コラム「春秋一話」

 年/月

2022年5月16日第7144号

全ての子どもの健やかな成長を

 “子は宝”“子に過ぎたる宝なし”“子にまさる宝なし”“千の倉より子は宝”。親の情愛はもとより、古今東西、どんな宝よりも次世代に命を繋ぎ、社会を担っていくことが期待される子どもは大切なものとの思いは変わらない。
 バンザイの姿勢で眠りいる吾子よそうだバンザイ生まれてバンザイ(俵万智、歌集「生まれてバンザイ」)
 総務省は「こどもの日」にちなんで5月4日に子どもの数を発表した。4月1日現在の15歳未満の推計人口だ。それによると前年より25万人少なく1465万人となった。41年連続の減少で、比較可能な1950年以降で最少を更新した。男子が751万人、女子が715万人。男子が36万人多い。
 総人口に対する割合は11.7%。こちらは48年連続の低下だ。1950年には35・4%と3分の1を超えていたが、1997年には65歳以上(15.7%)を下回り15.3%となり、今回も前年から0.1ポイント下がり過去最低となった。少子高齢化に歯止めがかかっていないことを裏付ける。
 年齢別では12~14歳が323万人(総人口に占める割合2.6%)、9~11歳が313万人(2.5%)、6~8歳が301万人(2.4%)、3~5歳が278万人(2.2%)、0~2歳が251万人(2.0%)。年齢が低いほど数も割合も小さくなっている。
 国連人口統計年鑑(2020年版)などによると、推計時点は異なるが人口4000万人以上の35か国の中で、子どもの割合は日本が最低となっている。次いで韓国11.9%、イタリア12.9%、ドイツ13.8%と続く。中国・アメリカは18.6%。
 都道府県別でも子どもの数は、全ての都道府県で減少した(2021年10月1日現在)。100万人を超えるのは東京都、神奈川県、大阪府だけ。また、子どもの割合が高いのは沖縄県16.5%。次いで滋賀県13.4%、佐賀県13.3%、熊本県13.1%、宮崎県・鹿児島県が13.0%となっている。一方、低いのは秋田県9.5%、青森県10.4%、北海道10.5%、岩手県・徳島県・高知県が10.8%。
 子どもを育てやすい環境の整備が求められる。すべての子どもは健康に生き、教育を受け、学び、自由に活動、社会から保護され、成長する権利がある。1989年に国連総会で採択され、翌90年に発効した子どもの権利条約には4つの柱が盛り込まれている。
 安全な水や十分な栄養を得て、健やかに成長する「生きる権利」、差別や虐待、搾取から保護されなければならない「守られる権利」、教育を受け、休んだり遊んだりする「育つ権利」、自由に意見を表し、集まってグループを作ったり活動することができる「参加する権利」だ。
 しかし、日本の子どもに関する予算は低水準。2017年度の児童手当や保育所などに充当した支出は、国内総生産(GDP)比で1.56%。ドイツ(2.39%)、フランス(2.88%)イギリス(3.24%)、スウェーデン(3.40%)などに比べて見劣りする。また、18歳以下の7人に1人が貧困とされ、ひとり親世帯では半数に達するという。進学を諦めざるを得す、将来の希望や夢が断たれるのは社会の責任だ。
 さらに大人に代わり家族の世話や介護などを担う「ヤングケアラー」の問題もある。厚生労働省が初めて小学6年生を対象にした調査結果を4月に公表している。約15人に1人が行っていると回答した。すべての子どもが平和な中で豊かな人生が送れる社会であってほしい。
 新聞の兜を父は折らんとす今度五十の息子のために(藤島秀憲、歌集「すずめ」)
 新聞で兜を折ろうとしている父、50歳になろうとする息子のために。幾つになっても子どもは子どもとも受け取れるが、認知症で介護が必要となった父を詠んだ短歌。かつて端午の節句に幾度も折ってやったのだろう。認知症となっても、なお成長を願った子どもへの想いが記憶に残っているのだ。
 切ない想いが込み上げるが、人はやがて老いていく。子どもが望む進路や希望を叶え、悔いのない人生だったと誰もが思える社会を願う。
(麦秀の嘆)

