子高齢化社会

 晩婚化や出産を控えざるを得ない経済状況、一方での医療技術の進歩などに支えられた高齢化、少子高齢化社会の進展が加速している。
 日本は2011年頃から人口減少の局面に入っている。このまま推移すれば2065年には約8800万人になると推計されている。
 合計特殊出生率(一人の女性が生涯に産む子どもの数)が1.36(2019年)。人口維持に必要とされる2.08を大きく下回っている。一方で高齢化率(総人口に占める65歳以上の割合は28.9%で世界最高だ。
 総務省が5月4日に4月1日現在の子どもの数(15歳未満)を明らかにしているが、昨年から19万人ほど減少し1493万人となった。
 1982年から40年連続で減少、過去最少だ。男子が765万人、女子が728万人。年齢別では12~14歳が324万人、9~11歳が314万人、6~8歳が298万人、3~5歳が292万人、0~2歳が265万人。年齢が低いほど少なくなっている。
 総人口は1億2541万人で、子どもの割合は11.9%、昨年より0.1ポイント下がり、こちらも過去最低。1950年(35.4%)に3分の1を超えていたが、第1次ベビーブーム(1947~49年)、言わば団塊の世代が誕生した後は、出生数の減少に伴い低下を続け、65年には約4分の1になった。
 70年代前半には第2次ベビーブーム(71~74年)の団塊ジュニアの出生を反映して、僅かに上昇したものの75年からは再び低下し、97年には65歳以上(15.7%)を下回る15.3%となり、それ以降47年連続で低下している。
 また、昨年からの新型コロナウイルス感染症の拡大によって、2020年の妊娠届が減少している。厚生労働省が5月26日に公表したが、87万2227件で、前年の91万6590件と比べると4.8%減少した。
 今年1月も7万6985件と前年の8万2835件から7.1%の減。今年の出生数は80万人を割り込むのではないかと指摘される。
 妊婦や胎児への影響への不安から、妊娠を控える傾向にあるとされる。ますます少子化が加速する。
 国連人口統計年鑑(2019年版)によると、人口4000万人以上の33か国で、日本は最も低い水準。諸外国は韓国12.2%、イタリア13.3%、ドイツ13.6%、中国16.8%、フランス17.7%、イギリス18.1%、アメリカ18.6%などとなっている。
 高齢者(65歳以上)は3630万人で28.9%を占める。1950年には411万人、4.9%だったが、割合は一貫して増加している。少子高齢化が一段と進んでいるのが現状だ。2013年には団塊ジュニアが出産適齢期の上限とされる39歳を過ぎた。
 少子高齢化は人口減少による経済活動の縮小や現役世代の社会保障の負担増などにより、長期的には社会の活力を削ぐ、バブル崩壊に伴う“失われた20年”などへの対応に追われ、政治は有効な手を打ってこなかったとの指摘もある。しかし、人口増が全てを解決してくれるのだろうか。
 地球環境への負荷を考えても、経済の成長と人口増加が無限に続くことが良いとは限らない。SDGsへの関心も高まっている。地域で資源を回す循環型の持続可能な社会の仕組みを構築すべきだろう。自然との共生など田園回帰の若者も増えているという。
 経済成長や人口増が社会の活性化につながるとの頸木から外れ、一人ひとりが幸せに生きるとは何か、成熟した社会とはと考えることも重要だろう。
 高齢者を支えると同時に子どもを育てやすい環境の整備も急がれ、こうした分野で働く人の待遇改善や新たな事業の形成が求められる。地方創生に地域の拠点としての郵便局ネットワークの活用も期待される。
 日本と面積が近く、経済的に豊かとされるドイツは約8000万人、フランス、イギリスが約7000万人。また、子育てしやすい環境の整備、合計特殊出生率が回復したフランスやスウェーデンでは、出産・育児手当といった経済的支援と同時に、保育の充実や就労の両立支援が有効とされている。
 日本の保育や介護に携わる人の収入や労働環境は厳しい。これらの分野の需要は必ず拡大する。少子高齢化社会の進展が著しい日本、国家予算の使い方、企業の公平な税負担などの解決、非正規雇用の拡大による格差是正が急務だ。
(和光同塵)

