コラム「春秋一話」

 年/月

2025年03月24日 第7293・7294合併号

郵政民営化と郵便局の数

 2007年10月1日に郵政民営化が行われ、JP郵政グループが誕生した。それまでの経緯で何度も国会で議論され、主導した小泉政権に対する野党の猛烈な反対を押し切ってのスタートだった。これは与党内からも反対の声が多数あがったほどである。
 当初から「郵便局が民営化したらサービスが低下するのではないか」「過疎地の郵便局は廃止になるのではないか」などユニバーサルサービスの崩壊を懸念する声が多々上がっていた。その民営化から18年。現状はどうなったであろうか。
 郵便局数の増減実数を見てみると、民営化当時は全国で2万4574局あったが、その後徐々に減り続け、2024年12月末では2万3497局となり、この18年で1077局減少した。これは平均にならすと毎年約60局ずつ廃止になっている勘定である。それも採算の取れない過疎地域での廃止も多数あり、簡易郵便局の一時休止や廃局には加速度がついている。
 こうした現状を見ると、確かにユニバーサルサービスが提供しづらい状態になったといえる。本来、郵便局に課せられた任務は郵便、貯金、保険といった日常生活に関わる重要なインフラを請け負うものであり、全国どこに住んでいても国民がこうしたサービスが受けられることに存在意義があった。そして三事業が一体となり、お互いが連携することでユニバーサルサービスが成り立っていた。
 しかし、民営分社化により各事業が分断され、それぞれが独自の会社となった。独立することで各会社が専門の業務に特化し、より高度なサービス提供ができるようになったのだろうか。別会社になったことでお客さまの利便性が低下したのは事実である。
 ひとつは郵便・物流部門と金融部門が二分されたことで、配達に訪問した社員がお客さまに頼まれて貯金通帳や保険証書を預かってくることができなくなった。また、公務員ではなくなったために内容証明を認証するには「郵便認証司」という資格が必要となり、それを持ってないと内容証明の処理もできず、場合によってはお客さまを延々と待たせることになった。
 メールやLINEなどに押されて郵便取扱物数も減少の一途をたどっており、料金値上げも避けられなくなった。他にも人件費に割く予算も減少したため慢性的な人手不足が発生し、窓口の営業時間を短縮せざるを得なくなった。民営化前までは24時間営業していた単独マネジメント局の「ゆうゆう窓口」も今では19時で早々と終了する局がほとんどである。
 こうした状況を見ると、民営化時に懸念されていた事柄がすべて事実になってしまったと言わざるを得ない。民営化が果たして国民の利益になったのか、ただ不便になっただけなのかは様々な観点から検証が必要であろう。すべてが民営化に起因するとも限らないが、民営化以降に郵便局数が減少し、多岐にわたるサービスも低下したとなれば、どうみても民営化による利点が大きかったとは言い難い。
 現在では郵便局がかつて国営だった認識が社会にまだ残っているため、民営化前と民営化後を比較して郵便局の利便性を議論することもできるし、改善することもできる。しかし、今から20~30年経った頃には、ほとんどの人は郵便局がかつて国で運営されていたことすら知らなくなっているだろう。
 そうなれば郵便局は民間企業のひとつとしてしか認識されず、不採算部門は切り捨てられていくことになる恐れがある。ユニバーサルサービスの義務もなくなっているかもしれない。つまりは時代とともに国民の利便性から遠ざかっていくことになる。そう考えると利用者目線で見た場合、郵政解散まで断行して小泉政権が行った郵政民営化は本当に必要だったのか、その意味が年とともに薄れていく思いがする。そして郵便局数の減少がそれを象徴しているように思う。(有希聡佳)

