コラム「春秋一話」

 年/月

2024年12月23日 第7280・7281合併号

「絶対」と「相対」について

 世の中には「絶対」という言葉と「相対」という言葉がある。その違いは周辺の環境が変化してもその事象は変化しないのが絶対であり、周辺次第で変化するのが相対である。
 そこで不思議に思うのは、例えば走っている電車の中でボールを上に1㍍投げた場合、ボールは手元に戻ってくるまでにどれほど移動したことになるのだろうか。これは電車の中で投げた人からすれば、ボールは単に上下の直線運動をしただけだから2㍍動いたことになる。
 ところがそれを駅のホームに立っている人が見るとボールは放物線を描いて曲線運動となる。したがって明らかに2㍍より長い距離をボールが移動したことになる。電車が早く走れば走るほど放物線は長くなり、ボールが移動した距離も長くなる。
 例えば時速300㌔で走っている新幹線の中で同じ実験をした場合、新幹線の中では相変わらず2㍍しか動いてないのに、外からみれば一瞬のうちに何十㍍も移動したように見える。ボールが同じ運動をしても、移動距離が2㍍だったり数十㍍だったりするが、この場合、実際にボールが移動した距離はどちらが正しいのだろうか。
 結論から言うと、これはどちらも正しい。物が移動した距離というのはあくまで相対的なものであり、周りとの状況次第で変化する。したがって電車の中では2㍍動いたことになり、外からみればそれ以上の距離が実際に移動した距離になる。つまり相対と絶対が組み合わさってできているのがこの世の中の仕組みであり構造である。
 これは物理学上の話だが、言い換えれば私たちが生活しているこの世のすべてがこの相対と絶対の組み合わせでできているといっても過言ではない。全く同じ事象を見ても、見る角度や考え方次第で解釈が変わることもあれば、人間関係が壊れることもある。
 コップに水が半分残っていて、それを「まだ半分ある」と考える人もいれば「もう半分しかない」と考える人もいる。前者は喉が乾いていない人の発想であり、後者は喉が渇いている人の発想である。また、同じことを言われても、それを言った相手によって自分の心に傷がつく場合もあれば、冗談と受け止めて何とも思わない場合もある。
 いずれにしても私たちは判断する時には必ず何かを基準にして判断しており、言ってみれば私たちは相対で判断し、自分にとっての絶対を導いているのだと思う。先のボールの例に戻るなら、電車の中にいた人にとっては2㍍が絶対であり、それを外から見ていた人はそれ以上の距離が絶対である。そして彼らはお互いに相対である。
 こうして考えてみると、もしかしたら人間の幸・不幸も同様と言えるのかもしれない。人は自分が幸福なのか不幸なのか、自分自身を見ていただけでは判断がつかない。誰かと比較して初めて実感するのだろう。自分より不幸だと思える人を見れば「自分は幸福」と感じるだろうし、自分よりハッピーな人を見れば羨ましく思い、「自分は不幸だ」と嘆く。そこには絶対的な評価基準がない。
 自分自身で思っている幸福の度合いは、他の人から見たら必ずしもその通りではないのかもしれない。その逆もしかりで、「あの人はお金持ちで幸福だ」と思っても、本人はそうは感じていない可能性もある。お金があっても健康に不安があるかもしれない。お金もあり健康でも家族関係に問題があるかもしれない。莫大な資産を持っていても、それがあだになって相続問題に巻き込まれ、親族間で泥沼の争いになっているかもしれない。それは傍目には分からない。
 はたして自分は幸福なのか不幸なのか、時折わが身を振り返って自分の中に「絶対の幸せ」があるのかどうか考えてみるのもいいかもしれない。今年も早くも師走、来年も皆さまにとって幸多かりしことを祈ります。(有希聡佳)

