コラム「春秋一話」

 年/月

2024年11月18日 第7275・7276合併号

楽しめるためのより良い制度が大切

 2024年プロ野球の日本シリーズが福岡ソフトバンクホークスと横浜DeNAベイスターズとの対決で行われ、横浜DeNAベイスターズが4勝2敗で勝利し、日本一となった。
 今回の日本シリーズ、ソフトバンクはパ・リーグのレギュラーシーズンを91勝49敗の貯金42という圧倒的な強さで制し、クライマックスシリーズを制して出場。DeNAはセ・リーグのレギュラーシーズン3位からクライマックスシリーズを勝ち上がって出場。DeNAのシーズン成績は71勝69敗3つの引き分けで、勝率は5割7厘。これは、日本シリーズ史上最も低い勝率での出場となる。
 対戦前は、ソフトバンクが圧勝するとの声が多かった。いざふたを開けてみると、第1戦、第2戦とソフトバンクが勝利。下馬評通りソフトバンクの強さが際立ったが、DeNAも敗れはしたものの、2戦とも3点を取っていた。
 移動日を挟んで第3戦、第4戦、第5戦とDeNAが勝利。ソフトバンクは第3戦で1点を取るものの、この本拠地での3試合で、ソフトバンクの得点はこの1点のみ。第5戦まで両チームとも敵地で勝利する展開となった。
 移動日と雨天順延で迎えた第6戦は、DeNAが大量11点を取って勝利。まさに「下剋上」という表現がふさわしい日本一となった。
 日本シリーズへの出場権をかけて争われるクライマックスシリーズは、セ・パ両リーグとも上位3チームが出場する。ファーストステージは3戦制で、シーズン2位と3位が対戦し、先に2勝した方が勝ち上がる。ファイナルステージは6戦制で、シーズン1位とファーストステージの勝者が対戦し、シーズン1位には1勝のアドバンテージがつき、先に4勝した方が日本シリーズ出場となる。
 私は正直、このクライマックスシリーズは不要だとずっと思っていた。レギュラーシーズンで断トツの強さで優勝したチームがクライマックスシリーズで敗れて日本シリーズに出場できなくなるのは腑に落ちないからだ。かつてのようにレギュラーシーズンで優勝したチームが日本シリーズに出場して、日本一をかけて戦うことこそ、プロ野球のあるべき姿だと思っていた。しかし今回、自分のその考えに変化が生じた。
 物心がついたころから巨人ファンの私は、今シーズン久しぶりに巨人が優勝して嬉しかった。ソフトバンクには前回の日本シリーズでの対戦で4連敗しているだけに、雪辱を果たしてほしいと願っていた。
 ところが、巨人はクライマックスシリーズのファイナルステージで、DeNAを相手にいきなり3連敗。後がない状況から連勝し、アドバンテージを含めてタイに持ち込んだが、最終戦で敗れ、日本シリーズ出場を逃してしまった。
 悔しさもあったが、DeNAにはセ・リーグの代表として、日本シリーズを制してほしいと思いながら、今回の日本シリーズを見ていた。
 すると、自分の中の悔しさはいつしかなくなり、DeNAが連敗して迎えた第3戦あたりから、DeNAに勝ってほしいと思うようになった。
 連敗後のDeNAはベテランを中心に「このままではやられてしまう」との思いからチームを鼓舞し、そこからDeNAは4連勝して日本一となった。
 振り返ってみて、今回の日本シリーズは非常に楽しむことができた。これまでずっと反対だったクライマックスシリーズも、こうした劇的なドラマを生み出すものなのだなと思った。
 制度というものは難しい。何が一番正しいのか、何が一番適しているのか、賛否両論ある中で、より良い方向に向かっていくのが一番なのかなと思う。(九夏三伏)