2025年03月17日 第7292号

不景気対策~江戸時代と現代

 江戸時代が約260年続いたのは多くの方々がご存じだろうと思う。しかし、ほとんどの人が江戸時代は最初と最後しかイメージにないのではないだろうか。つまり、関ケ原の戦いを経て徳川家康が政権を握った頃と、ペリー来航以降の幕末動乱期である。
 その間に挟まれた江戸中期についてはあまりイメージがない。なぜなら江戸中期は太平な世が続き、特に大きな争いごともなかったため印象が薄いからである。しかし、人が殺し合うこととは別に、もう一つの戦いがこの江戸中期にはあった。
 それは財政上の不景気対策という戦いである。この時代はちょうど米と貨幣が流通手段として並行した時代であり、混乱が生じやすい時代であった。そして、幕府財政がひっ迫し、国家運営に四苦八苦した時代でもある。武士や庶民も普段の生活の中で起きる不平不満をあからさまに口にするようになった。
 武士や大名は石高制のため、米の価値が下がると自動的に自分たちの禄の価値も下がる。米が豊作で供給過多になり米相場が半分に下がると、1万石の大名も実質5千石になってしまう。庶民は物価高や年貢の多さに苦しめられ、その都度幕府はその対応に追われた。
 実際、江戸時代にはいくつか大きな改革が行われた。一つは8代将軍徳川吉宗による「享保の改革」である。吉宗はとにかくなりふり構わず富を幕府に集中させることを考えた。庶民には倹約をきつく求め、年貢を厳しく取り立ててまずは幕府が財政的に潤い、庶民の生活改善はその次にしようとした。
 つまりは「幕府ファースト」であり、この姿勢に庶民からは反感の嵐となった。結局、彼の改革はうまくいかずに失脚し、次に大ナタをふるったのは10代将軍徳川家治の側用人、田沼意次だった。田沼改革とも称され、彼は裕福な商人や、その連合体である「株仲間」から多額の税を取ろうとした。今でいう高い法人税の徴収である。
 現代でも国民は「税金はお金のある所から取ってくれ」との思いがあるが、田沼はまさにそれを実践した。「取れるところから取る」考えは現代でも納得できる税金徴収の手法であり、そこに文句を言う人は少ない。また、蝦夷地(北海道)や印旛沼を開拓して広大な土地を耕せるようにした。貿易ではあわびやナマコ、ふかひれなど「俵物」と呼ばれる特産物を外国あてに売って利益を得、幕府財政を立て直した。
 田沼時代は賄賂がはびこったというブラックなイメージが強いが、裏を返せば賄賂を贈るだけの財があるのなら、それは受け取り、多少その見返りをしてやるのは至極合理的な考えでもあるとも言える。現代でも企業に寄付をすれば何かしらのクーポン券をもらえるし、株主になれば優待割引券がもらえる。
 江戸時代を通じて最も合理的かつ特効薬的な改革をしたのは田沼ではないかとも思う。この田沼時代の後には松平定信による「寛政の改革」、水野忠邦による「天保の改革」なども行われたが、そのいずれもが極端な倹約を庶民に求め、決して評判のいいものではなかったし、庶民を苦しめただけで成功もしなかった。
 こうした江戸時代の財政難対策は現代にも通じるものがある。今でも国家財政が窮すると政府はまず税金を上げることを考える。そして逆に年金や社会保障などの支出を削減しようとする。財政を立て直すには「支出を減らして収入を増やす」というシンプルな方法しかないのは、今も昔も同じではあるが、それが行き過ぎると社会全体に閉塞感が蔓延し、国民はさらに消費を控えてしまう。
 江戸時代は政権自ら庶民に倹約を命じたが、現代は言われなくても国民は節約せざるを得ない。年貢が増えたのと同じように消費税は増えていく。ある政党が減税を求めると、「国家財政が窮するから消費税減税はしない」と、幕府ファーストならぬ政府ファーストの答弁をする。これでは江戸時代中期となんら変わらずなんの進歩もない。せめて田沼意次のような大胆な大ナタを振るう政治家が現れてくれるのを期待するのは私だけだろうか。(有希聡佳)