2022年5月2日第7142・7143合併号

今更ながら 人材育成の充実を

 最近のニュースに、日本電産株式会社の永森重信代表取締役会長が、同社の最高経営責任者に復帰した(4月21日付同社発表)という消息があった。オーナー社長が苦労して立ち上げて大きくした企業において、後継者の決定が手間取ることは得てして起こりがちだ。
 中国・唐の第二代皇帝の太宗が部下に、創業(草創)と守成といずれが難しいかと問うた故事がある。二人の家臣がそれぞれ全く逆の答えを述べたところ、太宗は、唐王朝の創業期は過ぎ、今後は事業を守っていくという困難に対し家臣とともに慎んで取り組んでいきたいと述べたと、太宗の政治に関する言行や部下との問答を収めた『貞観政要(じょうがんせいよう)』に残されている。
 現代日本は民主主義社会であり、中国古代の王朝政治の体制とはもちろん異なるものの、オーナー企業ともなれば、草創期から成長を自ら引っ張ってきた当人にすれば、当然ながら自らが実力者であり、その評価基準に照らして「守成」に耐える経営者を後継指名するには慎重にならざるをえないことは道理だろう(もっとも、まだ草創期と思っているかもしれないが)。
 日本郵政グループは、創業151年目を迎え、これまでの間、幾多の困難を経て現在に至っており、今更「守成」という表現は適切ではないかもしれないが、法律に義務付けられたユニバーサルサービスをお客様に安定的に提供していく義務があり、約40万人の社員とその家族を養っている以上、事業を守るという観点からは、これまでと同じことをやって守っていくだけでなく、積極的に果敢に挑戦し、発展を目指す必要があり、より積極的な意味での守成が不可欠だ。
 今年度からの会社の動きとして、まず、かんぽ新営業体制が挙げられる。4月当初は一部不慣れや混乱があったものの概ね円滑に移行した、というのが恐らく今のところの評価だろうが、社員の声なき声は、火のない所に煙は立たぬ、丁寧に集めて参考にするのがよいのではないか。
 当初の戸惑いなど、時間が解決するものもある一方、冷え込んでしまった営業マインドをいかに温めなおして、社員が納得感を持ち、お客様に喜んでもらえる営業をできるかにかかっている。そのための地道な社員教育を、会社が労を惜しまずに行っていく必要がある。
 また、日本郵便では支社の強化の方針のもと、人事部長が置かれ、本社・支社間の人事異動も増加した。この間の諸々の課題への反省に立って、この巨大組織を動かしていくには、支社が核となり、また県単位で郵便局をまとめていくという方針は妥当なものだ。
 他方、忘れてならないのは、これは管理部門の体力強化ということだ。目下はそれで良いとしても、これが本来あるべき事業の発展にどのように貢献できたか、すなわち現場の活性化に繋がったかを、いずれかの時点で振り返ってほしい。
 日本郵政グループは、言わずと知れた大組織であり、それぞれの小さい組織単位にリーダーがいて、フォロアーもいる、これらの大きな集合体だ。
 お客様と応対し、利益を稼ぎ出すのは現場であり、小集団が円滑に機能できるようにしていくことが要諦で、これは大経営者が一人いれば済むという話ではない。当然、立派な経営者が必要だが、あらゆる階層で地道に人材を育成し、次世代を担うリーダーを育て、経営を成り立たせていくほかない。日本郵政グループも、守成を成し遂げることが求められている。
(ケーニヒスベルク)