2024年12月16日 第7279号

流行語で感じる時代の変化

 2024年の新語・流行語大賞が12月2日、発表された。年間大賞に選ばれたのは「ふてほど」。テレビドラマ「不適切にもほどがある!」の略称だ。何かとコンプライアンスが厳しくなった令和と、そうではなかった昭和を舞台に、昭和のダメおやじが令和にタイムスリップして、令和の停滞した空気をかき回す、という内容のドラマで、話題となった。
 「ふてほど」という略称だが、世間では聞いたことがない、ドラマも知らない、という声も多くあるようだ。中には「『ふてほど』が流行語大賞となること自体が不適切だ」という声もある。毎年、流行語大賞に選ばれた言葉はそれなりに分かる感じがしていたが、今回に関しては何とも微妙な感じが否めない。
 その他にトップ10に選ばれた新語・流行語は「裏金問題」「界隈」「初老ジャパン」「新紙幣」「50―50」「Bling―Bang―Bang―Born」「ホワイト案件」「名言が残せなかった」「もうええでしょう」。
 「裏金問題」・・・政治とカネをめぐる問題。10月に行われた衆議院選挙でも大きな影響を与えた。
 「界隈」・・・同じものが好きな人同士、仲間や近い存在といった新たな意味合いで使われ始めた。本来は地理的に「その辺り一帯」というような意味の言葉。
 「初老ジャパン」・・・パリ五輪の総合馬術大会で銅メダルを獲得した日本代表チームの平均年齢が41歳だったことが話題となり、「なんとかジャパン」があったほうがいいかということで、自ら命名したという。初老と呼ぶにはまだまだ若い気もするが・・・。
 「新紙幣」・・・7月3日から、一万円札=渋沢栄一、五千円札=津田梅子、千円札=北里柴三郎の各肖像画で新紙幣が発行された。電子決済が進む中、果たして次の新紙幣発行はあるのか・・・。
 「50―50」・・・大リーグ・ロサンゼルスドジャース所属の大谷翔平選手が、今シーズンは打者に専念。1シーズンで初めて50本塁打、50盗塁をクリアし、最終的に54本塁打、59盗塁を記録した。来シーズン以降、再び二刀流として復活し、どれだけ活躍するか楽しみだ。
 「Bling―Bang―Bang―Born」・・・ヒップホップユニット・Creepy Nutsのヒット曲。サビ部分がダンス動画で話題となった。妙に耳に残るフレーズで、どことなくロシア民謡のように感じた。
 「ホワイト案件」・・・社会問題となっている闇バイト。募集の際、そうではないことをアピールする際に用いられた。それにしても闇バイト、留守宅ではなく普通に人が暮らしている家に強盗に入るなど、凶悪な事件が続発している。バイトなんかではなく立派な犯罪だ。厳罰化するなど、早急に対策を講じてもらいたい。
 「名言が残せなかった」・・・パリ五輪陸上女子やり投げで、女子フィールド種目として日本選手初となる金メダルを獲得した、北口榛花選手の言葉。金メダリストしか鳴らすことのできない鐘を大喜びで鳴らしている姿が印象的だった。
 「もうええでしょう」・・・Netflix配信のドラマ「地面師たち」で、ピエール瀧さん演じる元司法書士の関西弁による恫喝セリフ。Netflixは国内外の映画やドラマ、アニメ、ドキュメンタリーなどの幅広いコンテンツを配信する定額制の動画配信サービス。日本国内の総会員数は1000万世帯を超えている。そこでの作品が流行語大賞のトップ10に入ってくるあたり、時代なのかなと思った。
 「界隈」のように、時代とともに意味が変わっていく言葉もあるんだな、そんなことを率直に感じた。
 この先もそうした言葉が出てくると思うが、本来の意味も忘れてはいけないと思った。(九夏三伏)

2024年12月09日 第7278号

時間の長さは変化する

 今年も既に12月、年齢のせいか、1年があっという間に過ぎていくとの思いだ。一般的に時間の長さは不変と考えるのが普通であろう。しかし子どもの時より大人になるにつれて時間を短く感じないだろうか。
 これに対する解釈には一つの理論がある。それは10歳の子どもにとっての1年は人生の10分の1だが、50歳の大人にとっては50分の1の長さでしかない。したがって大人の方が何倍もの速さで1年が過ぎていくというものだ。
 この「年齢時間」の説はその通りだと思うが、一方で楽しいことをしている時は時間があっという間に過ぎてしまい、イヤなことをしている時はなかなか時間が過ぎないということもある。これは「感覚時間」というもので、これはこれで確かにその通りだと思う。こうしてみると同じ長さの時間なのに人の年齢や感覚によって時間が伸び縮みすることになる。
 ところでこうした感覚的な長さとは別に時間の長さそのものが変化するかという議論もある。16世紀のガリレオガリレイは「時間の長さは変化しない」という考えを振り子によって証明したが、そこから約100年後にはその原理を応用した「振り子時計」がオランダのホイヘンスによって考案された。
 これで「時間の長さは一定」という概念が庶民にも広く浸透したが、ニュートン力学がさらにそれを強固なものにした。ニュートンは「時間はいかなるものにも影響されず、必ず過去から未来に向けて一定の速度で突き進む矢」だと定義した。これは「時間の矢」とか「絶対時間」と表現され、この「時間の長さは変わらない」という考えはその後数百年も常識とされてきた。
 しかし20世紀になってその考えに待ったをかけた天才が現れた。アインシュタインである。彼は移動する速さによって時間の長さは変化することを特殊相対性理論で証明した。彼の理論によると、光の速度(秒速30万㌔㍍)の80%のスピードで進むと時間は約40%遅くなるそうだ。そして光速に近くなればなるほど時間は遅く(短く)なる。そのため光速に近い宇宙船に乗って数年後に地球に戻ると、地球上ではその何倍もの年月が経っていて自分の子供や孫のほうが年上になっている現象が起きるそうだ。
 これは空想ではなく、アインシュタインが実際に数式で証明している事実である。つまり理論上、速い速度で移動すればするほど時間が経つのが遅くなり、光を超えると過去に戻ることになる。ところが光は絶対速度であるため決してそれ以上の速度で移動ができない。人類が将来どんなに早い乗り物を開発しても光より早く移動できないので、タイムスリップは理論上「未来には行けても過去には戻れない」というのが物理学の定説になっている。
 過去には行けないが未来には行けるとしても、人間が光の速さに近い乗り物で移動するなどほぼ永遠に不可能であろう。要するに我々は過去にも行けず未来にも行けないとすれば現在を生きるしかない。
 そして前述した「感覚時間」で時間の長さを自分に教え込むしかない。時間を短く感じながら人生を楽しく過ごすか、辛い思いをしてでも時間(人生)を長く感じた方がいいのかは各人の判断次第であろう。筆者は前者を選択するが、読者の方々はどうだろうか。(有希聡佳)