2025年03月10日 第7291号

たまには古いものを紐解いてみよう

 本紙が発行される3月10日は「サボテンの日」。岐阜県瑞穂市で大規模なサボテン園を経営する、株式会社岐孝園によって制定された。
 3月10日にしたのは、「サ(3)ボテン(10)」という語呂合わせから。また、サボテンは3月に花を咲かせることも由来となっている。サボテンに関する情報を発信することで、サボテンの特徴や魅力を多くの人に知ってもらうことを目的に制定されたという。
 サボテンで思い出される歌が2つある。1つは、小学校の頃に音楽の授業で歌った「赤い河の谷間」という歌。アメリカ民謡で小林幹治の訳詞(他にも阪田寛夫版や早川義郎版などの訳詞がある)。英語の原題は「RedRiver Valley」。
 小林氏の訳詞で「昼なお暗い森よ」という一節が出てくる。小学校での音楽の授業で歌を歌う場合、覚えるまでは歌詞を見るが、歌詞だけを見るよりは、メロディーラインの楽譜が書かれていて、その下に書かれている歌詞を見ることが多かった。その楽譜の下に書かれた歌詞は漢字ではなく平仮名だった。
 メロディーラインとの兼ね合いで、平仮名で書くと「ひるなーおくらーいもりよー」となる。当時、小学生だった自分は、この平仮名だけを辿り、「ひるな」「おくら」「いもりよ」という風に頭の中に入ってきた。「おくら」・・・食べ物のオクラ?「いもりよ」・・・両生類のイモリ?「ひるな」・・・はて?「ひるな」って何ぞや?といった感じくらいにしか捉えていなかった。その後、長い年月を経て、大人になってからふと思い出して歌詞を改めて見て、昼間でも暗い森を表現した一節であることを理解した。
 もう1つの歌は「サボテンの花」。1975(昭和50)年2月5日に発売されたバンド「チューリップ」の通算8枚目となるシングル曲。作詞・作曲は財津和夫さん、編曲はチューリップ。オリコンチャート最高19位を記録している。
 それから年月が流れて、大ヒットしたフジテレビ系ドラマ「ひとつ屋根の下」の主題歌として、財津和夫さんのソロシングル「サボテンの花~ひとつ屋根の下より~」として1993(平成5)年4月28日にリリースされた。ドラマの人気も相まって、60万枚以上の売上げを記録するヒットソングとなった。
 楽曲とドラマとのタイアップはこの頃、音楽業界においては定番と言っていいくらいになっていた。今、ひいてはこれからブレイクしていくような歌手の楽曲を主題歌とすることも選択肢としてあったと思う。しかし、「ひとつ屋根の下」の脚本を手掛けた野島伸司さんは、「サボテンの花」の歌詞の内容や楽曲のイメージがドラマのテーマに沿ったものであるとして、強くこだわった。
 1975年から1993年、実に18年もの年月が流れている。最初にヒットした1975年の時点では、18年後に再びヒットするとは当時誰も思わなかっただろう。本来、この「サボテンの花」は共に暮らす恋人との別れを描いた楽曲だが、それが、歌詞の内容と関係なくても、いくつもの点でドラマのシーンとリンクしているのは見事だなと思った。
 ヒットしたもの、ブームになったものは時代とともに熱も冷めていく。大人の事情で静かに消えていくものもある。過去のものは過去のものとして位置付けたままにしてしまわず、それを現代のものと組み合わせてみると、新たな息吹がもたらされることもある。
 ふとした時にでも、古いものを紐解いてみると案外、今の、ひいてはこれからの時代に使えそうなものもあるかもしれない。そうした見抜ける力が自分にあったらな、と思っている今日この頃だ。(九夏三伏)