2021年6月7日 第7095号

中期経営計画の更に上を目指せ

 5月14日、2020年度決算と共に、日本郵政グループの新しい中期経営計画である「JPビジョン2025」(中計)が発表された。お客様の信頼回復を第一の取組として、「共創プラットフォーム」を方針として打ち出し、これまでの郵便局ネットワークというリアルの資産に加えて、デジタル化を推進し、グループ外の企業等と連携することで価値を創造し、より豊かな生活・人生を実現させていくというものである。
 昨年11月に中計の「基本的考え方」を事前に公表し、グループ社員にも意見を募集するなど、これまでにない開かれた姿勢で策定された。また、対象期間も5年として、3年よりも長期の視点に立った意欲的な見通しでもある。
 発表後の世の中の反応はどうか。金曜日の発表後、週明け月・火曜日の日本郵政の株価は、中計や決算の結果を反映したというよりは、株式市場全体の中での動きに影響されたもののように見える。大手紙の報道を見ても、中計本来の経営の方向・取組ズバリというより、金融2子会社の株式処分の方が注目されたようである。
 中計の内容については論点が数々あるが、いくつか考えてみたい。
 第一に、リアル×デジタルの郵便局の価値について。デジタル郵便局という考え方は、コアビジネスとデジタル化とを相乗させて伸ばすという意味で王道と言える。では、デジタル郵便局とは、どのようなサービスなのであろうか。実際にお客様が「これは便利、使える!」と思えないと前途は開けない。
 現在でも、ゆうパックのスマホ割、再配達の申し込み、電子内容証明郵便の受付などはネット対応しており、ゆうちょダイレクトもウェブで提供している。まさかそれらを束ねましたで終わりとはならないであろうが、具体的で魅力的なデジタルサービスを期待したい。デジタル面でも、競合他社との違い、メリットを感じられるようにしたいところである。
 第二に、会社ごとに労働力減少の具体的数値を何人分と発表している点。これはこのグループにとっては思い切った決断と言えよう。採用減により無理なく減らすというのは理解しやすいし、賛同は得やすい。
 このうち日本郵便では、郵便物は今後も継続して減少する、金融2社から受け取る手数料は減少するという厳しい経営環境の下で、労働力減の詳細な内訳は不明であるが、郵便局ネットワークは維持しなければならないのであるから、窓口局は、二人局を増やすのであろうか。何らかの柔軟な運営方法を実施するのであろうか。方向性について、少なくとも社員には更に丁寧に説明すべきであろう。
 最後に、目標である着地の数字について。25年度の日本郵便の営業利益では、郵便・物流で330億円、郵便局窓口で50億円と、20年度実績からいずれも大幅減である。これだけ立派な計画を実践しても、また楽天と提携してもこの水準しか見通せないのは、相当な厳しさである。定性的な面では、今回の中計の取組内容は正鵠を得ている。しかし、5年後の目標値が「追い付いていない」点の評価は分かれるところであろう。
 世の中には、中計を発表したのに市場にほぼ無視される大企業もあると聞く。日本郵政グループは今回の中計を理由に株価が理不尽な動きとならなかったことは幸いと思うが、叡智を結集して策定したせっかくの中計である。完遂し、否それ以上に実施し、計画を上回る数字を達成することで、グループの更なる発展につなげることを期待したい。      
(連環子)