2024年12月02日 第7277号

通信地図を創案した「郵便中興の恩人」坂野鉄次郎

 「郵便中興の恩人」と呼ばれる坂野鉄次郎が通信地図(郵便地図)の作成に着手したのは、120年前の1904(明治37)年12月だった。
 当時、集配業務を円滑に行うための資料は、陸軍参謀本部の地図か集配郵便局長が作成した図面だった。しかし、参謀本部の地図は地名などが詳しく表示されておらず、完全に網羅されていない地域もあった。集配郵便局長の作成した図面は見取図程度のものが多かった。そこで、郵便事業の発展のために独自の正確な地図が求められていた。
 当時は日露戦争の最中だったため、内信課長を務めていた坂野は戦地などの緊急施設に忙殺されていたが、通信地図の研究を推進し、通信地図規程の制定に漕ぎつけたのだった。そして、当時としては巨額の20万円を投じ、全国集配郵便局長を総動員し、測量技師を雇い入れて調製を進め、ついに1906年末に全国の通信地図が完成した。
 通信地図規程は、地図上に郵便区界(集配業務のために定めた区域の境界)、地名、集落ごとの戸数、郵便関連施設、道路の距離などを記載するよう定めていた。
 通信地図は便物の集配、郵便局やポストの設置などの郵便事業計画策定のための基礎資料として使われてきた。長く一般には非公開だったが、1949(昭和24)年に郵政弘済会から市販されるようになった。
 通信地図の完成は、坂野の能力に負うところが大きい。坂野は1873(明治6)年11月、岡山県御津郡野谷村(現在の岡山市北区)に生まれた。東京帝国大学法科を卒業後、逓信省に入省。1915(大正4)年に退官した後は、中国合同電気(現中国電力)社長、貴族院議員などを務めた。
 坂野による様々な規定の導入は、彼の卓越した指導力と数学的頭脳なくしては実現できなかったかもしれない。もともと坂野は数学と地理が得意だったようだ。坂野の部下で、後にNHK常務理事を務めた新名直和氏は次のように回想している。
 「事物の真相を把握し将来の傾向を予断する直観力と相俟ちて一切の立論を緻密なる計数的基礎に置く翁の規画が水も漏らさぬ精密さと盤石の如く揺ぎ無き確実性を有する」(『坂野鉄次郎翁伝』)
 我が国の郵便事業は、坂野の指揮によって、「目の子算用」から「数学的・科学的」になったとも評価されている(石井寛治「近代日本の郵政官僚に関する覚書」『郵政博物館研究紀要』第13号)。
 通信地図規定制定から50周年を迎えた1955(昭和30)年、郵政省郵務局施設課長を務めていた浅野賢澄氏は先人の卓見を称え、地図の調製・改善に取り組んできた調製従業員の努力に感謝したうえで、「我々の通信地図は、日本の地図の中で建設省地理調査所調製の5万分の1の地図を除いて、全国津々浦々に至るまで調製されている唯一の地図である」と述べた(『郵政』昭和30年2月)。
 現在、自動運転や無人配送など次世代サービスの基盤となるデジタル地図の開発に注目が集まり、米IT大手のグーグルなどが鎬を削っている。こうした中で、日本郵政グループが通信地図製作で培ったノウハウを取り戻し、郵便局ネットワークと約10万人の配達員が収集する情報を駆使することにより付加価値の高いデジタル地図を開発することができるのではないか。
 すでに日本郵便は2022年7月に、デジタル地図事業の実証実験を開始すると発表している。日本郵便は配達車両にイスラエルのInnoviz Technologies社が開発した高精度センサー「LiDARセンサー」を搭載し、配達経路における道路や建物の変化などの情報を地図に反映させる計画。日本郵便が実用化を目指しているドローンも情報収集に活用できるだろう。
 総務省は2023年3月にまとめた「郵便局を活用した地方活性化方策」は、「郵便局デジタル地図プラットフォーム」を通じて、自治体に対して、事故頻発地点や道路損傷箇所などの地域の安全とインフラの維持管理に関する情報を提供するとしている。日本郵政グループのデジタル地図開発に期待したい。(酒呑童子)