2025年03月03日 第7290号

日本相撲協会100周年と日本郵便

 まもなく春の訪れを告げる大相撲春場所が始まるが、今年は大相撲の記念行事が目白押しだ。日本相撲協会が財団法人100周年を迎えたからだ。
 相撲博物館では4月17日まで「優勝力士~大相撲この100年」が開催されており、優勝力士に手渡される賜盃(模盃)や優勝額、化粧廻しなど、優勝力士を物語る貴重な資料が並んでいる。両国国技館2階正面側通路には、100年史年表が掲示されている。
 大阪・関西万博に合わせ、8月3日には「大相撲万博場所」が、翌4日には「SUMO EXPO 2025」が開催される。10月にはロンドン公演が行われる。
 さらに来年6月にはパリでの公演が予定されている。パリで初めて公演が行われたのは、ジャック・シラク氏がパリ市長を務めていた1986年だ。そして、シラク氏がフランス大統領に就任した1995年に再びパリ公演が行われている。シラク氏は大の相撲ファンで、シラク政権時代、在日フランス大使館の仕事の一つは、毎日の取組結果を大統領に知らせることだった。
 訪日外国人旅行者が拡大する中で、大相撲に対する海外からの関心も高まっている。日本橋にある荒汐部屋は大きな窓から朝稽古を見学できるようになっており、多くの観光客が訪れるという。
 いまや相撲は観光資源として注目されているわけだが、「国技」として継承されてきた相撲の継承発展は日本の伝統文化を守るという点でも重要だろう。横綱土俵入りや塩撒き、四股踏みといった所作は神事に由来し、11代垂仁天皇の時代に出雲国の野見宿禰(のみのすくね)と大和国の当麻蹶速(たぎまのけはや)が対決したのが、その起源とされる。
 郵政省時代から、日本郵便は相撲の継承発展を後押ししてきた。郵政省は1978(昭和53)年7月から1979年3月にかけて、特殊切手「相撲絵シリーズ」を5回にわたって発行している。相撲博物館に保存されている約3700点の絵の中から数十点を選んだうえで、郵政審議会専門委員、東京国立博物館の菊地貞夫氏、相撲博物館長の市川国一氏の意見を参考に図柄を決定したという(本誌1978年3月29日号)。
 第1集の題材となったのは、三代歌川豊国の錦絵「横綱・秀ノ山雷五郎の土俵入りの図」などだ。江戸時代の力士・秀ノ山雷五郎は、身長164センチ、体重158キロという「小兵力士」のハンデを、不屈の精神で克服し、38歳で横綱まで上り詰めた。
 「相撲絵シリーズ」からおよそ40年を経て、2020年5月には大相撲を題材とした特殊切手「日本の伝統・文化シリーズ」の第3集が発行されている。63円切手は、「寄り切り」「上手投げ」などの決まり手や、横綱土俵入りの型「雲竜」「不知火」のイラスト。84円は、「相撲絵シリーズ」同様に相撲を描いた錦絵を題材としており、「秀ノ山雷五郎の土俵入りの図」が再登場した。
 明治時代に途絶した錦絵を蘇らせたのが、昭和の横綱大鵬と同じ北海道弟子屈町出身の木下大門さんだ。弟子屈郵便局は2020年から木下さんの相撲錦絵展を開催してきた。
 一方、日本郵便とJPビルマネジメントは2015年から2019年まで、東京・丸の内のJPタワー商業施設「KITTE」で、相撲の魅力が体感できるイベント「はっきよいKITTE」を開催してきた。1階アトリウムの吹き抜け空間には、本物の土俵が設置された。例えば、2019年8月の「大相撲KITTE場所」では、炎鵬と遠藤によるトークショー、横綱の綱締めや幕内・横綱の土俵入り、幕内力士による取組が行われた。また、相撲の禁じ手を面白おかしく紹介する初切も披露された。
 コロナの影響で、2020年以降、「はっきよいKITTE」は開かれていないが、昨年11月には関東地方郵便局長協会と川崎区内の郵便局が「川崎区内郵便局長杯親善相撲大会」を開催している。
 日本郵便は、読売新聞グループ本社と「伝統文化の振興にかかわるプロジェクト」に関する連携協定を2023年8月に締結している。伝統文化振興の一環として、日本郵便が相撲の継承発展に貢献することを期待したい。(酒呑童子)