2021年5月31日 第7094号

協力し助け合える関係を

 かつて集配業務をしていた時のこと。同じ班に当時、大変お世話になった副班長がいた。その人は労働組合の重鎮で、仕事がとてもできる人だった。
 ある時、私が配達をしていて、とあるマンションに郵便を配達しようとした。そのマンションは3階建てで、1階に集合受け箱が設置されていて、いつもそこに郵便物を配達していた。
 その集合受け箱の中の1つが、それまで表示されていた名前と部屋番号が無くなっていることに気が付いた。引っ越したのかな、と思い、マンションの階段を上ってその部屋の前まで行った。
 すると、ドアノブに、新規入居者へ向けた電気・ガス・水道関係の申込書が袋に入ってぶら下がっていた。電気メーターを見たところ、完全に止まっていた。
 これは間違いなく引っ越したなと思って帰局後、配達原簿を修正した。とはいえ、転居届が出るかもしれないので、暫しその人(Aさん)宛ての郵便物は保管をしておいた。
 1週間を過ぎた頃、転居届は出ていないので、班長に相談し、Aさん宛ての郵便物は保管していたものも含めてその後、転居先不明で還付処理をしていた。
 すると数日後、Aさんから「住んでいるのに勝手に還付しやがって!」との強い苦情申告が来ていると、課長から言われた。一瞬「え、なんで?」と思った。事情が良く分からないまま、気が重いけれどもAさんのところへお詫びに行かなくては、と思った。
 その時だった。そのやり取りを聞いていた副班長が「あ、いいよ行かなくて。これは俺が行ってくるから」と言ってくれた。自分としてはその言葉に甘え、お願いすることとした。
 その日の帰局後、ほどなくして副班長が戻ってきて、多くは語らずに「あの件は大丈夫だから」とだけ言ってくれた。私は「すいません、ありがとうございます」と応えた。副班長は時間ギリギリだったこともあって、必要なことを済ませると、すぐに退勤して行った。
 同じ班の先輩たちの話で、その後に分かったこと。「Aさんは非常にたちの悪い人物である」「今までにも郵便局や郵便配達に関する苦情が何度となくあった」「借金を抱えているらしく、よく失踪する」。
 この時、なぜこういうことが起こったのかというと、借金の取り立てから逃れるため、引っ越したことを装い、前述のようにもぬけの殻に見せかけ、実際はどこかに身をひそめていて、ほとぼりが冷めた頃に戻ってくる腹積もりだった、ということらしい。
 後日、副班長に改めてお礼を言ったところ、「(Aさんは)かなり荒っぽい、たちの悪い奴なんだよ。でも俺は昔からよく知ってる奴だから。大丈夫、気にしなくていいよ」とのことだった。
 こうして事なきを得たわけではあるが、もし私が直接Aさんと対峙していたら…と考えると、何とも言えない不安にかられる。
 その後、私なりに「引っ越したのかな、というケースに遭遇したら、可能な限り管理人や管理会社に聞いて確認してみる」「時間が経ってから転居届が出るケースもあるので、当該者宛ての郵便物は1か月くらいのある程度長い期間で保管をしておく」など、対応策をいろいろと考えた。
 仕事をしていると、予期せぬ場面に遭遇することがある。自分がトラブルに巻き込まれるかもしれない、あるいは同僚がそうなるかもしれない。
 同じ部署、セクションで普段仕事をしている間柄で、何かトラブルが起こった際に自然に助けてあげられる、あるいは助けてもらえる、そうした人間関係を日頃から築いておくことは大切だなと思った。もちろん自分が先輩・同僚に甘えてばかりではいけないが…
(九夏三伏)