2024年11月18日 第7275・7276合併号

楽しめるためのより良い制度が大切

 2024年プロ野球の日本シリーズが福岡ソフトバンクホークスと横浜DeNAベイスターズとの対決で行われ、横浜DeNAベイスターズが4勝2敗で勝利し、日本一となった。
 今回の日本シリーズ、ソフトバンクはパ・リーグのレギュラーシーズンを91勝49敗の貯金42という圧倒的な強さで制し、クライマックスシリーズを制して出場。DeNAはセ・リーグのレギュラーシーズン3位からクライマックスシリーズを勝ち上がって出場。DeNAのシーズン成績は71勝69敗3つの引き分けで、勝率は5割7厘。これは、日本シリーズ史上最も低い勝率での出場となる。
 対戦前は、ソフトバンクが圧勝するとの声が多かった。いざふたを開けてみると、第1戦、第2戦とソフトバンクが勝利。下馬評通りソフトバンクの強さが際立ったが、DeNAも敗れはしたものの、2戦とも3点を取っていた。
 移動日を挟んで第3戦、第4戦、第5戦とDeNAが勝利。ソフトバンクは第3戦で1点を取るものの、この本拠地での3試合で、ソフトバンクの得点はこの1点のみ。第5戦まで両チームとも敵地で勝利する展開となった。
 移動日と雨天順延で迎えた第6戦は、DeNAが大量11点を取って勝利。まさに「下剋上」という表現がふさわしい日本一となった。
 日本シリーズへの出場権をかけて争われるクライマックスシリーズは、セ・パ両リーグとも上位3チームが出場する。ファーストステージは3戦制で、シーズン2位と3位が対戦し、先に2勝した方が勝ち上がる。ファイナルステージは6戦制で、シーズン1位とファーストステージの勝者が対戦し、シーズン1位には1勝のアドバンテージがつき、先に4勝した方が日本シリーズ出場となる。
 私は正直、このクライマックスシリーズは不要だとずっと思っていた。レギュラーシーズンで断トツの強さで優勝したチームがクライマックスシリーズで敗れて日本シリーズに出場できなくなるのは腑に落ちないからだ。かつてのようにレギュラーシーズンで優勝したチームが日本シリーズに出場して、日本一をかけて戦うことこそ、プロ野球のあるべき姿だと思っていた。しかし今回、自分のその考えに変化が生じた。
 物心がついたころから巨人ファンの私は、今シーズン久しぶりに巨人が優勝して嬉しかった。ソフトバンクには前回の日本シリーズでの対戦で4連敗しているだけに、雪辱を果たしてほしいと願っていた。
 ところが、巨人はクライマックスシリーズのファイナルステージで、DeNAを相手にいきなり3連敗。後がない状況から連勝し、アドバンテージを含めてタイに持ち込んだが、最終戦で敗れ、日本シリーズ出場を逃してしまった。
 悔しさもあったが、DeNAにはセ・リーグの代表として、日本シリーズを制してほしいと思いながら、今回の日本シリーズを見ていた。
 すると、自分の中の悔しさはいつしかなくなり、DeNAが連敗して迎えた第3戦あたりから、DeNAに勝ってほしいと思うようになった。
 連敗後のDeNAはベテランを中心に「このままではやられてしまう」との思いからチームを鼓舞し、そこからDeNAは4連勝して日本一となった。
 振り返ってみて、今回の日本シリーズは非常に楽しむことができた。これまでずっと反対だったクライマックスシリーズも、こうした劇的なドラマを生み出すものなのだなと思った。
 制度というものは難しい。何が一番正しいのか、何が一番適しているのか、賛否両論ある中で、より良い方向に向かっていくのが一番なのかなと思う。(九夏三伏)