2022年4月25日第7141号

仕事に必要なものは確実な配備を

 その昔、まだ郵政省の頃、ある郵便局で短時間職員をしていた。そこでは午前の時間帯に通常郵便物を配達する短時間職員と、夕方の時間帯に速達や書留再配達を担当する短時間職員がいて、私は午前の時間帯で勤務していた。
 その局は当時、慢性的にバイクの台数が少なく、要員配置を考えると、配達中にバイクがパンクをした時など非常に困るような状況だった。
 郵便配達では基本的に、免許を持っている限りは自動二輪(90cc:当時)に乗って配達を行う。一方で、夕方の短時間職員が乗るバイクはすべて原付バイクだった。50ccと90cc、どちらも経験したが、比べ物にならないほど90ccのほうが有能だ。
 郵便物数が多い時など、1速での発車は90ccと50ccとではパワーが雲泥の差。50ccでは積載量が多い時など、上り坂でなかなか発進できないようなこともある。
 速達の配達など、ある程度の長距離の走行が主体の場合は50ccでもよいが、通常郵便物の配達において50ccははっきり言って使えない。トータルで配達にかかる時間も大きく違ってくる。
 短時間職員は午前と夜で時間が重ならないことから、夕方の短時間職員が乗っている50ccのバイクを使用してほしい、ということだった。
 当時、午前の短時間職員は5人いた。そのうち3人は原付免許のみを持っていたが、私ともう1人は自動二輪の免許を持っていた。
 私は毎朝、勤務開始時間よりも少なくとも1時間以上は早く局に来て、課長代理に空いているバイクはないか毎日聞いて、その都度空いているバイクを借りていた。各班に空いているバイクはないか直接聞いても、ほとんどの班がアルバイトを抱えていて、そのアルバイトが90ccに乗れるのであれば当然のようにアルバイトを優先してしまうからだ。中には、万が一パンクした時のために予備のバイクを確保しておきたいからか、空いているバイクがあるにもかかわらず「うちの班のバイクは空いていない」と、平然と言ってのける意地悪な班も。
 こうして退職するまでの間、帰る時に各班の勤務指定表を見て、明日はこの班のバイクが空いているな、と確認しつつ、毎朝、バイクを確保することだけのために早く出勤する日々が続いていた。
 年賀のシーズンになると、出勤人数が増えて、ますますバイクが足りなくなる。そんな折、90ccの借上車が1台入ることになった。親しい課長代理が早速そのことを私に知らせてくれたので、毎朝借上車の鍵をキープしておいてくれるようお願いした。蓋つきのキャリーボックスはついていなかったが、それでもありがたいものだ。
 それからしばらくは、バイクは確保できていたが、ある時、1人のゆうメイトがバイクのことで、課長に文句を言っていた。その後、課長が私のもとに来て「どのバイクに乗っているの?」という感じで話しかけてきた。
課長が私に対して、そのゆうメイトとバイクを交換してくれないか、というようなことを言ってくる雰囲気を感じたので、「私は試験を受け、面接を経て採用された、国家公務員に準ずる身分です。短時間職員よりゆうメイトが優遇されるのはおかしいと思いますが…」と言った。それに対して課長は「分かった」とだけ言って、再びゆうメイトのもとへ戻って説得をしていた。
 配達用の郵便バイクは欠かすことのできない大切なもの。消耗品であり、パンクや故障をすることもある。コストの関係もあるだろうが、バイクに限らず、最低限度、業務に必要なものは、現場で働く人たちが困らないよう配備されてこそ、安心して働けると思う。
(九夏三伏)

2022年4月18日第7140号

経営者に必須の資質は真摯さ

 新年度となり4月1日付の人事異動が報道された。本紙4月11日号では南関東支社などで局長昇任予定者のマネジメント研修が行われた記事が掲載されていたが、受講された方々もそれぞれの組織の経営者(マネージャー)としてマネジメントをスタートさせているだろう。
 経営コンサルタントの小宮一慶氏は、経営者に対して3つのことを学ぶよう薦めている。それは「新聞などを通して生きた経済や社会の動きを知る」「経営の原理原則を学ぶ」「何千年もの間、多くの人が正しいと言ってきたことを学ぶ」の3つである。この中の「経営の原理原則を学ぶ」は松下幸之助氏などの優れた経営者の書籍を読むことだが、一番は経営の神様と言われているピーター・F・ドラッカーの書籍を読むことだと勧めている。
 ドラッカーについては10年ほど前にブームとなった「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」のことを聞いたこと、もしくは読んだことがある方も多いのではないだろうか。その主人公の女子マネージャーが読んだのが「マネジメント・エッセンシャル版」であり、この中で、ドラッカーは「組織」について「組織が存在するのは組織自体のためではなく、自らの機能を果たすことによって、社会、コミュニティ、個人のニーズを満たすためである」と述べている。
 そしてドラッカーは組織運営について、①自らの組織に特有の使命を果たす②仕事を通じて働く人たちを生かす③自らが社会に与える影響を処理するとともに社会の問題の解決に貢献する、というマネジメントの3つの役割を示している。
 ややわかりにくいが、「①自らの組織に特有の使命を果たす」とは、その企業にしかできない商品やサービスを提供すること。「②仕事を通じて働く人たちを生かす」は、言葉どおりに解釈すれば「生かす」とは「有効に利用する」などと捉えられるが、ここで言っている「生かす」とは「活き活きと働く」ということだといえる。そして「③社会の問題の解決に貢献する」とは企業が社会における公器であり、社会の中での責任を負うものということである。
 これを郵便局にあてはめれば、「特有の使命」とは社会のインフラであり、法律によりユニバーサルサービスの提供を義務づけられているという使命だろう。
 コロナ禍においてエッセンシャルワーカーと言われたように人がいなければ成り立たない事業であり、働いている人々が活き活きと働くということはとても重要なことである。そして郵便局の社会の中での存在感は災害時の例を出すまでもなく、さまざまな社会の問題の解決に貢献していることは言うまでもない。
 組織を具体的にマネジメントしていくのがマネージャーである。ドラッカーはマネージャーとしての役割は学ぶことができるものだが、学ぶことができない資質が一つだけあると強調している。その資質とは「真摯さ」である。原文は「インテグリティ(integrity)」という言葉であり、直訳すると「高潔、誠実、清廉」だが、訳者は「真摯さ」という言葉を選んでいる。訳者がこの言葉に込めたのは「誠実で、常に言動が一致し、向上心のある人」ということではないだろうか。
 郵便局の役職者として選ばれている方々はこの「真摯さ」という資質を備えていると信任された方々だ。さまざまな課題に向き合うことがあるだろうが、そのような時こそ経営の原理原則に立ち戻り、是非ともそれぞれの組織の中で活躍されることを祈念する。
(多摩の翡翠)