2021年5月24日 第7093号

令和への改元から2年

 2019年5月1日の令和への改元から2年経ち、改めて日本の元号、改元について調べてみた。
 元号はもともと年号と呼ばれていたものだが、明治維新の際に正式に元号という呼び方になった。改元とは元号(年号)を変えること、改めることを指すが、日本では1300年以上の歴史の中で248回に及ぶ改元が行われている。
 私たちの年代では昭和から平成、そして今回の令和への改元しか記憶にないが、日本の歴史ではこれほど長い伝統あるものとなっている。
 日本の最初の元号は「大化」である。飛鳥時代、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)が朝廷の実力者・蘇我氏を討ち、天皇を中心にした国家づくりを始めた「大化の改新」の際に制定されたものである。中国(当時は唐)に派遣されていた遣唐使が日本に持ち帰ったものであり、中国をモデルにした国づくりをしようとした意思表示と言われている。
 その後、大化、白雉(はくち)と続いたものの、すぐには根付かず、途絶えた時期もあり、現代まで続く元号のスタートは701年を元年とする「大宝」である。この年、大化の改新から半世紀以上を経て「大宝律令」が完成し、国家統治の基本となる法典が整備され、その中に「公文書などでは年号を用いよ」という一条が定められ、以後、途切れることなく現在に至るまで元号が使われ続けている。
 このような経緯のある元号であるが、モデルとなった中国では、ラストエンペラー溥儀(ふぎ)で有名な清朝が滅亡した1911年の辛亥革命により廃止され、他の東南アジア各国においても元号を使用している国はなく、現在、元号を制定しているのは世界で日本だけである。
 これまでに改元が248回行われているが、元号制定時の天皇から今上天皇までは約90代であり天皇一代に一元号でないことがわかる。
 明治維新前までは、災害が起こったときや慶事があったときなど様々な理由で改元され、また、室町時代の初期には、天皇家が南朝と北朝にわかれて争い、それぞれに別の元号を立てていることなどから多くの改元が行われてきたが、江戸時代最後の元号となる慶応から明治に元号が変わる際に、明治政府は、改めて天皇を中心とした国家づくりを目指すため天皇一代につき元号を一つとする「一世一元の制」を定めた。
 しかし、この制定も終戦後の日本国憲法の皇室典範には元号を定める規定がなく、昭和という元号が慣例として使用されていたため、昭和天皇の高齢に伴い、昭和54年に「元号法」が定められ、「一世一元の制」など元号の決め方について明確化された。
 1989(昭和64・平成元)年、昭和天皇の崩御による皇位継承により元号は昭和から平成に変わるが、その後、2016(平成28)年、現在の上皇から正式に生前退位の意向が表明された。2019年4月に「令和」が事前公表され、5月、約200年ぶりに天皇の譲位に伴う改元が行われ現在に至っている。
 令和改元から2年、昨年からの新型コロナウイルスの災厄が大きくクローズアップされ、医療機関の逼迫やワクチン接種の遅れなど日本の対策が他国に比べて劣っているとの批判の声が聞かれるが、それらの批判に対して国内で暴動などの行動として表面化することは今のところない。これも伝統と文化に根ざした日本という国だからだろうか。
 コロナウイルスが早期に終息し、再生とともに令和が希望の元号として親しまれる日が来ることを願う。
(多摩の翡翠)

2021年5月17日 第7092号

役職や立場に関わらず提言を

 かつて、本務者として郵便配達をしていた。その後退職し、暫し郵政から離れた後、ゆうメイトとして都内の郵便局に勤務した時のことだ。
 最初、出勤時間は9時30分だったが、その後9時出勤となった。その初日、9時ちょっと前には所属する班のところへ向かった。
 そして9時になると、何やら聴いたことのある音楽が流れてきた。そう。郵便体操だ。ラジオ体操みたいな伴奏で、「今日も元気に郵便体操をいたしましょう!」というアナウンスが流れ、「足を大きく横に開いて、大きく背伸びの運動」から始まる。
 本務者だった頃は毎朝、当たり前のように郵便体操をやっていた。当時は同じ職場の人たち、嫌々ながらも絵に描いたようにかったるそうに皆さん郵便体操をやっていた。ただ見た限り、やっていない人はいなかった。その郵便体操が終わると、作業に取り掛かっていた。
 私も9時出勤となってからは必然的に郵便体操をしていたが、別に嫌なわけではなかったので、それはそれでよかったが…。ただ、同じ班に1人、頑として郵便体操をしない人がいた。当時の某組合の幹部でもあったその人は「こんな中途半端な時間に郵便体操をやれというのはおかしい」との思いで、課長や課長代理等が注意しに来ても、頑なに郵便体操をやらずに黙々と道順組立をしていた。
 私も非常に違和感を抱いていた。「何で9時に郵便体操をやるのかな。8時の始業時間とともにやるべきものではないのかな」と。
 そんな日々が続く中、私はさらにあることが気になるようになった。9時に出勤してくる組立てのパートさんたちの存在だ。普通、9時出勤ですぐに仕事に取り掛かるが(記憶は定かではないが、パートさんたちのミーティングは職員・ゆうメイトが配達に出発した後の時間帯に行われていたようだ)、9時から郵便体操が始まるので、出勤して来ても特に何もせずに郵便体操が終わるのを待っている。さらに、郵便体操に引き続いて班ミーティングを行うので、何もしない時間が続くことになる。
 その後、私は班長に依頼され、8時出勤となった。8時から職員たちと一緒に仕事が始まる。郵便物の抜き出し、大区分、道順組立、という流れで仕事をしていた。
 そして9時になると郵便体操の音楽が流れ始め、課長や課長代理らが郵便体操をやるように呼びかける。やはり違和感はぬぐえない。私はゆうメイトの立場ではあったが、思い切って課長に次のような話をした。
 ▽9時から郵便体操をすると、9時に出勤してくるパートさんたちが何も作業ができない状態になっている▽9時という時間はほとんどの人が大区分を終えて道順組立をしている。転居・一部転居、転入情報など、班のなかで確認しながら集中して作業をしている時間帯。そこを一律に9時に郵便体操をすると、組立作業が強制的に中断させられ、集中力も途切れて誤配やトラブルの原因にもなる―という内容だ。
 課長はその間、頷きながら話を聞いていた。すると翌週月曜日、8時の始業直前に課長代理が大きな声で「今日から最初に郵便体操をやります。それから作業に入ってください」といった周知を行い、その日から8時に郵便体操をするようになった。某組合の有力者も、のびのびと郵便体操をしていた。組立てパートさんも9時に出勤してきて「あれ?郵便体操って無くなったの?」と一瞬キョトンとしていた。
 組織は例えば社長を中心に部長、課長、係長、一般社員、アルバイトなど、いろいろな立場の人で構成される。その中で、役職等に関わらず、疑問に思ったことを提言していくことは大切だと思う。
(九夏三伏)