2024年11月11日 第7274号

揺るぎ始めた新幹線神話

 1964(昭和39)年10月1日、東京と新大阪間で初めて新幹線が業務運行を開始した。戦後日本が大きく飛躍した象徴として、白地に青いラインの入ったスマートな車体が東京駅を滑り出した。
 それから60年以上が経ち、新幹線はすっかり国民の足として定着した。山陽新幹線、東北新幹線、上越新幹線、九州新幹線など次々と新路線も開業し、その安全性や高い技術は外国の鉄道開発の手本にもなった。
 しかし最近になって、急に新幹線の安全・安心神話が疑われるようなトラブルが立て続けに発生した。今年の9月末まででも運転見合わせや運休は10件近くにもなる。こまごまとした遅延まで入れると数十件になる。
 特に大きなトラブルでは、3月6日に山形新幹線が郡山駅を500メートルオーバーランし、乗客が乗れずに混乱が発生した。7月22日には保守用車両同士が衝突事故を起こして東海道新幹線が終日運休となり、9月19日には300キロ以上で走行中に「はやぶさ」と「こまち」の連結部分が外れ、「こまち」は線路上に置き去りになってしまった。また、同月23日には山陽新幹線で広島―小倉間での保守工事が長引き、始発から運転できなくなった。
 こうしたトラブルは開業当時の60年前にはほとんど起きなかった事故だが、なぜ鉄道技術も格段に進歩した今になってこうしたトラブルが頻発するようになったのか。
 専門家が言うには、一つはダイヤの過密化にあるという。開業当時の1964年の東海道新幹線では、東京―新大阪間は「ひかり」と「こだま」を合わせて1日わずか32本だった。
 ところが今では「のぞみ」も含めて1日315本以上であり、圧倒的な過密ダイヤになっている。当然それだけ点検しなければならない車両の数も増加した。また、当時は200キロ運行が基準だったが、今では300キロで走ることを想定しており、それだけ車両の摩耗も早く、必要な電力も多くなる。
 したがって車両点検が不十分になりがちであり、電気系統のトラブルも多くなる。こうした様々な要因がからみあって、予期せぬ時に予期せぬトラブルが発生するのだという。
 確かに新幹線の性能が向上し、目的地に早く着けるようになった利便性は素晴らしいと思う。高速で走っているにも関わらず、振動も少なく走行音も静かだ。利用者が飛行機よりも新幹線を選ぶ理由もここにあると思う。
 しかし一番気になるのは、こうしたトラブルのほとんどが人為的なミスに起因しているということである。人間がキチンと保守していれば防げた事故に、利用客がどこまで許容するか。これからは飛行機との戦いというより信頼性との戦いになるのではないだろうか。
 交通手段はいろいろあっても、そのすべてに絶対になくてはならないのは安全性である。人為的なミスでトラブルが起きるのだけはなんとしても防止しないと、誰も安心して利用しなくなる。今回の車両の連結部分が外れたなどは、惨事にならなかっただけで二度と起きてはならない事故である。
 もはや新幹線は輸送の大動脈だ。心臓のようにどこかが詰まると、その先が機能しなくなる。これからも安心して利用できる存在であって欲しいと切に願う。(有希聡佳)
 
 