2025年02月17日 第7288・7289合併号

成功した企業が辿った道

 アメリカの南北戦争が終わった19世紀末頃のペンシルバニア州に、ハインツという男がいた。彼は物事を創意工夫して新しいものを作ることに人一倍関心があった。当時のアメリカは戦争が終わったばかりで不景気で、特に食料事情も悪かった。
 そのため半ば腐った肉や魚が市場に出回り、購入する側もそれを承知で購入している状態だった。当然味もひどいので、庶民は不味さをごまかすために、有害物質まで含んでいる怪しげな調味料をかけて食べていた。
 そんな中、なんとか食べ物をおいしく安全に食べることができないかと考えたハインツは、自宅の台所を改良して実験室とし、さまざまな食材を調合して調味料を作り始めた。
 いろいろな香辛料にたまねぎや砂糖、塩、酢などを混ぜ込んでペースト状にし、口当たりが滑らかでのど越しもよく、しかもおいしいものを追求した。人間の口は特に甘いものを美味いと感じる特徴がある。しかしあまり砂糖を入れてしまうと健康によくないため、それに代わるものを探した。
 なかなかいい食材が見つからなかったが、ある時試しにトマトを入れてみたところ、トマトの酸味と甘みがちょうど良く、何度も味見をした結果、ついに完成にこぎつけた。「トマトケチャップ」の誕生である。
 このケチャップは爆発的に受け入れられ、自分の名前を冠した会社「ハインツ社」を設立して本格営業に乗り出した。現在では年間10億本以上の売り上げを誇り、トマトケチャップのシェアは世界一である。
 ところがハインツ社が順調に成長した理由は製品の味だけではなかった。ハインツは、どうすれば自社製品の信頼性を消費者に伝えられるかを考えた。当時は品質の劣る食品が出回っていたため、ほとんどの製品は中が見えないように色付きのガラスや陶器に入れた状態で販売されていた。
 そこでハインツは透明なガラスにケチャップを入れて、堂々と自社製品の新鮮度をアピールした。また、どうすれば従業員に気持ちよく働いてもらえるかを考え、工場に当時まだ普及し始めたばかりの電球を使うことにした。
 この時代の電球はまだ安全性に問題があり、たびたびショートするうえに、人がスイッチをひねった瞬間に感電することもあった。大統領さえ電球のスイッチを入れるのを嫌がったという逸話もあるほどである。
 しかし、ハインツは工場内をすべて電球にすることで作業場を煌々と明るくし、従業員が長時間の作業でも疲れないようにした。また明るくすることで従業員の気持ちも高揚し、作業効率も上がった。他にも様々な工夫を重ね、消費者の信頼と従業員の意欲を高いレベルに維持することに成功した。
 まさに商品の品質と消費者の購買意欲と従業員のモチベーションの3つをうまくかみ合わせた末の成功である。こうしたハインツの「ごまかさない」誠実な姿勢が会社を一大企業に押し上げる原動力になった。
 こうしてみると、会社の成功というのは単に製品が優れているだけでは難しいことが分かる。その優れた部分を消費者に伝える方法や、従業員の勤労意欲向上など、別の様々な要素が必要になる。また、いつまでも同じ製品にしがみつくわけにもいかず、改良を加えて新商品も出さなければならない。ライバル会社が現れていつ競争状態になるかも分からない。
 こうしたいくつものプラスアルファのハードルを乗り越えた先に会社としての成功があり、ハインツを初めとする成功者たちは、一様にこの工夫を繰り返してきた。同時代にスタートしたコカ・コーラ、ケロッグ、ケンタッキー・フライド・チキンなどなどである。
 現在の日本でもハインツのトマトケチャップは多くの家庭の食卓に上がっている。ただ日本の文化や伝統からしても、まだまだ調味料といえば醤油やソースが主流である。ケチャップを使う料理はそう多くない。冷蔵庫の中でも隅に追いやられているのが現状のようだ。ナポリタンやオムライスが好きな筆者としては、ケチャップがもう少し食卓の中心に来るよう願っている。(有希聡佳)