2021年5月3日 第7090・7091合併号

風通しの良さと社員の声

 企業が健全に経営を行っていく上で、CS(お客様の満足)やES(従業員の満足)といった点が重視される。
 お客様の満足を得るには、まずは従業員が会社に対し満足感を持っていないといけないといったことも、当然のように考えられている。
 日本郵政グループが信頼回復のために変革を行っていく対策の一つに、風通しのよい組織にするという取組がある。従来、郵便局からすれば、支社、まして本社は手の届かない存在で、言いたいことはロクに言えず、あれやれ・これやれと「指示文書」一本で、それどころか何本も送り付けてくる存在という認識だったかもしれない(今でも?)。
 そのような中、社員の声をキチンと経営陣・本社が聴くことが極めて重要であるということは、言を俟たない。現に、日本郵政グループでは、社長直通のご意見箱に社員が意見を述べることができ、それをグループ各社社長が読む仕組みを確立している。
 意見を寄せる社員は、感じている問題を提起したり、これはと思うアイデアを提案したりして、経営陣に知らしめることで改善を促し、会社を良くしようと考えている。経営陣はそれを読んで、重要な気づきや提案は改善を試みるし、意見の一部には回答している。
 全体として見れば、かんぽ不適正問題の顕在化前と比較したら、現場の意見が直接経営陣に届く、改善につなげられているものがあるという意味で、コロナ禍の制約はあるが、風通しは間違いなく改善している。
 他方、40万人もの従業員がいるグループで社員が意見を出すのであるから、すべての意見に回答するのは、内容的にも、作業的にも困難だ。
 そうした現実の下で、会社に都合の良い意見だけに回答している、耳を傾けているのではないかという疑念が持たれる懸念がある。
 また、重要な案件であればあるほど、すぐ回答できないこともあろう。本社が回答した内容を読んだ社員が、突っ込み不足の答えと感じて満足しないという恐れもあり得る。さらには、回答されないことに対してフラストレーションが蓄積する場合もあろう。これらがかえって社員のモチベーションの低下を招く可能性も無きにしも非ずである。
 では、この仕組みを今後も円滑に稼働させていくために、何ができるだろうか。
 まず、本質的な問題に関する意見・苦情に対しては、どれだけ根本的な回答をできるか、または本社が行動で見せることができているかが重要だ。時間のかかる問題は方向性だけでも明示する、段階的に回答するなど、難しいが努力している姿勢を示す。
 本社のメッセージ、行動が社員の心にどれだけ響くかは、求心力・推進力を保つ上で大切なことだ。
 次に、意見を出したのに回答されないという不満にどう応えるか。すべての意見に回答できるわけではないということを改めて理解してもらう必要がある。
 例えば、新しいサービスの提案は、すべて取り入れることができるわけではない。あるいは、個々には回答できないが、こういう趣旨のご意見が複数あったのでまとめて回答します、という方法もあり得よう。
 また、色々な意味で「聖域」を作ると、不信が募る。今までのやり方はこうだからとか、制度がこうなっているから(できません)とか、または回答しませんというのでは、理解を得られまい。
 せっかくの仕組み、今後とも有益に運用したい。常に変革を求めなければ発展はないということは、ここでも当てはまることではないだろうか。
(コン・ブリオ)