2024年11月04日 第7273号

伝統文化、五感の復権と手紙振興

 万葉の時代から景勝で名高く、その情景を歌に詠われ、「和歌の聖地」となった和歌の浦。聖武天皇がこの地に行幸したのは、ちょうど1300年前の724年。節目の年を迎え、現在和歌山市では記念イベントが開催されている。
 若の浦に潮満ちくれば潟を無み 葦辺を指して鶴鳴き渡る
 山部赤人が詠んだこの歌を改めて取り上げたのが、醍醐天皇が延喜5(905)年に編纂を命じた『古今和歌集』であり、和歌復興の大きな原動力となった。編纂を主導した紀貫之は、「和歌は、人の心を種として、多くのことばとなったものである。・・・・・・力をも入れずに、天地を動かし、目に見えない霊に感じ入らせ、男女の仲をもうち解けさせ、荒々しい武士の心をもなぐさめるのは、歌である」(高田祐彦訳)と書いている。『古今和歌集』を契機に、それまで漢詩に傾倒していた貴族たちは次第に和歌に興味を持つようになったとされている。
 大河ドラマ「光る君へ」の影響で、平安ブームが押し寄せている。和歌と手紙のセンスこそ平安貴族の恋愛に不可欠だったことがドラマからもわかる。
 貴族の女性は基本的に家の中で生活し、他人に顔を見せることはなかった。そこで、貴族の男性たちは、気になる女性の存在を知ると女性の家まで行き、その姿をそっと確認しようとした。この「垣間見」によって、女性が気に入れば、まず和歌で思いを伝えようとしたのだ。和歌で相手の気持ちをつかめなければ何も始まらない。手紙を書いて相手の姫君に届ける。最初から返事はもらえないので、何度も手紙を送り、やがて姫君から直筆の手紙がもらえるようになって初めて、男性は女性のもとに通うようになる。つまり、平安貴族にとって最大の武器は優れた和歌と手紙のセンスだった。
 新潟産業大学名誉教授の川村裕子氏が著わした『王朝の恋の手紙たち』(角川選書)は、手紙をめぐる平安時代の様子を見事に再現している。同書には「季節の植物と紙の色はセットにするのが定番でした。手紙は主に植物の枝に結びつけたのです。これを文付枝、もしくは折枝と呼びました。植物の色と紙の色がお互いに照り映え、内容とも響き合い、総合的な美しさを演出していたのです」と書かれている。例えば、藤の花には紫色の紙、燃えるような唐撫子には紅の紙、白梅には目にまぶしいほどの純白の紙を使うという具合だ。
 『枕草子』には、優美な事例として「柳の芽吹いたものに、青い薄様に書いた手紙をつけたもの」が挙げられている。
 香りの演出も手紙の重要な要素だった。紙に香を焚き付けたり、香木を砕いて和紙に包んだ「文香」を手紙に添えた。文香には桂皮、丁子、龍脳などの香木が使われていた。香木は仏教とともに日本に入ったが、平安時代になると宗教儀礼を離れ、宮廷遊戯として「薫物(たきもの)合せ」が流行るようになった。季節の様々な事象などをテーマに、香木香料を混ぜ合わせて独自の香りを創り出し、その優劣を競ったのだ。
 手紙文化振興協会認定講師の西川侑希さんは「手紙がブームになった平安時代、手紙は送り主の知性やセンスを、相手の五感に届ける嗜みでした」と述べている。センスあふれる手紙は、五感を駆使し、日本人が育んできた伝統文化を結集することによって初めて生まれる。
 日本郵政と日本郵便は、Z世代をはじめとした若い世代に手紙や郵便局を身近に感じてもらおうと「ズッキュン♡郵便局」を展開しているが、日本郵便改革推進部の輿水凜さんの考案で、8つの香りから好きな香りを選んでカードに垂らし、手紙に同封できる「ふんわり♡香りレター」も導入された。「ズッキュン♡郵便局」によって若い世代の手紙ブームが起こることを期待したい。
 短歌ブームは数年前から続いている。書店には短歌コーナーが設けられ、ヒット歌集が次々と誕生しているという。ただし、このブームはSNSでの発信に牽引されており、手紙振興とは結び付きにくいようだ。
 現在訪れている平安ブームが和歌ブーム、そして手紙ブームへと発展するためには、伝統文化の復興と五感の復権が必要なのかもしれない。(酒呑童子)

2024年10月21日 第7271・7272合併号

ルール変更は中心となる者の意向を

 夏に開催されたパリオリンピック2024。日本代表の選手たちも活躍し、多くの感動を与えてくれた。
 今回、私が注目していたのが男子と女子のバレーボールだ。1964年開催のオリンピック東京大会で、日本女子チームは金メダルを獲得し、「東洋の魔女」と呼ばれた。
 その後、バレーボールは男女とも日本のお家芸とまで呼ばれるほどになったが、諸外国チームのレベルもアップし、日本は1990年代からは低迷期に入ってしまう。
 男子は、メダル獲得はおろか、オリンピックでは1996年アトランタ、2000年シドニー、2004年アテネと、3大会連続で出場を逃してしまう。2008年北京は出場するものの、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロと、2大会連続でオリンピック出場を逃してしまう。
 女子は1984年ロサンゼルスで銅メダルを獲得して以降、メダルからは遠ざかり、2000年シドニーではオリンピック出場を逃してしまうが、その後、2012年のロンドン五輪で銅メダルを獲得する。
 しかし、近年は男女とも個人やチームとしてのレベルもアップし、国際大会でも好成績を上げるなど強くなり、大きく注目されるようになった。
 私は中学時代に部活動でバレーボールをやっていたが、当時の6人制バレーボールは15点制のサイドアウト制で、サーブ権があるときだけ得点が入っていた。サーブもネットに触れるとサイドアウトになり、相手にサーブ権が移っていた。同レベルの実力同士のチームが対戦するとなかなか双方とも得点が入らず、試合が長時間になることもあった。
 現在は25点制(ファイナルセットのみ15点制)で、サーブ権の有無にかかわらず得点が入るラリーポイント制で、サーブもネットに触れてもOKのネットインとなっている。攻撃が決まると得点になるので、試合時間も以前よりは短くなり、試合の面白みも増したかなと思う。
 なお「デュース」(以前は14点対14点、現在は24点対24点・ファイナルセットは14点対14点のセットポイントで得点が並ぶこと。2点差が付くまでエンドレスで試合が行われる)は今も昔も変わらないが、記録を紐解くと、この25点制になって以降、20数年前に大学生の大会で、59点対57点という、類を見ないハイスコアで決着がついたという記録もある。
 男女とも進化し続けている日本のバレーボール。これから大いに期待を込めて応援していこうと思う。
 さて、ルールの改正はバレーボールだけの話ではなく、他のスポーツや組織でも行われている。最初に決めたルールの下で競技が行われる、組織が運営されるが、長い時間が経過していく中で、競技を行う者、組織に属する者にとって、やりづらくなるケースが生じてくる。
 そうした時に、いろいろな意見を取り入れながらルールの改正が行われるが、その改正のプロセスは果たしてどうなっているのだろうか。よりプラスになるように、携わる者たちが真摯に議論を重ねたうえでの改正であればよいが・・・
 例えば、すでに高校野球で導入されている野球のタイブレーク制度。とりわけ投手にとっては計り知れない精神的・身体的負担がかかる。
 正直、個人的にはこのタイブレークには反対だ。時間の短縮、選手の負担ということにとらわれ、野球の本来の姿とは離れてしまうからだ。今後もこの制度を続けていくのであれば、携わる全ての人にとってより良い形を引き続いて模索していくべきであろう。
 何かを変えていく場合に、中心となる存在が無下にされてはならない。(九夏三伏)