2022年4月11日第7139号

4月1日から18歳は「大人」

 明治9(1876)年から146年にわたり続いてきた「大人」の定義が変わる。様々な議論があったが、2018年に民法の一部を改正する法律が成立し、今年の4月1日から20歳だった成年年齢が引き下げられ18歳となった。既に選挙権は2016年6月から18歳に引き下げられている。
 ただ、成年年齢が18歳になっても飲酒や喫煙、競馬などの公営競技に関する年齢制限は、これまでと変わらず20歳のまま。女性が結婚できる最低年齢は16歳から引き上げられ、男女ともに18歳以上となった。
 民法が定めている成年年齢は「自らの意思で契約をすることができる」「父母の親権に服さなくなる」との意味がある。親の同意なしで様々な契約ができるが、同時に契約に対しては「大人」として法的責任を負うことになる。
 未成年者が親の同意を得ずに契約した場合には、消費者被害を抑止する役割を果たす民法で定めた「未成年者取消権」により、取り消すことができるが、これは行使できない。契約には様々なルールがあり、知識がないまま安易に交わすとトラブルに巻き込まれる可能性がある。社会経験が少ない新成年をターゲットにする悪質な業者もいるだろう。
 SNSで知り合った相手から「もうけ話」を持ちかけられ、トラブルに巻き込まれる投資マルチ商法の被害も多い。安易に金融商品に手を出すのも注意が必要だ。「1回限りのつもりが定期購入になっていた」「エステの無料体験後に高額プランの契約を求められた」など若者に多い消費者被害は多岐にわたる。
 消費者トラブルに巻き込まれた場合や困ったことが起きた相談窓口として、消費者ホットライン「188(いやや)!」が設置されている。また、消費者庁は教材「社会への扉」を用意、高校での活用を呼びかけている。全銀協でも授業に使える教材を無償で提供している。
 消費者トラブルに遭わないためには、未成年のうちから契約に関する知識を学び、様々なルールを知った上で、果たして必要か否かを判断できる力を身につけておくことが重要だ。さらに、18歳から「大人」として社会を担うことが期待されるが、どうあれば「大人」なのか、それは考えることから始まるという。
 『中高生のための哲学入門―「大人」になる君へ』が、ミネルヴァ書房から発行されている(小川仁志著/1760円)=写真=。「大人」になる方法、その鍵を握るのが哲学という。ドイツの哲学者カントは、「啓蒙とは何か」の中で、年齢にかかわらず知性の使い方を知らない者を「未成年」と呼んだ。人からあれこれ教えてもらわないと、何もできない者のことだとする。
 18歳までに哲学を学べば、自分の意見が持てるようになり、自分の力で知性を使えるようになる。それが「大人」。自分の意見が持てることは、カントが言うように知性を使いこなせるようになるからだ。哲学とは知を求め続けること、考えること、いわゆる思考において重要なのはそこへと至る過程である。
 哲学から始まる「大人」入門書となっている。「大人」になることは年齢や身体的な成長だけでなく、精神的な成熟も含むが、なかなかその境地に至るのは難しい。既に「大人」となっている人にも改めて参考になるだろう。(和光同塵)