2021年4月26日 第7089号

創業150年、新たな歴史に期待

 「郵政創業150年」を迎えた。前島密により明治4(1871)年4月20日(旧暦3月1日)、新式郵便制度が東京―京都―大阪を結び開始された。東京から差立てられた書状は134通、大阪・京都から東京へは40通、郵便取扱所などと呼んだ郵便局は179局だった。それから150年、郵便物数は約209億通、郵便局は2万4311局(3月31日現在)になる。
 郵便制度を創設、“郵便の父”と称される前島の功績は改めて言うまでもないが、江戸遷都、国学の改良、海運、新聞、電信電話、鉄道、教育、保険など多岐にわたる日本の近代化の礎を築いた。天保6(1835)年2月4日、越後国頸城郡下池部(新潟県上越市)に、豪農の上野助右衛門の二男として生まれ、12歳で医学の道を志して江戸へ。さらにペリー来航を機に国防を考え全国を周遊、慶応元(1866)年には薩摩藩の洋学校で講師も務めた。慶応2年に幕臣前島家の養子となる。
 「縁の下の力持ちになることを厭うな。人のためによかれと願う心を常に持てよ」との信条で、人々の生活を向上させる多くの施策を提案し続けた。明治44(1911)年、神奈川県横須賀市芦名の浄楽寺境内に「如々山荘」を設け、大正8(1919)年4月27日に亡くなるまでの晩年の8年間を過ごした。享年84歳。
 如々は白居易の詩にあり、「変わらぬさま」の意という。ここで自叙伝「鴻爪痕(こうそうこん)」を記す。鴻爪は前島の雅名。大きな水鳥が鴻(おおとり)。この渡り鳥が北に帰るときは爪痕を雪に残して心覚えとするが、再び来たときに雪は消えている。人の世の頼み難いことをいう故事に由来したとされる。
 墓所は浄楽寺本堂裏手の高台にあり、仲子夫人と共に眠る。毎年、前島の遺徳を偲んで行われていた墓前祭(「日本文明の一大恩人 前島密翁を称える会」=北風雄会長=主催)が、新型コロナウイルス感染症の影響で2年連続で中止されたのは残念だ。墓前祭には多くの関係者が集い、非凡な先見性、積極果敢な行動力による偉業を偲ぶとともに、前島精神を受け継ぎ、郵政事業への発展を誓ってきた。
 前島はNHK大河ドラマ「晴天を衝け」の主人公である渋沢栄一との縁も深かった。明治新政府は欧米諸国と肩を並べる“万国並立”の近代化政策を推進する部局「改正掛」を設けた。渋沢は掛長として尽力したが、有為の人材の一人として明治3(1870)年1月に前島を登用。同5月に駅逓権正に任じられ、近代郵便制度の確立を主導する。前島は建議書を太政官に提出した。
 「手紙を安全かつ迅速に往復させ、情報・消息を知ることにより、物資が広く行きわたる。国家の政治上でも重点事項で、個人の交際上も大切なことである。…試験的にまずは京都まで36時間、大阪で39時間の郵伝法を開設し、…安い料金で継達し、その手続きも簡単にするため書状賃銭切手を発行したい」
 駅逓権正に就任時の思いを、前島は「鴻爪痕」に「官たると民たるとを問わず、其音信を迅速に且つ安全に通達せしむることの切要なるは、猶人体に於ける血液運行の敏活自在を必要とするが如し」と述べている。
 新年度の開始に当たって、日本郵政グループの社長は、社員へのメッセージで、いずれも「郵政創業150年」に触れ、「大きな節目の年を成長の第一歩として、これまで以上にスピード感を持って取り組む」(増田寛也日本郵政社長)、「創業の精神に今一度立ち返り、将来の発展に向け変革の一年とする」(衣川和秀日本郵便社長)、「地域経済の発展に貢献、公共性と収益性を兼ねた使命を果たす」(池田憲人ゆうちょ銀行社長)、「信頼を回復し持続的な成長へ向けて歩み出す一年」(千田哲也かんぽ生命社長)と強調した。
 歴史を知ることは過去に学び現在、未来の指針と成すことにもなる。改めて郵政事業の150年を振り返り、新たな歴史を刻むことの意義を考えたい。
(和光同塵)