2024年10月14日 第7270号

お正月行事の復活と年賀はがき

 郵便局は発足当時から手紙文化の推進を生業とし、無数の郵便物を人の手から人の手に渡してきた。その用途は実に多種多様だが、そこに利便性を加えるため、期間限定の商品を時代に合わせて提供してきた。その最たるものが年賀はがきだろう。
 元旦から2週間程度だけ使用するまさに期間限定商品である。かつては夏期限定のかもめ~るもあったが、このはがきは長い間売り上げが低迷し、2020年度を最後に廃止となった。実際のところ、これは当然の成り行きだったかもしれない。なぜなら暑中見舞いを出す習慣自体がすでに薄らいでいたのに、かもめ~るはその希薄となった習慣に乗って成立している商品だったからだ。
 夏だからといって暑中見舞いを書く人はほとんどいない中、それ専用のはがきを作って売ろうとすることに少なからず無理があった。費用対効果を考えれば、もっと早い段階で廃止にしてもよかったのではとも思われる。
 そこで年賀はがきである。これも販売枚数が年々減少の一途をたどっており、かもめ~るの二の舞にならないか心配である。お正月に年賀状を書く習慣がなくなれば、当然年賀はがきも売れなくなる。
 そう考えると、年賀はがきの売上減少を食い止めるのは目先の販売手法だけではなく、お正月という日本古来の風物詩自体を復活させることにあるのではないかとさえ思う。今では正月だからといって凧揚げや羽根つきをする子供もいなければ、福笑い、コマ回しをする子供もいない。
 初詣でも晴れ着を着た女性をほとんど見かけない。言ってみれば正月らしさが数十年前に比べてすっかりなくなっているのではと感じる。その流れで正月だからといって年賀状を書く習慣もなくなれば、年賀はがきが売れなくなるのは当然である。
 最近では「年賀状じまい」という言葉まで流行しつつある。したがって日本郵便がすべきことは、「お正月」という日本古来の行事自体を再度盛り上げ、昔の「お正月らしさ」を取り戻す努力もすることだと思う。様々なアイデアを仕込んだ年賀はがきを作るのと並行して、年末から年始にかけてテレビCMやSNS、ホームページ、新聞などあらゆる広告媒体を使ってお正月の雰囲気自体を盛り上げる事も大切なのではと思う。
 年末には地元の商店街にお願いして正月の飾りつけを所々に置かせてもらったり、琴の演奏を商店街中にスピーカーで流すことも検討に値する。そもそも現代では街中を歩いているとクリスマスソングは耳に入ってきても正月ソングは全く聞こえてこない。国民の一大イベントは明らかに正月からクリスマスに移行している。
 琴の演奏については12月中旬以降全郵便局の窓口で流してもいいと思う。現状では年末になると大手家電メーカーが年賀はがき作成のためのプリンターをテレビCMで売り込んでおり、彼らが日本郵便の代わりに年賀はがきの宣伝をしてくれているようなものである。
 「年越しそば」「除夜の鐘」「初詣」「おせち料理」「お雑煮」「年賀状」「お年玉」は年末から年始にかけての代表的なイベントである。無病への感謝など行く年を振り返り、来たる新しい年の幸を祈る思い、伝統行事が続いてほしいと願う。
 「お正月」という日本古来のイベントが衰退しているとは思わないが、それに密接な年賀はがきも、かもめ~る同様に時代に取り残されてしまわないようにと祈る。(有希聡佳)