2022年4月4日第7138号

ウクライナ戦争とパラダイム転換

 ロシア軍がウクライナに戦争を仕掛けてから早くも1か月余。マスコミはこれを「侵攻」と表記することが多い。起きていることは戦争なのに、ウクライナ「戦争」「侵略」といった用語はなぜかあまり使われないのが、庶民感覚としては不思議である。この「ウクライナ戦争」により、世界の政治、経済の体制が見直しを余儀なくされていることは青天白日の下に晒された。子細な分析は専門家に委ねるとしても、いくつかの側面から見てみたい。
 第一に、政治面では、第二次世界大戦の反省を踏まえて作られた「国際連合」という世界の協調維持の体制が、拒否権を有する5大国の一つであるロシアによる侵略行為に対し、何ら有効な手立てが取れないという矛盾をさらけ出した。国連改革が必要!と声高に叫んでも、既得権を5大国が容易に手放すことはない。
 また、共産主義のソ連が崩壊して自由主義が広まるのかとの期待に反し、結局はプーチン大統領が強大なロシア再興を幻想して強権国家として振る舞い、中国など同様の性格を有する国家と米国ほか自由主義国家との対立が一層顕在化した。
 米国が「世界の警察官」をやめ、第三次世界大戦につながるとして直接軍事行動に出ないことを見透かしたロシアは、核使用までちらつかせ、自らの欲望を惜しげもなく発現させている。中印の態度も煮え切らない。各国指導者は、どのように平和な世界に導いていこうとしているのだろうか。
 第二に、経済面では、グローバル化が進展し、自由貿易を基本原則として各国のつながりが深まっていた。農産物のように目に見えるものだけでなく、工業原料のように一見してどの国が供給源なのか判別しにくいものまで世界貿易の中に組み込まれ、経済構造が成り立っている。 それが、ウクライナ戦争を契機に、経済のブロック化、すなわち仲間の国々での貿易により経済を成り立たせようとして、敵対する国々は貿易から締め出すという方向に舵が急に切られようとしている。
 サハリンの天然ガスに投資している天然資源の乏しい我が国は、いきなりその代替分を探すことは困難である。また、地球温暖化対策の観点からも、そもそも戦火を交えていること自体CO2排出であるし、既存の温暖化対策が、いかに平和を前提としていたものかを見せつけた。
 第三に、現代がデジタル時代という点も重要である。ハッカーまでがウクライナ戦争に「参戦」して、ロシアにサイバー攻撃を仕掛けているとの報道もある。情報戦は古来行われているにしても、ディープフェイクによる虚偽の映像情報による攪乱も含め、デジタルを用いた現代の戦争は、従来の戦争の枠に収まらない。
 このような世界情勢からの郵政に対する教訓は何だろうか。まず、危機対応の具体化である。郵政三事業はいずれも厳しい環境下にある。それに加え、あっという間に悪い方向に状況が変化する可能性もゼロではない。それにどう備えるのか、中長期的対応を改めて考えておくべきであろう。短期的にはウクライナ戦争の影響による原油価格等の物価上昇や金利環境の変化への対応もある。
 次に、世の中の変化に合わせた制度的枠組みの在り方への議論である。ユニバーサルサービスですら未来永劫同じで良いという性格のものではない。環境変化に合わせ、何をどう変える必要があるのか、すぐ変える必要はなくとも、世論形成や議論できる環境を整えるなどの心構えは必要ではないだろうか。
 ウクライナについてはいずれにせよ早期の和平を望むしかないが、音を立てて動く世の中でいかに事業を維持発展させていくかについても、これを機に異なる視点から考えたいところである。
(連環子)

2022年3月21日第7136・7137合併号

平野選手のセルフマネジメント

 2022年2月20日、北京で開催されていた冬季オリンピックが閉幕した。前年、東京五輪が新型コロナウイルスの緊急事態宣言の中で開催されたのと同様に、今回の北京冬季五輪も中国独自のゼロコロナ対策の中で開催され、選手や関係者は他との接触のできないバブル方式という厳戒態勢の中で参加することとなった。
 様々な競技で選手の活躍が報道された一方で、今回は運営上での問題点も話題となった大会であった。
 最も印象深いのはROCとして国名を名乗れずに参加したフィギュアスケートの選手のドーピング疑惑であろう。もともとロシアという国を代表して出場できないきっかけがドーピング問題であったにもかかわらず、今回の選手のドーピング問題を解決しないまま出場させたことについては各方面から非難の声があがった。
 一方、日本の選手は競技の審判方法などの問題に巻き込まれた。冬季五輪初の競技であった男女混合ジャンプに出場した髙梨選手が滑走後の検査でスーツの規定違反として失格となったが、全日本スキー連盟は国際スキー連盟に対しスーツの検査の在り方などについて意見を添えた文書を提出するとの報道があった。
 また、スノーボード男子ハーフパイプに出場した平野歩夢選手の2回目の滑走の得点に対し、多くのメディアから疑問が呈された。
 平野選手は、昨年開催された東京五輪のスケートボードに日本代表として出場し、それから半年の準備で今回の冬季五輪に臨んでいる。東京五輪では予選敗退となったが、本来の得意種目であるスノーボードは3回目の冬季五輪挑戦。これまで2回の大会とも銀メダルだった彼にとって何としても金メダルを獲得したいという思いは強かっただろう。
 スノーボードの競技の決勝は各選手が3回の滑走を行い、そのうちの最高得点で争われる。1回目で転倒して臨んだ2回目の滑走は彼の持ち得る最高難度の技を披露し、テレビ解説者からも「世界最高の滑走」と絶賛されたが、得点はその前に滑った選手に及ばなかった。このため平野選手は3回目の滑走を行うにあたり、それ以上の難度の技に挑むか、同じ技で滑るか悩んだという。結果的には2回目と同じ技により最高得点を記録して金メダルを獲得した。
 平野選手は翌日の記者会見において、前日の2回目の滑走に対する予想外の低い判定の後に「おかしい。イライラした」と話している。
 オリンピック決勝という最高の舞台でこのように動揺した後に土壇場で逆転することができたことは、彼自身のメンタリティのコントロールが素晴らしいことの証であろう。
 怒りを自分自身でコントロールすることを「アンガーマネジメント」と呼ぶが、怒りの感情はポジティブにもネガティブにも作用する。期待した結果が得られなかったからと怒りに任せて行動すればますます状況は悪くなる。
 一方、怒りをうまく生かすことができればいつも以上の力を発揮できる場合もある。そのためには「おかしい」「ひどい」というとっさの怒りの感情から距離をおき、自身の本来向かうべきものは何かと振り返る余裕を持つことが大切である。
 新聞記事によれば、平野選手は「勝つ」ことよりも「本来の滑り」をすることにこだわったという。
 冬季五輪という最高の舞台でて気持ちが動揺しながらも金メダルという結果を出した平野選手に、どのような場面でも常に何を目指しているかを忘れないというセルフマネジメントの大切さを教えられた。
(多摩の翡翠)