2021年4月19日 第7088号

「株式会社ほぼ日」と神田

 弊社の事務所は東京都千代田区神田錦町にある。
 神田といえば、神保町の古書店街、明治大学、日大理工学部などの駿河台キャンパス、スキー・スノーボード用品の小川町など人が集まる街並、日本三代祭に数えられる神田祭など、文化と伝統の街である。
 神田祭は、神田明神の祭礼で毎年5月中旬に行われるが、西暦奇数年には本祭、偶数年には蔭祭が行われる。より盛大に開催される本祭では「一宮」「二宮」「三宮」の3つの神輿をはじめ、平安時代の衣装をまとった巡行が行われる神幸祭が最大の見どころである。
 祭礼が近くなると、各町会では倉庫に保管された神輿を街頭に出し、注連(しめ)縄や紙垂(しで)などを玄関に飾る家も多く、通勤中の我々も町全体の熱い盛り上がりを感じられる。2019年は新年号となって初の大祭となり、メイン神事の神幸祭は数千人規模の大行列となった。今年は奇数年で本祭が行われる年であるが、感染症の影響により本祭ではなく蔭祭として開催され、昨年と同様に神幸祭などの諸行事は中止される模様である。
 一年以上にわたる行事の中止や飲食店の営業時間規制などにより街中には暗いムードが漂っているが、神田錦町界隈では明るいニュースもあった。
 9月、神田錦町2丁目に「神田スクエア」という地上21階建ての複合型ビルがオープンした。レストランやイベントホールもあるこのビルのオフィスフロア8階には任天堂が東京に点在していた事務所を集約して移転してきている。
 また「株式会社ほぼ日」も神田錦町3丁目に移転してきた。
 「株式会社ほぼ日」は、コピーライター糸井重里氏が代表を務める会社で、1998年からインターネットに「ほぼ日刊イトイ新聞」を開設後、日々更新、運営、コンテンツの制作などを行うほか、「ほぼ日手帳」をはじめとした文具、雑貨などの企画・開発・販売を行なっている。
 これまでは港区青山に事務所があったが、昨年11月に神田錦町3丁目のビル一棟を「ほぼ日神田ビル」として全社移転してきた。
 青山から神田への引っ越しの経緯について、糸井重里氏が語ったことがホームページに掲載されており大変興味深い。
 糸井氏は2005年に青山に事務所を移した理由を「世界中の人が欲しがっているものを予告編のように感じられ、自分たちの考えるべき水準を上げてくれると考えた」と語っている。
 それから15年経ち、海外の富裕層が増えたことにより、コンテンツを作る側としては徐々に行き詰まりを感じ、そろそろ移転してもいいのではと考えていた頃に、神田の喫茶店で、京都のような観光客と地元の住民が同じ空間で生きている場所特有の感覚を感じ、ビジネスマンが観光客的役割をして地元の飲食店の大きなお客さんになっていると思ったそうである。
 糸井氏は従来からの事業に加え、これからの日本に必要な事業は「教育」だとして、「ほぼ日ビル」内にあらゆる人が行き交う総合雑誌のような学校を目指した「ほぼ日の学校」を創設したが、今回の移転により、神田という街が自分たちの「初めての地元」となり、世界中の人たちに向けて、こういう面白いことをやる、こういう働き方ができる、こんな素敵な街があるということを発信し、結果として「ほぼ日」が神田の代名詞になるようにしたいと語っている。
 会社の移転について、ここまでその地域とのつながりを考え、将来に向けた自らの役割を発信することは、これからの新しい会社の在り方を伝えているように思う。
 神田からの「ほぼ日」の発信に注目したい。
(多摩のカワセミ)