2024年10年07日 第7269号

日本発のウェルビーイングを

 「GDPを超えて」(Beyond GDP)の取り組みが加速しつつある。ニューヨークの国連本部で9月22日、23日に開催された「未来サミット」の成果文書「未来のための協定」は、「GDPを超えて」に向けた行動の必要性を次のように訴えた。
 「GDPを補完する、あるいはそれを超える持続可能な開発の進展を測る尺度を、緊急に開発する必要性を再確認する」
 こうした議論が高まったのは、GDPだけでは社会の進歩や幸福度は測れないという認識が共有されるようになったからだ。そのきっかけとなったのが、フランスのサルコジ大統領が2008年に設置した「経済成果と社会進歩の計測に関する委員会」である。
 ジョセフ・スティグリッツ教授、アマルティア・セン教授らが参加したこの委員会は2009年に報告書をまとめ、「社会的発展の指標としてのGDPの限界」を指摘した。委員会が指標として注目したのが、ウェルビーイング(Well―being)である。ウェルビーイングとは「身体的・精神的・社会的に良好な状態」であり、「幸福」という概念に近い。
 こうした動きを受け、2017年6月に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針」では、従来の経済統計を補完し、人々の幸福感・効用など、社会のゆたかさや生活の質を表す指標群の作成に向け検討を行う方針が示された。昨年の臨時国会においては、総理の所信表明演説としては初めて「ウェルビーイング」が盛り込まれた。政府や企業がウェルビーイングを重視するようになる中で、「JPビジョン2025+」にも「ウェルビーイングの向上」を目指すと書き込まれている。
 ウェルビーイングの議論が活発になる中ではっきりしたのは、欧米のウェルビーイングと我が国のそれとが異なることだ。欧米では、「自尊感情や自己効力感が高いことが人生の幸福をもたらす」との考え方が強く、こうした「獲得的な幸福感」が重視される傾向が強い。これに対して我が国では、人とのつながりや思いやり、利他性、社会貢献意識などを重視する「協調的な幸福感」が重要な意味を持っている。
 つまり、日本人の幸福感には、獲得的要素と協調的要素を調和的に育む独自のウェルビーイングの実現が必要だということになる。これが、「調和と協調」のウェルビーイングだ。2018年には自民党に「日本ウェルビーイング計画推進特命委員会」(当初はプロジェクトチーム)が設けられ、「調和と協調」の議論を深めてきた。特命委員会顧問の下村博文衆院議員、委員長の上野通子参議院議員とともに、積極的に活動に取り組んできたのが長谷川英晴参議院議員らである。長谷川議員ら特命委員会メンバは昨年7月に島根県隠岐諸島を訪れ、島根県出雲東部地区連絡会(江角直記統括局長/松江殿町)の海士(あま)、美田(みた)、知夫(ちぶ)、中条(なかすじ)の4郵便局を視察。地域のために奔走し、幸福度の向上につながっている女性局長の取り組みなどを聞いた(本紙2023年8月21日号)。
 ウェルビーイングの実現においては地域コミュニティの維持、活性化が不可欠であり、それを支える郵便局の役割の大きさが明確に示されている。
 これから重要になるのが、国際社会への「調和と協調」の発信だ。すでに、昨年5月に開催されたG7富山・金沢教育大臣会合で採択された「富山・金沢宣言」には、「調和と協調に基づくウェルビーイングへのアプローチ」の認識が共有されている。
 また、昨年6月に閣議決定された教育振興基本計画は「『調和と協調』に基づくウェルビーイングの考え方は世界的にも取り入れられつつあり、我が国の特徴や良さを生かすものとして国際的に発信していくことも重要である」と明確に述べている。
 こうした中で、特命委員会は5月に第7次提言をまとめ、「日本として国際社会で積極的にリーダーシップを発揮していくべきである」と述べ、「調和と協調」に基づくウェルビーイングに関する指標が盛り込まれるよう働きかけるべきだと強調している。いまこそ日本発のウェルビーイングを国際社会に発信するときだ。(酒呑童子)