2025年02月10日 第7287号

傷ついた人をもっと大切に

 世間をにぎわせているフジテレビ問題。説明責任を求める声の高まりを受け、1月17日に開かれた会見は「記者クラブ加盟社だけが参加できる」「動画撮影は許可しない」などの形で行われ、大いに批判を浴びた。
 その後、1月27日に再度会見が行われ、午後4時から始まった会見は日付をまたぎ、10時間24分にも及ぶ異例の長時間会見となった。
 一連の報道をめぐり、フジテレビの番組では次々とスポンサーが離れ、本来放送予定だった企業CMに代わって、ACジャパンのCMが放送されている。
 ACジャパンのCMは、放送予定だったCM枠に空きが生じた場合などに放送される。有事の際や、企業が不祥事を起こした場合や事件・事故などによる場合があるが、今回は各スポンサーが自社の企業イメージ等を勘案し、CM放送の自粛、差し替えとなっている。
 現在、主に放送されているACジャパンのCMは、脈を日常的に測ることを推奨するお笑い芸人・なかやまきんに君出演の「なかやま、検脈!」(日本心臓財団)、タレント・ゆうちゃみさんが防災グッズを啓発する「ゆうちゃみの3日ぶん」、こども食堂は誰でも来ていいみんなの居場所というメッセージを伝える俳優・松重豊さん出演の「こども食堂は、あなた食堂。」(全国こども食堂支援センター・むすびえ)、耳の聞こえにくさを感じたら聴力検査受診を呼びかける歌手・近藤真彦さん出演の「往年のアイドル」(日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会)、SNSの噂を鵜呑みにすることに警鐘を鳴らす俳優・嶋田久作さん出演の「決めつけ刑事(デカ)」のほか、新海誠監督の映画「すずめの戸締まり」の主人公で、震災で親を亡くした高校生・すずめが登場する「がんばれ、全国のすずめたち」(あしなが育英会)、目の病気の一歩手前「アイフレイル」を啓発する「アイフレイルの歌」(日本眼科医会)など。
 この中でも「決めつけ刑事」は、SNS等で誰が発信したか分からない不確かな情報が拡散し、何の罪も無い人が傷ついてしまう、そうしたことに警鐘を鳴らしている内容となっている。
 SNSの普及とともに、ネット上の誹謗中傷も問題となっている。人を傷つける、信じられないような酷い内容の書き込みが多く散見されるようになった。
 人間には外言と内言がある。外言は、外に向かって発する、他人との相互交渉のための機能を持つ音声化した言葉。内言は、思考の用具としての機能を持つ、発生を伴わない自分の心の中で用いる言葉。昔も誹謗中傷や名誉棄損はあったと思うが、内言と外言はそれなりにうまく棲み分けができていたように思う。
 本来の心理学上の定義とはそれてしまうかもしれないのでご容赦願いたいが、私はネットへの書き込みは、本来的には内言に分類されるものだと思う。しかし、それが外言となって牙をむき、そして人を傷つけてしまっている。
 何を言われても動じない強い人もいれば、ちょっとしたことで傷つく繊細な人もいる。中には「ネットの書き込みなんて見なければいい」なんて言う人もいる。防衛機制によって自らを守ることも大切だ。しかし、何よりも無神経に他人を傷つけてしまう、傷つけていることに気付いていない、こうした存在こそ厳しく罰せられるべきだ。
 「傷つき傷つけ 傷つけそして傷ついて 残ったものはほんの少しの優越感と 計り知れない虚しさだけ」若い頃に書いた自作の歌詞の一部だが、我ながらそうだと思う。
 いっそここはひとつ、日本郵政グループに、ぽすくまが「優しさ」「思いやり」を呼びかけるようなTVCMを作って放送してほしい。 (九夏三伏)