2021年4月12日 第7087号

日本人の心を揺さぶる桜

 「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」〈在原業平〉。桜は日本の代表的な花の一つである。“桜前線”としてニュースにもなるほど、人々が開花を待ちわびる。桜を愛でる心は万葉の時代から和歌として詠まれてきた。
 今年も桜前線は南から北へと日本列島を彩っているが、今ごろは青森の弘前城の辺りだろうか。4月下旬には北海道に上陸する見込みだそうだが、気象庁によると今年は記録的な早い開花という。
 「人々の嘆きみちみつるみちのくを心してゆけ桜前線」〈長谷川櫂〉。東日本大震災から今年で10年。福島第1原発事故もあり、未だに避難生活を余儀なくされている人は約4万人もいる。復興には程遠いが、桜を見て励まされる人々も多いだろう。震災による人々の嘆きが満ちている東北、その人々の心も想って、桜前線よ北上せよと願う。
 「桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり」〈岡本かの子〉 。春の息吹を秘めて“桜が力一杯に咲いている。私も全身全霊をかけて眺めている”。日本人にとって桜にはなぜ、これほど深い想いがあるのだろうか。華やかにぱっと咲き、そして短い間に散りゆく潔さ、それが日本人の心を捉えたのだろうか。
 民俗学者の柳田国男は「信濃桜の話」の一節に「諸処方々に老木のしだれがあり、そのありかも神社仏閣、その他霊地といってよいような場所が多いことは、信州とあまりかわりがない。…神霊が樹に依ること、大空を行くものが地上に降り来らんとするには、特に枝の垂れたる樹を選ぶであろうと想像するのが、もとは普通であったかといふことである」と記す。しだれ桜は地上への神の通り道であったのだろうか。
 「ほれぼれと桜吹雪の中をゆくさみしき修羅の一人となりて」〈岡野弘彦〉。長閑な春の日に咲き乱れ、その美しさに心惹かれても、風と共にはかなくも散ってしまう桜。桜は「神聖なもの、神を思わせるもの」でもあり、生と死の象徴でもあったのか。「願わくば花の下にて春死なむその如月の望月の頃」〈西行〉
 日本人の心を揺さぶる桜。戦前は戦意高揚に使われた歴史も持つ。「貴様と俺とは同期の桜/同じ兵学校の庭に咲く/咲いた花なら散るのは覚悟/みごと散りましょ国のため」〈同期の桜〉。太平洋戦争の際に、人々が好んで口にした軍歌だ。国のために華々しく散る姿を、桜花に喩えた。軍とは何かを改めて考えさせられる。
 現在でもなおミャンマーで軍による虐殺ともいえる圧政が存在する。国際社会も強く非難しているが、一刻も早い穏やかな暮らしが戻ることを祈る。国民を守るのが軍であるべきだが、軍は軍の都合でしか動かなかった時代は、日本でもつい数十年前にあった。
 終戦前の満州では住民を置き去りにした。軍へ協力を強いた沖縄でも然りだ。痛ましい時代があった歴史を胸に刻んでおきたい。その反省の上に立ってのシビリアンコントロールの徹底を常に考えておきたい。
 「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな」〈伊勢大輔〉。コロナ禍で花見も自粛している人も多い昨今、来年は思い切り花を楽しむことができることを心から願う。「清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき」〈与謝野晶子〉。
 桜が咲く季節といえば、入学式や卒業式、入社式など人生の一大イベントに臨む人も多いだろう。別れの悲しみ、出会いの喜び…人それぞれに想いを馳せる時期だ。日本郵政グループでも1678人が新たな門を叩いた。日本郵政の増田寛也社長は「創造性と挑戦意欲」への期待を表した。
 「いやはてに鬱金(うこん)ざくらのかなしみのちりそめぬれば五月はきたる」〈北原白秋〉。「いやはて(弥終)」は最後。桜の中でも最も遅く咲き、珍しい薄黄色の花を咲かせる鬱金桜、かなしくも散り始めてしまうと5月がくるのだと惜しんでいるのだが、時の過ぎ行くのも早い。新入社員の皆さんが五月病などに罹ることなく、新緑の芽吹きのように力強く人生を歩んでほしいと願う。
(麦秀の嘆)

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