2024年11月11日 第7274号

揺るぎ始めた新幹線神話

 1964(昭和39)年10月1日、東京と新大阪間で初めて新幹線が業務運行を開始した。戦後日本が大きく飛躍した象徴として、白地に青いラインの入ったスマートな車体が東京駅を滑り出した。
 それから60年以上が経ち、新幹線はすっかり国民の足として定着した。山陽新幹線、東北新幹線、上越新幹線、九州新幹線など次々と新路線も開業し、その安全性や高い技術は外国の鉄道開発の手本にもなった。
 しかし最近になって、急に新幹線の安全・安心神話が疑われるようなトラブルが立て続けに発生した。今年の9月末まででも運転見合わせや運休は10件近くにもなる。こまごまとした遅延まで入れると数十件になる。
 特に大きなトラブルでは、3月6日に山形新幹線が郡山駅を500メートルオーバーランし、乗客が乗れずに混乱が発生した。7月22日には保守用車両同士が衝突事故を起こして東海道新幹線が終日運休となり、9月19日には300キロ以上で走行中に「はやぶさ」と「こまち」の連結部分が外れ、「こまち」は線路上に置き去りになってしまった。また、同月23日には山陽新幹線で広島―小倉間での保守工事が長引き、始発から運転できなくなった。
 こうしたトラブルは開業当時の60年前にはほとんど起きなかった事故だが、なぜ鉄道技術も格段に進歩した今になってこうしたトラブルが頻発するようになったのか。
 専門家が言うには、一つはダイヤの過密化にあるという。開業当時の1964年の東海道新幹線では、東京―新大阪間は「ひかり」と「こだま」を合わせて1日わずか32本だった。
 ところが今では「のぞみ」も含めて1日315本以上であり、圧倒的な過密ダイヤになっている。当然それだけ点検しなければならない車両の数も増加した。また、当時は200キロ運行が基準だったが、今では300キロで走ることを想定しており、それだけ車両の摩耗も早く、必要な電力も多くなる。
 したがって車両点検が不十分になりがちであり、電気系統のトラブルも多くなる。こうした様々な要因がからみあって、予期せぬ時に予期せぬトラブルが発生するのだという。
 確かに新幹線の性能が向上し、目的地に早く着けるようになった利便性は素晴らしいと思う。高速で走っているにも関わらず、振動も少なく走行音も静かだ。利用者が飛行機よりも新幹線を選ぶ理由もここにあると思う。
 しかし一番気になるのは、こうしたトラブルのほとんどが人為的なミスに起因しているということである。人間がキチンと保守していれば防げた事故に、利用客がどこまで許容するか。これからは飛行機との戦いというより信頼性との戦いになるのではないだろうか。
 交通手段はいろいろあっても、そのすべてに絶対になくてはならないのは安全性である。人為的なミスでトラブルが起きるのだけはなんとしても防止しないと、誰も安心して利用しなくなる。今回の車両の連結部分が外れたなどは、惨事にならなかっただけで二度と起きてはならない事故である。
 もはや新幹線は輸送の大動脈だ。心臓のようにどこかが詰まると、その先が機能しなくなる。これからも安心して利用できる存在であって欲しいと切に願う。(有希聡佳)
 
 