2025年02月03日 第7286号

トランプ政権で高まる米国の郵政民営化論

 トランプ氏は、大統領に就任した1月20日、「政府効率化省(DOGE)」を設置する大統領令に署名した。実業家のイーロン・マスク氏が率いるDOGEは、連邦機関の全廃や連邦政府職員の4分の3削減などの目標を掲げている。こうした中で、いまトランプ政権が検討しているのがUSPS(米国郵便公社)の民営化だ。
 USPS民営化は、第一次トランプ政権でも検討されたが、議会の強い反対で見送った経緯がある。
 アメリカの郵便制度は、イギリスからの独立を宣言する準備をしていた1775年7月に、ベンジャミン・フランクリンの指導のもとで創設された。以来、政府直轄事業として運営されていたが、赤字傾向が強まる中で、1971年に独立行政機関としてUSPSが誕生した。それから30年間ほどは抜本的な改革は行われなかったが、2000年にUSPSは赤字に転落、ジョージ・ブッシュ(子)政権時代の2001年6月、連邦議会はUSPSの構造改革に関する答申案をUSPSに命じた。
 2002年4月、USPSのジャック・ポッター長官は改革プランの大網を公表し、①政府機関②民営化された会社③商業的官業という3つの選択肢のうち、③が最も相応しいという結論に達したと述べた。
 同年12月に「USPSに関する大統領委員会」が設置されたが、2003年7月に公表された委員会勧告は「政府機関」としての維持を選択したのである(星野興爾『世界の郵便改革』)。
 「政府機関」としての維持を決めたアメリカが、年次改革要望書で我が国に郵政民営化を求め、2005年に郵政民営化法が成立したのは皮肉な結果だ。
 アメリカでは2006年12月の郵便改革法で退職者医療給付基金(PSRHBF)への納付が義務化された。これによってUSPSは毎年約55億ドルの拠出を余儀なくされ、財政を圧迫することとなった。PSRHBFへの納付義務は2022年3月に成立した郵便改革法で廃止された。ただし、同法はUSPSが行っている週6日配送の維持を義務づけた。
 この間、第一次トランプ政権末期の2020年6月、物流・貨物会社ニューブリード・ロジスティクスの創業者で、共和党へ巨額の資金援助をしてきたルイス・デジョイ氏がUSPS長官に就任している。デジョイ長官は2021年3月に10か年計画「アメリカのための配達」を発表し、USPSの財政安定化の方策として郵便料金の値上げ、ネットワークの効率化、一部の郵便局の営業時間短縮などを打ち出した。これに対して、民主党上院議員団は昨年4月、デジョイ長官の計画がサービスの低下、料金の上昇などを招いたと批判し、計画の全面中止を求めた。一方、「郵便局を救え連合」などは、デジョイ長官の計画のもとで多数の郵便局が閉鎖されることを警戒している。
 しかし、USPSの昨年度の純損失は95億ドルに達しており、デジョイ長官は週6日の集配日数を週5日に削減することを認めるよう求めている。アメリカでも日本と同様にネットの普及で郵便物数が減少しているが、ユニバーサルサービス維持については超党派の支持がある。
 こうした中で、昨年12月14日に『ワシントン・ポスト』が「トランプ大統領、USPS民営化を再び検討中」と報じて以来、議論が活発になっている。同紙が「民営化は消費者向け配送と企業のサプライチェーンを揺るがし、何十万人もの連邦職員を政府から追い出す可能性がある」と警告すると、同日、民主党全国委員会の緊急対応責任者アレックス・フロイド氏は次のような声明を発表した。
 「数え切れないほど多くの家族、特にアメリカの田舎の家族が、これまで以上にUSPSに頼っているこの時期に、全国のコミュニティのライフラインを骨抜きにする、現実離れした共和党の計画を誰も望んでいない」「USPSは我が国の経済、医療、国家安全保障の『基礎』であり、トランプ大統領の提案により、数え切れないほどのアメリカ人が重要な資源にアクセスできなくなる可能性がある」
 USPS民営化の議論を注視したい。 (酒呑童子)