2022年3月14日第7135号

拡大するマイクロプラ汚染

 温暖化と共にマイクロプラスチック(プラごみ)による地球規模の汚染が問題となっている。マイクロプラスチックは5ミリ以下、海に流れ込んだプラごみが太陽の紫外線や波の力で細かくなったもの。
 添加や吸着した有害の化学物質が生物に取り込まれ、生態系に悪影響を及ぼす危険性が指摘されて久しい。
 毎年800トンのプラごみが海に流出、このままだと2050年には魚の量を上回るとの予測があり、漁業や環境への影響は計り知れない。既に様々な兆候が出ている。
 安くて丈夫なプラスチック製品は生活を便利にした。しかし、半永久的に分解されず、有害な化学物質の“運び屋”となって生態系を汚染、人々の生活も脅かす。
 イスラエルの研究所が北大西洋で大気を調査したが、陸から遠く離れた大気中にマイクロプラスチックが高レベルで含まれていることが分かった。海水からも検出された。
 インドネシアのジャワ島では、マングローブが押し寄せるプラごみで窒息しつつあるとオランダの海洋研究所が発表した。川によって運ばれてきたプラごみにより、根から呼吸ができなくなりつつあるという。マングローブは独特の生態系をつくり、漁業などに貢献、津波に対する防災効果があることでも知られる。
 アホウドリやウミツバメの体内からは、ライターやペットボトル、プラ製のスプーンやフォークなどが発見されている。また、海洋研究開発機構などが有人潜水調査船「しんかい6500」で房総半島沖の水深5800メートル付近を調査したところ、1平方キロ当たり平均4561個のプラごみを確認した。
 深刻なのは海洋汚染だけではない。マイクロプラスチックはヒツジの糞からも検出されたとスペインの大学が明らかにしている。調査した糞の92%に含まれていた。欧州最大のアイスランドの氷河、ガラパゴス島の砂からも見つかっている。北極圏や南極圏、世界の最高峰エベレストからも検出。汚染は地球全体に及ぶ。温暖化と同様に対策は待ったなしだ。
 さらに、下水処理場で細菌の抗生物質などに対する耐性を強めていると米国の大学が発表した。マイクロプラスチックは化粧品や練り歯磨きに添加されているものや合成繊維の洗濯くずなどが含まれている。下水処理場の汚泥の細菌の中には、抗菌剤への耐性を助けることが知られる三つの遺伝子が、最大で30倍にも増強されていることが分かった。抗生物質への耐性も最大4.5倍に高まっているものも見つかった。
 最近では新型コロナウイルス感染拡大に伴い、使用量が急増した不織布マスクが岩手県沿岸の定置網にかかったアオウミガメの糞から見つかった。不織布マスクには、内分泌かく乱作用(環境ホルモン)が指摘されている紫外線吸着剤を含む化学物質が添加されているものもある。海に流れ出たマスクは1年間に15億枚と試算される。
 環境汚染で思い起こされるのはレイチェル・カーソンの「沈黙の春」(Silent Spring)だ。1962年に出版されベストセラーとなる(邦訳版は1964年)。米国の生物学者で環境問題を告発した。「奇跡の化学物質」と呼ばれていたDDTをはじめとした農薬、殺虫剤の危険性を明らかにした。
 64年、出版からわずか1年半後に56歳の生涯を終える。葬儀には政界の大物たちも参列。「この物静かな婦人は、環境汚染という20世紀半ばの最大の問題の一つに対して、あらゆる人々の関心をよび覚ました」と上院議員が弔辞を述べた。
 DDTなどの有機塩素系農薬は、日本でも70年代に事実上禁止された。しかし当時、汚染は既に南極や北極にまで広がり、蓄積しやすいイルカやクジラからは、おそらく100年が経っても消えないと研究者は話していた。
 「時をかけて―それも何年という短い時間ではなく何千年という時をかけて、生命は環境に適合し、そこに生命との環境のバランスができてきた。時こそ、欠くことのできない構成要素なのだ。それなのに、私たちの生きる現代からは、時そのものが消え失せてしまった」
 「私たちは、いまや分れ道にいる。だが、どちらの道を選ぶべきか、いまさら迷うまでもない。長いあいだ旅をしてきた道は、すばらしい高速道路で、スピードに酔うこともできるが、その行きつく先は禍いであり破滅だ。もう一つの道は、あまり《人も行かない》が、この地球の安全を守れる、最後の、唯一のチャンスがあるといえよう」
 レイチェル・カーソンの言葉だ。
 マイクロプラスチックのみならず、北極圏に生息するクジラの仲間であるイッカクの体内に蓄積する水銀などの汚染物質の量が増えているとカナダの大学が分析している。1990年~2000年と比べ、それ以降は蓄積量が大幅に増えた。
 「沈黙の春」の出版から60年、環境汚染への取組みは進んだのだろうか。SDGs(持続可能な開発目標)で目指す廃棄物の3R(削減=リデュース、再使用=リユース、再生利用=リサイクル)の推進などは急務だ。
(麦秋の嘆)