2024年11月04日 第7273号

伝統文化、五感の復権と手紙振興

 万葉の時代から景勝で名高く、その情景を歌に詠われ、「和歌の聖地」となった和歌の浦。聖武天皇がこの地に行幸したのは、ちょうど1300年前の724年。節目の年を迎え、現在和歌山市では記念イベントが開催されている。
 若の浦に潮満ちくれば潟を無み 葦辺を指して鶴鳴き渡る
 山部赤人が詠んだこの歌を改めて取り上げたのが、醍醐天皇が延喜5(905)年に編纂を命じた『古今和歌集』であり、和歌復興の大きな原動力となった。編纂を主導した紀貫之は、「和歌は、人の心を種として、多くのことばとなったものである。・・・・・・力をも入れずに、天地を動かし、目に見えない霊に感じ入らせ、男女の仲をもうち解けさせ、荒々しい武士の心をもなぐさめるのは、歌である」(高田祐彦訳)と書いている。『古今和歌集』を契機に、それまで漢詩に傾倒していた貴族たちは次第に和歌に興味を持つようになったとされている。
 大河ドラマ「光る君へ」の影響で、平安ブームが押し寄せている。和歌と手紙のセンスこそ平安貴族の恋愛に不可欠だったことがドラマからもわかる。
 貴族の女性は基本的に家の中で生活し、他人に顔を見せることはなかった。そこで、貴族の男性たちは、気になる女性の存在を知ると女性の家まで行き、その姿をそっと確認しようとした。この「垣間見」によって、女性が気に入れば、まず和歌で思いを伝えようとしたのだ。和歌で相手の気持ちをつかめなければ何も始まらない。手紙を書いて相手の姫君に届ける。最初から返事はもらえないので、何度も手紙を送り、やがて姫君から直筆の手紙がもらえるようになって初めて、男性は女性のもとに通うようになる。つまり、平安貴族にとって最大の武器は優れた和歌と手紙のセンスだった。
 新潟産業大学名誉教授の川村裕子氏が著わした『王朝の恋の手紙たち』(角川選書)は、手紙をめぐる平安時代の様子を見事に再現している。同書には「季節の植物と紙の色はセットにするのが定番でした。手紙は主に植物の枝に結びつけたのです。これを文付枝、もしくは折枝と呼びました。植物の色と紙の色がお互いに照り映え、内容とも響き合い、総合的な美しさを演出していたのです」と書かれている。例えば、藤の花には紫色の紙、燃えるような唐撫子には紅の紙、白梅には目にまぶしいほどの純白の紙を使うという具合だ。
 『枕草子』には、優美な事例として「柳の芽吹いたものに、青い薄様に書いた手紙をつけたもの」が挙げられている。
 香りの演出も手紙の重要な要素だった。紙に香を焚き付けたり、香木を砕いて和紙に包んだ「文香」を手紙に添えた。文香には桂皮、丁子、龍脳などの香木が使われていた。香木は仏教とともに日本に入ったが、平安時代になると宗教儀礼を離れ、宮廷遊戯として「薫物(たきもの)合せ」が流行るようになった。季節の様々な事象などをテーマに、香木香料を混ぜ合わせて独自の香りを創り出し、その優劣を競ったのだ。
 手紙文化振興協会認定講師の西川侑希さんは「手紙がブームになった平安時代、手紙は送り主の知性やセンスを、相手の五感に届ける嗜みでした」と述べている。センスあふれる手紙は、五感を駆使し、日本人が育んできた伝統文化を結集することによって初めて生まれる。
 日本郵政と日本郵便は、Z世代をはじめとした若い世代に手紙や郵便局を身近に感じてもらおうと「ズッキュン♡郵便局」を展開しているが、日本郵便改革推進部の輿水凜さんの考案で、8つの香りから好きな香りを選んでカードに垂らし、手紙に同封できる「ふんわり♡香りレター」も導入された。「ズッキュン♡郵便局」によって若い世代の手紙ブームが起こることを期待したい。
 短歌ブームは数年前から続いている。書店には短歌コーナーが設けられ、ヒット歌集が次々と誕生しているという。ただし、このブームはSNSでの発信に牽引されており、手紙振興とは結び付きにくいようだ。
 現在訪れている平安ブームが和歌ブーム、そして手紙ブームへと発展するためには、伝統文化の復興と五感の復権が必要なのかもしれない。(酒呑童子)