2024年09年30日 第7268号

坂本龍馬と福沢諭吉の文字活用法

 坂本龍馬が筆まめだったことはよく知られているが、実際に130通以上もの手紙が現存している。当然、江戸時代のことだから和紙に筆で書かれており、文字通り「筆まめ」だったことがよく分かる。
 特に姉の乙女や妻のお龍に宛てた手紙には特徴ある内容で有名になったものもある。その一つは通称「えへんの手紙」と言われるもので、江戸で勝海舟の弟子になって活躍していることを「えへんえへん」と繰り返し書いて自慢している。こういう表現が江戸時代からあって今でも理解できるのが嬉しいし、龍馬の気持ちがよくわかって微笑ましい。
 もう一つはお龍に宛てた手紙で、浮気がばれて夫婦喧嘩をした後に謝罪したものがある。浮気をすれば喧嘩になるのは今も昔も同じだが、お詫びの気持ちを文字にして渡しているのも面白い。言いにくいことは口頭ではなく文字で伝えようとするのは現代に生きる私たちにも通じる。メールやLINEという便利な手段がある現代では、これからは言いにくいことはメール・LINE頼みになっていくのだろうか。ちなみにお龍との結婚記念に鹿児島に旅行しているが、これが日本最初の新婚旅行と言われており、その様子も絵入りで乙女に手紙で報告している。イラストの横に文字も添えており、これは他にはほとんど例がないらしい。龍馬の型にはまらない自由な発想はこうした手紙からも読み取れる。
 少し話は脇にそれるが、龍馬と同時に暗殺された中岡慎太郎も型にはまらない人物だったようだ。その証拠に笑顔の写真が残っている。幕末ではまだ「写真を撮ると魂を抜かれる」と信じられている風潮があるにもかかわらず、中岡だけ満面の笑顔で写っている。魂など抜かれるはずがないという当たり前の現実的な感覚を持ち合わせていたのだろう。この型にはまらない二人が同時に暗殺されたのも歴史の妙なのかもしれない。もう一人同時代に生きた有名人で思いつくのが福沢諭吉である。慶應義塾の創立者であることは言うまでもないが、文化人・知識人であったが故に多数の書簡が残っている。
 福沢の場合は特に学生への通達が多い。一風変わった内容では、学生に校舎内でのあいさつを不要にしたというのがある。不要というより禁止にしたといった方が近い。学校内で学生が教師に出会えば、当然一度立ち止まってお辞儀をする。そうすると教師もお辞儀を返さなければならない。学校内にいれば当然多数の学生とすれ違うから、これをいちいちやっていたのではわずらわしくて仕方ない。
 時間の無駄だと考えた福沢は教師陣たちの意見も確認したうえで校舎内での挨拶は禁止にしたそうだ。掲示板に貼られた「あいさつ禁止」の通達には学生も驚いただろうが、現代では逆に大学内で教師と出くわしても当たり前のようにすれ違うのがほとんどだろう。文字には人の行動、習慣を変えてしまう力があることを今更ながら実感させられる。
 龍馬と福沢は志士と文化人という違いはあっても、ほぼ同時代を生き、文字というツールをうまく活用して幕末という激動の時代を生き抜いたところは共通している。我々現代人もメールやLINEで文字をうまく使うことによって、上手に世渡りができるのかもしれない。(有希聡佳)