2022年3月7日第7134号

企業の栄枯盛衰と顧客の視点

 企業の寿命は30年だと日経ビジネス誌が言い出したのは20世紀後半のこと。この「寿命」といっても、世の中には誤解があるようで、企業が繁栄している期間を言うのだそうだ。会社設立から倒産までを指すわけではないという。変化が激しい現代にあっても、30年というのはそれなりに長い期間だ。
 20歳前後に就職して65歳あるいは70歳まで働いたら、実に半世紀近くになる。ということは、仮に、一時代を築いた企業で、転職せずにずっと働いていたとしても、必ずしも好業績が続いてばかりではないわけだ。日本郵政グループは創業151年目だから、役所時代が長かったにせよ、事業は毀誉褒貶が大いにあったともいえる。
 時々対比される日本の大企業に、東芝と日立製作所がある。前者は、経営不振に陥る中で、アクティビスト(もの言う株主)からの強力な「もの言い」に会う。一旦出した会社の三分割案も二分割に修正している。高度成長期以来の日本の家電・電気製品業界の雄の姿はどこに行ってしまったのだろうかと日本人として心配になるくらいだ。
 一方の日立は、リーマンショック後に会社存続の危機に直面するも、ルマーダと呼ばれるデータを活用したビジネスを実践、経営資源を集中して、DX(デジタルトランスフォーメーション)を自ら行うとともに顧客にもそれを営業し、今でも日本を代表する企業の風がある。
 ところで最近、ある記事を読んだ。データ記録媒体として磁気テープが見直されつつあるという(2月22日、日経新聞)。磁気テープ自体の技術革新によるテープの高容量化、サイバー攻撃に強い点、消費電力が比較的少なく脱炭酸にも貢献することから、企業のバックアップ用として磁気テープが再注目され、企業のデータ管理にも影響を与えそうだという内容だ。
 大型機でなくても、自らの体験として、パソコンの普及初期に磁気媒体であるフロッピーディスクでデータの読み書きをしていたものが、パソコンに内蔵されたハードディスクに取って代わられたことを思い出す読者もおられよう。
 この記事を面白いと思ったのは、ビジネスの世界で、一度は廃れてしまったものが表舞台に再度出てきた点だ。一般には、時代とともにサービスも商品もどんどん新しいものが出てきて、取って代わられていく。しかし、この磁気テープ、諸事情を踏まえてカムバックし、時代にマッチしているというのが関心を引く。
 振り返って、日本郵政グループはどうだろう。インターネットやSNSの普及、デジタル化により郵便物は2001年をピークに約4割減少、日本郵便が取り扱う荷物数も思ったほどは伸びていない。金融は業界全体で歴史的超低金利下に苦しみながら生き残りを探る状態、ゆうちょは硬貨の取扱手数料でお騒がせ中、かんぽはお客さまの信頼回復と営業の活性化が待ったナシ。
 少子高齢化と人口減少の中で郵便局来局者は減少。グループ中期経営計画以上のことをやらないとジリ貧がさらに深まっていく。しかし、先述したような事例から学べることもあるだろう。危機をチャンスとして挑戦するというのは供給側の視点だが、需要側すなわち顧客側から見て、郵便局とそのサービスが見直され得るとしたら何だろうか。
 本邦には、飛鳥時代創業の金剛組(社寺建築業)など、世界的に見ても、創立以来の寿命が長い企業が多いという。ユニバーサルサービスは廃業できない。新陳代謝とイノベーションを続けながら事業を続けていく必要がある。
 そのための更なる取組みが可能だし、また発展の余地もある。そう信じて、歩みを続けてほしい。
(コン・ブリオ)