2024年10月21日 第7271・7272合併号

ルール変更は中心となる者の意向を

 夏に開催されたパリオリンピック2024。日本代表の選手たちも活躍し、多くの感動を与えてくれた。
 今回、私が注目していたのが男子と女子のバレーボールだ。1964年開催のオリンピック東京大会で、日本女子チームは金メダルを獲得し、「東洋の魔女」と呼ばれた。
 その後、バレーボールは男女とも日本のお家芸とまで呼ばれるほどになったが、諸外国チームのレベルもアップし、日本は1990年代からは低迷期に入ってしまう。
 男子は、メダル獲得はおろか、オリンピックでは1996年アトランタ、2000年シドニー、2004年アテネと、3大会連続で出場を逃してしまう。2008年北京は出場するものの、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロと、2大会連続でオリンピック出場を逃してしまう。
 女子は1984年ロサンゼルスで銅メダルを獲得して以降、メダルからは遠ざかり、2000年シドニーではオリンピック出場を逃してしまうが、その後、2012年のロンドン五輪で銅メダルを獲得する。
 しかし、近年は男女とも個人やチームとしてのレベルもアップし、国際大会でも好成績を上げるなど強くなり、大きく注目されるようになった。
 私は中学時代に部活動でバレーボールをやっていたが、当時の6人制バレーボールは15点制のサイドアウト制で、サーブ権があるときだけ得点が入っていた。サーブもネットに触れるとサイドアウトになり、相手にサーブ権が移っていた。同レベルの実力同士のチームが対戦するとなかなか双方とも得点が入らず、試合が長時間になることもあった。
 現在は25点制(ファイナルセットのみ15点制)で、サーブ権の有無にかかわらず得点が入るラリーポイント制で、サーブもネットに触れてもOKのネットインとなっている。攻撃が決まると得点になるので、試合時間も以前よりは短くなり、試合の面白みも増したかなと思う。
 なお「デュース」(以前は14点対14点、現在は24点対24点・ファイナルセットは14点対14点のセットポイントで得点が並ぶこと。2点差が付くまでエンドレスで試合が行われる)は今も昔も変わらないが、記録を紐解くと、この25点制になって以降、20数年前に大学生の大会で、59点対57点という、類を見ないハイスコアで決着がついたという記録もある。
 男女とも進化し続けている日本のバレーボール。これから大いに期待を込めて応援していこうと思う。
 さて、ルールの改正はバレーボールだけの話ではなく、他のスポーツや組織でも行われている。最初に決めたルールの下で競技が行われる、組織が運営されるが、長い時間が経過していく中で、競技を行う者、組織に属する者にとって、やりづらくなるケースが生じてくる。
 そうした時に、いろいろな意見を取り入れながらルールの改正が行われるが、その改正のプロセスは果たしてどうなっているのだろうか。よりプラスになるように、携わる者たちが真摯に議論を重ねたうえでの改正であればよいが・・・
 例えば、すでに高校野球で導入されている野球のタイブレーク制度。とりわけ投手にとっては計り知れない精神的・身体的負担がかかる。
 正直、個人的にはこのタイブレークには反対だ。時間の短縮、選手の負担ということにとらわれ、野球の本来の姿とは離れてしまうからだ。今後もこの制度を続けていくのであれば、携わる全ての人にとってより良い形を引き続いて模索していくべきであろう。
 何かを変えていく場合に、中心となる存在が無下にされてはならない。(九夏三伏)

2024年10月14日 第7270号

お正月行事の復活と年賀はがき

 郵便局は発足当時から手紙文化の推進を生業とし、無数の郵便物を人の手から人の手に渡してきた。その用途は実に多種多様だが、そこに利便性を加えるため、期間限定の商品を時代に合わせて提供してきた。その最たるものが年賀はがきだろう。
 元旦から2週間程度だけ使用するまさに期間限定商品である。かつては夏期限定のかもめ~るもあったが、このはがきは長い間売り上げが低迷し、2020年度を最後に廃止となった。実際のところ、これは当然の成り行きだったかもしれない。なぜなら暑中見舞いを出す習慣自体がすでに薄らいでいたのに、かもめ~るはその希薄となった習慣に乗って成立している商品だったからだ。
 夏だからといって暑中見舞いを書く人はほとんどいない中、それ専用のはがきを作って売ろうとすることに少なからず無理があった。費用対効果を考えれば、もっと早い段階で廃止にしてもよかったのではとも思われる。
 そこで年賀はがきである。これも販売枚数が年々減少の一途をたどっており、かもめ~るの二の舞にならないか心配である。お正月に年賀状を書く習慣がなくなれば、当然年賀はがきも売れなくなる。
 そう考えると、年賀はがきの売上減少を食い止めるのは目先の販売手法だけではなく、お正月という日本古来の風物詩自体を復活させることにあるのではないかとさえ思う。今では正月だからといって凧揚げや羽根つきをする子供もいなければ、福笑い、コマ回しをする子供もいない。
 初詣でも晴れ着を着た女性をほとんど見かけない。言ってみれば正月らしさが数十年前に比べてすっかりなくなっているのではと感じる。その流れで正月だからといって年賀状を書く習慣もなくなれば、年賀はがきが売れなくなるのは当然である。
 最近では「年賀状じまい」という言葉まで流行しつつある。したがって日本郵便がすべきことは、「お正月」という日本古来の行事自体を再度盛り上げ、昔の「お正月らしさ」を取り戻す努力もすることだと思う。様々なアイデアを仕込んだ年賀はがきを作るのと並行して、年末から年始にかけてテレビCMやSNS、ホームページ、新聞などあらゆる広告媒体を使ってお正月の雰囲気自体を盛り上げる事も大切なのではと思う。
 年末には地元の商店街にお願いして正月の飾りつけを所々に置かせてもらったり、琴の演奏を商店街中にスピーカーで流すことも検討に値する。そもそも現代では街中を歩いているとクリスマスソングは耳に入ってきても正月ソングは全く聞こえてこない。国民の一大イベントは明らかに正月からクリスマスに移行している。
 琴の演奏については12月中旬以降全郵便局の窓口で流してもいいと思う。現状では年末になると大手家電メーカーが年賀はがき作成のためのプリンターをテレビCMで売り込んでおり、彼らが日本郵便の代わりに年賀はがきの宣伝をしてくれているようなものである。
 「年越しそば」「除夜の鐘」「初詣」「おせち料理」「お雑煮」「年賀状」「お年玉」は年末から年始にかけての代表的なイベントである。無病への感謝など行く年を振り返り、来たる新しい年の幸を祈る思い、伝統行事が続いてほしいと願う。
 「お正月」という日本古来のイベントが衰退しているとは思わないが、それに密接な年賀はがきも、かもめ~る同様に時代に取り残されてしまわないようにと祈る。(有希聡佳)