2024年09月16日 第7266・7267合併号

愛はきっと地球を救えると思う

 毎年恒例となっている24時間テレビが今年も8月31日~9月1日に放送された。
 従来は「愛は地球を救う」というテーマで放送されてきたが、今年は「愛は地球を救うのか?」というテーマで放送された。
 昨年秋、24時間テレビの寄付金などを含む1100万円あまりが着服されていたという不祥事が発覚。当該人物(日本テレビではなく系列局の社員)はその後、懲戒解雇処分となった。
 この件が報じられて以降、多くの批判が巻き起こり、番組そのものの存続もふくめ、様々な議論がなされてきた。そして6月になって、日本テレビは今年も24時間テレビを放送することを決定した。
 着服の件に限らず、チャリティーと謳っておきながら出演者にギャラが支払われている、との疑いなど、従来から24時間テレビに対する批判は多くある。
 そうした中、今年の24時間テレビでは、それまで毎年、旧ジャニーズ事務所のタレント等が勤めていたメインパーソナリティーを廃止した。一昔前のような、本来の24時間テレビのイメージに近くなったと感じながら観ていた。
 さて、毎年24時間テレビの恒例となっているのがチャリティーマラソンだ。お笑いタレントの間寛平さんの企画として、1992(平成4)年から始まった。これまでにさまざまな人がランナーを務め、番組のエンディングでは会場で応援ソングが合唱される中、ゴールを果たすシーンが放送されてきた。
 もちろん、24時間休みなく走りっぱなしなどということはなく、適度に休憩を挟み、仮眠もとり、食事も取っている。専属トレーナーたちがチームを組んでサポートし、計画を立てて、本番に向けての練習等、きちんと準備していて、本番でも無理の無いよう常に伴走している。
 このチャリティーマラソンに関しても、毎年のように「ギャラをもらっているのではないか」「途中テレビに映っていない時間帯に車に乗ってワープしているのではないか」等の批判的な意見もある。しかし実際はどのランナーもそれぞれの思いを胸に一生懸命走っているはずだと思う。
 今年のチャリティーマラソンはというと、お笑いタレントのやす子さんが、全国の児童養護施設に募金を、との思いから、寄付をして走るという新たな形のチャリティーイベントとして、応募して当選した約1000人の市民ランナーの人たちと一緒に走る予定だった。しかし、台風の影響もあり、市民ランナーの参加は中止となった。
 8月31日は安全に配慮したうえで、日産スタジアム(横浜市)のトラックを周回する形でやす子さんは走ることになり、市民ランナーの代わりに芸人の仲間たちが参加して、やす子さんと一緒に走った。
 そして、翌日は日産スタジアムから公道に出て、例年と同じように会場のゴールを目指して走り、多くの人たちの声援を受けながら、無事にゴールを果たした。そして、全国から多くのマラソン募金が集まり、その額は4億3801万4800円となった。
 さまざまな批判を受けながらも、放送された今年の24時間テレビ。制作サイドは、番組のあり方をもう一度見つめなおして、今一番必要な支援は何か、集まった募金はどこへ届けるべきなのか、そういった思いを込めて、メインテーマを「愛は地球を救えるのか?」とし、クエスチョンマークを付けたという。
 私は24時間ずっと番組を観ていたわけではないが、率直な感想としては、ここ数年とは番組の雰囲気、イメージが変わって、トータルとして良くなったのではないかと思う。
 失った信頼を取り戻すことは大変だと思う。来年以降も良い番組であり続けてほしい。(九夏三伏)
 

2024年09月09日 第7265号

時代から無くなったもの

 ここ数年で急激にデジタル化が進み、今まで当たり前のように身の回りにあったものがそのあおりで次々と消えていくご時世となった。昭和はすでに遠い過去になったが、その時代には将来無くなるとは夢にも思わなかったものまで無くなりかけている。
 その最たるものがお金だ。クレジット決済が無かった時代は現金払いのみ、どこで何を買うにも現金が必要だった。自分の懐具合を確認しながら商品を購入し、店先で1円でも財布の中身が足りなければ買えなかった。
 飲食店に入る時などろくに確認しないまま飲食してしまい、会計の時に足りないとなると青くなったものだ。それが今では現金が無くてもカード1枚あれば事足りるし、それも無ければスマホのお財布機能で支払いができる。
 和同開珎が発行された飛鳥時代以降、お金は物を購入する時には必ず必要であり、経済活動の根幹であった。まさかそのお金がなくても物を購入できるようになる時代がくるとは、つい最近まで誰も思わなかっただろう。
 さしずめ硬貨や紙幣に刻印または印刷してあるアナログ数字がデジタルになったということか。財布からお金を取り出し、目の前で支払ってお釣りをもらうという一連の行為が、もはや時代遅れになってきた。
 店のレジに「現金お断り」の札が出てくるのも時間の問題かもしれない。数字だけが飛び交い、見えないところで支払いが終了するのが当たり前になるのだろう。
 デジタルの余波を受けたものは他にも多数ある。写真もそうだ。スマホやデジカメがない時代は撮り終わったフィルムを写真店に持ち込み、2~3日待って現像が終わった頃に再び受け取りに行くという流れだった。
 それが今やずっと高解像度のスマホで撮影して、しかもそれが自宅でプリントできる。LINEに添付して送信すれば、一瞬にして画像データを何人にでも共有できる。
 これでは写真店が無くなってしまうのも当然だろう。スマホが多機能であるためにカメラやビデオが売れなくなり、音楽再生機能を有しているためにiPodは消滅してウォークマンも激減した。
 かつての電話帳や家庭の医学といった分厚くて重い書籍も、スマホの電話帳やネットでの検索で事足りるため姿を消してしまった。また、スマホやタブレットに本をダウンロードできるため書店まで減少の一途をたどっている。
 昭和時代を数十年過ごした者にとっては、時代とともに無くなっていくアナログ商品がなんとも名残惜しいが、これが時代の趨勢というものであろう。若い世代は違和感なしになじむのだろうが、古い世代の人間も慣れていくしかない。
 時代が下って今や異常気象や地球温暖化により、クールビズが当たり前になっている。仕事中は当然のように着用していたネクタイも、最近ではノーネクタイの会社員が大勢を占めてきた。次に我々が失うものは、もしかしたらネクタイかもしれない。(有希聡佳)