2022年2月28日第7133号

災害への備えをしっかりと

 この冬、各地で大雪に関するニュースをよく見聞きする。東京でも何度か降雪の日があった。
 1月6日、東京都心で10センチの積雪を記録した。東京都心にしては珍しく湿った雪ではなく、サラサラの雪が降り、降水量6.5ミリに対して積雪は10センチとなった。
 2月10日は東京都心でも警報級の大雪という予報だったが、ふたを開けてみると2センチ程度の積雪にとどまった。同じく2月13日夜から翌14日の午前にかけても積雪の予報だったが、こちらもほとんど雨で経過する結果となった。
 東京都心の雪の予報は非常に難しい。1つのキーワードが「南岸低気圧」。これが八丈島付近を発達しながら通過して寒気が流れ込むと、東京方面でも雪になるケースが多い。
 1月6日のケースでは、この南岸低気圧が本州からはやや離れて東進する予想で、当初はうっすらと積雪がある、という程度の予報だった。ところが、実際は10センチの積雪となった。
 これは、南岸低気圧の北側に小さな低気圧が発生し、雪雲が予想よりも北へ広がったこと、昼過ぎに気温が氷点下0.4℃まで下がるなど、気温が低いまま経過したことなどが理由として考えられる。
 逆に2月の2つのケースでは、もっと雪が積もるとの予報が外れた形となった。気温が予想よりも高く経過した等によるもので、予想の難しさが伺える。
 遡ること1969(昭和44)年3月、東京では二度、春の大雪に見舞われた。4日に21センチ、12日には33センチの降雪を記録している。この33センチは降雪の深さ(日降雪量)としては統計史上1位となっている。
この時も南岸低気圧の影響だったが、低気圧が東に進んできた時点ですでに発達していて活発な雲がかかったこと、寒気が流れ込んだことによって大雪となった。
 1984(昭和59)年の冬は、降雪日数が29日を記録するなど、東京は雪の当たり年だった。1月19日に26センチ、その2日後の21日から22日にかけても14センチの降雪を記録、同31日にも17センチの降雪となった。さらには2月17~18日にかけても大雪に見舞われ、20センチ近い降雪となった。冬の期間を通しての降雪の深さが92センチと、断トツで歴代1位(2位は1969年の66センチ)となっている。
 2014(平成26)年は2月8日に27センチ、14日にも18センチの降雪を記録。2018(平成30)年1月22日に23センチの降雪を記録してからは、20センチを超える降雪は無い。
 さて、東京に限らず、各地で大雪に見舞われるケースは今も昔もある。雪には慣れている地方であっても、想定以上の大雪に見舞われると大変だ。
 そうした中、この冬も郵便局長会で除雪ボランティア活動を行ったという話をいろいろなところで聞く。いざ現地に到着し、想像以上の積雪量に驚くこともあると思う。それでも、自分たちの安全もしっかりと確保しながら、依頼者の思いに応えられるよう、協力し合いながら一生懸命に雪かきをする姿には頭が下がる思いだ。
 大雪に限らず、局地的な気象現象により、大きな災害が発生するケースが、季節を問わず近年特に増えている。特定の地域に断続的に強い雨を降らせる雨雲がかかり続けることによって豪雨災害をもたらすなど、情報網等が発達した現在であっても、想定し得ない事態が発生することも往々にしてある。
 地域で過去にどのような災害が発生したのか、また今後、災害が発生した時にどのようなことが起こり得るのか、それに対してどのようなことが必要なのか、いろいろな人たちと連携も図りながら備えておくことがますます大切になってくると思う。
(九夏三伏)

ページTOPへ