2024年10月07日 第7269号

日本発のウェルビーイングを

 「GDPを超えて」(Beyond GDP)の取り組みが加速しつつある。ニューヨークの国連本部で9月22日、23日に開催された「未来サミット」の成果文書「未来のための協定」は、「GDPを超えて」に向けた行動の必要性を次のように訴えた。
 「GDPを補完する、あるいはそれを超える持続可能な開発の進展を測る尺度を、緊急に開発する必要性を再確認する」
 こうした議論が高まったのは、GDPだけでは社会の進歩や幸福度は測れないという認識が共有されるようになったからだ。そのきっかけとなったのが、フランスのサルコジ大統領が2008年に設置した「経済成果と社会進歩の計測に関する委員会」である。
 ジョセフ・スティグリッツ教授、アマルティア・セン教授らが参加したこの委員会は2009年に報告書をまとめ、「社会的発展の指標としてのGDPの限界」を指摘した。委員会が指標として注目したのが、ウェルビーイング(Well―being)である。ウェルビーイングとは「身体的・精神的・社会的に良好な状態」であり、「幸福」という概念に近い。
 こうした動きを受け、2017年6月に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針」では、従来の経済統計を補完し、人々の幸福感・効用など、社会のゆたかさや生活の質を表す指標群の作成に向け検討を行う方針が示された。昨年の臨時国会においては、総理の所信表明演説としては初めて「ウェルビーイング」が盛り込まれた。政府や企業がウェルビーイングを重視するようになる中で、「JPビジョン2025+」にも「ウェルビーイングの向上」を目指すと書き込まれている。
 ウェルビーイングの議論が活発になる中ではっきりしたのは、欧米のウェルビーイングと我が国のそれとが異なることだ。欧米では、「自尊感情や自己効力感が高いことが人生の幸福をもたらす」との考え方が強く、こうした「獲得的な幸福感」が重視される傾向が強い。これに対して我が国では、人とのつながりや思いやり、利他性、社会貢献意識などを重視する「協調的な幸福感」が重要な意味を持っている。
 つまり、日本人の幸福感には、獲得的要素と協調的要素を調和的に育む独自のウェルビーイングの実現が必要だということになる。これが、「調和と協調」のウェルビーイングだ。2018年には自民党に「日本ウェルビーイング計画推進特命委員会」(当初はプロジェクトチーム)が設けられ、「調和と協調」の議論を深めてきた。特命委員会顧問の下村博文衆院議員、委員長の上野通子参議院議員とともに、積極的に活動に取り組んできたのが長谷川英晴参議院議員らである。長谷川議員ら特命委員会メンバは昨年7月に島根県隠岐諸島を訪れ、島根県出雲東部地区連絡会(江角直記統括局長/松江殿町)の海士(あま)、美田(みた)、知夫(ちぶ)、中条(なかすじ)の4郵便局を視察。地域のために奔走し、幸福度の向上につながっている女性局長の取り組みなどを聞いた(本紙2023年8月21日号)。
 ウェルビーイングの実現においては地域コミュニティの維持、活性化が不可欠であり、それを支える郵便局の役割の大きさが明確に示されている。
 これから重要になるのが、国際社会への「調和と協調」の発信だ。すでに、昨年5月に開催されたG7富山・金沢教育大臣会合で採択された「富山・金沢宣言」には、「調和と協調に基づくウェルビーイングへのアプローチ」の認識が共有されている。
 また、昨年6月に閣議決定された教育振興基本計画は「『調和と協調』に基づくウェルビーイングの考え方は世界的にも取り入れられつつあり、我が国の特徴や良さを生かすものとして国際的に発信していくことも重要である」と明確に述べている。
 こうした中で、特命委員会は5月に第7次提言をまとめ、「日本として国際社会で積極的にリーダーシップを発揮していくべきである」と述べ、「調和と協調」に基づくウェルビーイングに関する指標が盛り込まれるよう働きかけるべきだと強調している。いまこそ日本発のウェルビーイングを国際社会に発信するときだ。(酒呑童子)

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