2024年09月02日 第7264号

地域防災の担い手としての郵便局

 自然災害の頻発化、激甚化が指摘される中、8月8日に震度6弱の地震が宮崎県を襲った。これを受け、気象庁は南海トラフ地震の想定震源域で大規模地震が発生する可能性がふだんと比べて高まっているとして臨時情報を出した。
 国民の防災意識が高まる中で、郵便局に対する期待も高まっている。日本郵政グループは地方自治体や企業などと連携し、防災・減災に取り組んできたからだ。8月1日には、日本郵便が災害対応に習熟した人材の育成などを目指し、気象庁と連携協定を結ぶと発表している。全国郵便局長会は、地域の減災と防災力向上のための活動を担う防災士の資格取得を推進しており、防災士資格を持つ郵便局長は1万2千人に上る。
 消防団の活動もまた、郵便局長に支えられている部分が大きい。日本郵政グループ全体で6千人以上が消防団に入団している。
 巨大地震などが発生した際、公設の消防機関が到着するまでの間は、地域の消防団による初動対応が極めて重要になる。能登半島地震の際には、がれきなどでふさがれた道路を切り開き、緊急車両が通る救援ルートを確保する「道路啓開」で、消防団は大きな役割を果した。
 消防団の強化がいまこそ望まれるところだが、団員数は残念なことに年々減少している。戦後まもなくは約200万人いた団員は年々減少し、1990年には100万人を下回った。2023年4月1日現在で76万2670人まで減少している。この危機的状況に対応し、郵便局社員は自ら消防団に入団するだけではなく、加入促進を支援してきた。
 今年からは、千葉市内や京都府舞鶴市内の郵便局が配達バイクと自動車に消防団入団を呼びかける大型のステッカーを張り付け、募集活動を強化している。
 一方、2005年にはすべての災害などで活動する従来からの基本団員とは異なる、特定の活動のみに参加する「機能別団員」制度が導入された。全国に先駆け同年4月に機能別団員を採用した愛媛県松山市では、松山西郵便局員31人が郵政消防団員となった。平常時には応急手当講習を受講し、災害時には災害情報の収集や避難誘導を担う。郵便業務を通じて地域情報に精通している強みや、機動力を活かし、災害における被害状況の情報収集を迅速に行い、市災害対策本部へ伝達する。さらに、避難勧告・指示の伝達、避難住民の誘導、防災情報の広報なども実施する。
 消防行政に詳しい関西大学の永田尚三教授は「郵便局員の方は、配達などを通じてふだんから地域に非常に精通しているので、特に災害時の情報伝達、避難誘導などでその専門性を発揮できる」と期待する。
 一方、昨年11月には三重県津市が、機能別団員を事業所単位で任命する制度を開始し、津中央郵便局の14人の職員が団員に任命されている。彼らが担うことになったのが、救急対応だ。職場の半径300㍍以内での通報に救急車の到着が遅れそうな場合、消防本部から連絡を受けて出動し、救急車が到着するまでの間、応急手当てやAEDを用いた救命活動を行う。
 救急車が119番通報を受けてから現場に到着するまでの時間は年々遅くなっており、2022年には初めて10分(平均時間)を超えている。この20年で4分も遅くなっているのだ。消防団員による救命活動がなければ、命を落とすケースもあるだろう。
 長谷川英晴参議院議員は、2023年11月9日の参議院総務委員会で、この津中央郵便局の事例を取り上げて質問、五味裕一消防庁次長は「郵便局、建設業、製造業など、様々な業界の従業員が機能別団員として入団されている事例があり、消防団員の確保を図る極めて有効な取り組みと考えている」と答弁している(本紙2023年12月4日号2面)。
 永田教授は、「津市の事例は非常に先進的な試みだ。救急車が到着するまでの応急・救命処置は全国的な課題であり、津市の仕組みを全国展開してもいいのではないか」と語っている。
 地域防災の担い手としての郵便局への期待は、ますます高まりそうだ。(酒呑童子) 

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