「通信文化新報」特集記事詳細
2025年05月19日 第7301号
【主な記事】
前島密翁 墓前祭
生誕190年 偉業を受け継ぐ
生誕190年となる「前島密翁墓前祭」が4月26日に神奈川県横須賀市芦名の浄楽寺で執り行われた。北風雄会長(元・松輪局長)をはじめとする日本文明の一大恩人前島密翁を称える会、前島翁生誕の地・上越市の「前島密翁を顕彰する会」(滝澤一成会長)、日本郵政グループ・OB、全国郵便局長会の会員・OBなど約204人の関係者が参列した。開会冒頭で、司会を務める山田洋一副会長・事務局長(元・横須賀森崎四局長)から、𠮷﨑庄司名誉会長(元・鎌倉材木座局長)が24日に逝去したことが告げられ、一堂が故人の冥福を祈り黙祷を捧げた。
「墓前祭」は、「日本文明の一大恩人前島密翁を称える会」(北風雄会長)が主催し、毎年開催されている。当日の朝には空模様を心配する声もあったが、開会時には雨天とはならず、前島翁および𠮷﨑名誉会長の栄誉を称え、密翁の精神の発展・継承を誓った。
山田副会長・事務局長が「本日は、大変お忙しい中、遠路お越しいただき本当にありがとうございます」と述べ、式典は開会した。
初めに北風会長が「ただ今報告させていただいた通り、𠮷﨑名誉会長が一昨日お亡くなりになりました。突然で言葉もございません。つい先日までは元気でおられ、体調は優れないと聞いてはいましたが、例年墓前祭があると元気に回復されるので、今年も元気になられると思っていたところでした。誠に残念でございます。謹んでお悔やみ申し上げます」と哀悼の意を表した。
続けて「前島密翁が晩年過ごされた当地で、密翁の遺徳を偲び、また偉業をこれからも広く伝えていきたいと思います。今後も皆さま方の支援、協力のほどよろしくお願いいたします」とあいさつした。
参列者を代表してあいさつした上越市の中川幹太市長は「𠮷﨑名誉会長のご逝去にお悔やみ申し上げます」と語り、「本年2月4日に、前島密翁は生誕190年を迎えた。上越市では、さまざまな形で密翁の功績を称え、魅力の発信に取り組んでいる。市としても本年9月に記念式典を開催する」と紹介し、「『日本文明の一大恩人前島密翁を称える会』の活動を通じて、密翁の功績を顕彰する輪が一層広がるとともに、本日お集まりの皆さまをはじめ、関係の皆さまのご健勝ご多幸、さらなるご活躍を祈念申し上げる」と締めくくった。
公務のため不参加となった横須賀市の上地克明市長代理として、宮川栄一経営企画部部長がメッセージを代読した。「本日の墓前祭は、単に偉大な先人を称えるためではなく、前島翁の功績を振り返り、未来への学びの場とする貴重な機会でもある。私たちは、前島翁の意思を受け継ぎ、翁の精神を今に伝え、次世代に継承していくことが課せられた使命。前島翁は晩年、この芦名の地で村の人たちと交流しながら、穏やかな余生を過ごされたと伝えられている。私もこの地からの富士を翁とともに愛でつつ、偉人の顕彰を続けてまいりたい」
ゆうちょ銀行の山田亮太郎執行役(前南関東支社長)は、「一昨日、残念ながらお亡くなりになられた、𠮷﨑庄司名誉会長のご冥福を心よりお祈り申し上げます」と述べ、「前島密翁は1871年、明治4年新暦の4月20日に、東京―大阪間の郵便事業を開始した。また、その4年後の1875年、明治8年には、郵便貯金事業を開始し、今年はゆうちょ創業150周年の節目の年に当たる。この他にも数々の近代文化の扉を開き、多くの功績を残した誇れる創業者、前島密翁の功績を一緒に称えたいと思う」と語った。
前島密翁を顕彰する会の滝澤一成会長は「前島密翁は、郵便事業の創設だけではなく、海運、陸運、大学の創設、電信・電話、福祉事業など、さまざまなことに構想を残された。前島密翁は『そんなことはどこかで無くなってしまうのだ』と仰っていたけれど、どうですか皆さま。生誕190年の今年、これだけの多くの皆さんが敬慕してここにご参集された。この足跡は消えていかないものだと思う。これから先、郵便事業はもっと、未来に向かって伸びていくことを多分、密翁は願っていらっしゃると思う」とあいさつした。
本堂前での記念撮影を終えた参列者は、前島翁が眠る墓に向かった。浄楽寺の土川妙真住職が読経する中、北風会長をはじめとする称える会の役員、日本郵政グループ関係者・OB、全特の役員、関東地方会の役員、神奈川県南部地区会ほか県内の局長会とOBらが、前島密翁の墓前で焼香した。
佐島マリーナで行われた午さん会には105人が出席し、山田副会長が司会・進行を務めた。
北風会長が「今年も昼頃から雷雨があるのではないかと予報があったが、室内のため心配はございません。窓外に広がる海を見ると、心が穏やかになるような気持ちになります。本日はどうかこの海を眺めてご歓談いただければ幸いです」と開会のあいさつを行った。
通信文化協会の髙橋亨理事長が「この午さん会に出席すると、このあたりに𠮷﨑さんが座っていた姿を思い浮かべてしまう。𠮷﨑さんのことだから、多分ここら辺にいるだろうという話を先ほどしていた。𠮷﨑さんが見ている中で、墓前祭、さらにはこの午さん会が執り行われるのではないかと思う」と偲んだ。
郵政博物館で行われる、ゆうちょ150年の催しについて紹介し、創業時の若かりし頃の前島密翁の先見性と実行力を称えた。「前島密翁の精神というのは、いろいろなところに受け継がれているということを感じる。今回参加された、現役・OBの皆さんが一緒になって、前島密翁の精神を受け継がれることを祈念したい」と述べた。
日本郵便南関東支社の佐藤紳也経営管理本部長は「所用で欠席した田村(浩紀)支社長に代わりあいさつさせていただきます」と前置きし、自身が2018年度に鎌倉郵便局の局長に着任した時の故・𠮷﨑名誉会長のエピソードを披露した。
「着任の初日に𠮷﨑さんの自宅にあいさつに伺った4月1日。墓前祭の準備で多忙な中、1時間ほど、思いも込めて熱心に語り合ったことを良く思い出している。以来、よく鎌倉郵便局にお越しいただき、熱く語っていただき、墓前祭にかける思いたるや大きなものがあると受け止めた次第。穏やかで温かい語り口だった」と明かし、「改めて𠮷﨑さんのご生前のお仕事に敬意を表し、哀悼の意を表したい」と語った。
新倉繁大楠連合町内会長が「この地に前島密翁が住んだというのは、皆さんも頷けるのではないかと思う。これを機に再訪いただければ幸い」とあいさつを行った後、称える会の二本木朝一副会長(元・横須賀本浦局長)の発声で献杯した。
2時間ほど和やかな歓談が行われ、岩澤正純副会長兼事務局次長(元・武山局長)が締めのあいさつを行った。
「前島密翁が創業した郵便事業を改めて考えると、根幹が紙の文化だと思っている。フィンランドやスウェーデン、シンガポールなどでは、デジタル教科書を廃止して、紙の教科書に移行しており、紙の文化を尊重する機運が芽生えている。日本でもいずれ紙の文化=手紙を大事にしていこうという声が高らかに復活するのだろうと期待している」とし、「必ずや紙の文化=手紙も見直される時が来ると思う。現場の局長も、そのような時期が来れば、力を合わせて頑張っていただきたい」と語った。
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