2025年01月27日 第7285号

長く続くために様々なアイデアを

 毎年のように、良い意味でも悪い意味でも話題となっているNHK紅白歌合戦。1951年から始まり、1989年からは2部構成で放送されている。
 昨年大晦日の第75回NHK紅白歌合戦の視聴率が先日、発表された。第1部は前年と同じ29.0%で、第2部は前年と比べて0.8ポイントアップの32.7%となった(ビデオリサーチ調べ)。
 これまでに記録した最高視聴率は、1963年の81.4%と、今では考えられない数字だ。その後70~80%を推移する時代が続くが、1980年代半ばになると50%台に下がり、2000年代に入ると50%を割り込むようになる。その後は微増・微減を繰り返しながら、トータルで30%台前半まで下がってきている。
 昔のように演歌、アイドル、歌謡曲だけでなく、時代とともにいろいろな歌手、バンド、ユニット等が世に出てきて、歌やパフォーマンスもジャンルが広がり進化している。そして、いわゆる民放各局の裏番組も充実し、年末特番をあえて紅白歌合戦と同じ時間帯にぶつけてくるケースも増えてきた。
 また、大晦日の過ごし方も人それぞれで、カウントダウンライブに行く人や、旅行に行く人、恋人や友人と年越しの瞬間を味わう人もいるなど多様化し、大晦日の夜にテレビを見ている人の数も昔ほど多くはなくなっている。そうしたこともあり、紅白歌合戦の視聴率は年々下がっていると思う。
 制作サイドもさすがに毎年同じような番組内容では段々通用しなくなることは当然分かっているのだろう。ただ紅組、白組と歌手が歌うだけでなく、企画コーナーを途中に設けたりしている。近年では紅組、白組という枠にとらわれず、大物アーティストがサプライズ出演する特別枠も設けられている。
 昨年大みそかの紅白歌合戦では、B'zがサプライズ出演。その出演方法も、事前収録と思わせる「イルミネーション」の1曲だけでなく、その演奏後にNHKホールのステージに移動し、大ヒット曲「LOVE PHANTOM」と「ultrasoul」を熱唱し、会場はライブステージと化したかのように盛り上がり、大きな反響を呼んだ。
 特別枠以外にも、THE ALFEEが1983年以来41年ぶりに出場し、「星空のディスタンス」を披露。南こうせつさんが「神田川」を、イルカさんが「なごり雪」を歌唱。こうせつさんは「かぐや姫」として、神田川がヒットした1973年、紅白出場は確実と見られていたが、歌詞の中に「クレパス」という言葉があり、これは商品名であったことから、当時のNHKからクレパスを「クレヨン」に変えて歌唱してほしいという要請を受けた。しかし、これを受け入れずに出場を辞退した。
 その後、1992年に紅白に出場した時に「神田川」を、歌詞を変えずに歌唱。そして今回も、歌詞を変えずに歌った。イルカさんも今回、1992年以来32年ぶりの出場となった。
 若い人に向けた番組作りを意識しながらも、中年層、高年層も楽しめる紅白だったかな、というのが今回の紅白の率直な感想だ。かつてのように、その年に流行った歌を中心に構成するだけでなく、特別枠しかり、時代とともに多くの意見に耳を傾け、様々なアイデアを出しながら毎年、番組を製作していると思う。
 視聴率という数字だけで判断してしまうと、いつかは終わりが来るということになってしまう。数字の上では下がろうとも、長く続いてきているものをこの先も引き続き守っていくためにも、より多角的にニーズをリサーチするなどして知恵を出し合い、続けていってほしい。年賀状文化もまたしかり。(九夏三伏) 

2025年01月20日 第7284号

取り戻したい年賀状の精神的価値

 元旦に配達された全国の年賀郵便物は4億9100万通で、対前年比66.0%となった。発行枚数は10億7000万枚で、ピークだった2004年用の約4分の1に減少している。
 Job総研が昨年実施した調査では、「年賀状を送らない」と答えた人は69.1%に上っている。若い世代ほど「送らない」人の割合は高く、20代が77.7%、30代が68.6%、40代が63.5%、50代が53.2%。
 年賀状離れの最大の理由はSNSの普及だろう。株式会社ディライトが昨年行った調査では、年賀状を出さなくなった理由として「手間の軽減(43.2%)」と回答した人が最も多く、次いで「メールやSNSなど電子的な手段で十分(42.7%)」との回答が多かった。
 負担の軽減や人間関係の整理といった理由から高齢者を中心に「年賀状じまい」が広がったことや、はがきが値上がりしたことも年賀状離れに拍車をかけているようだ。
 企業もまた、「虚礼廃止」の掛け声のもと、お中元・お歳暮とともに年賀状を廃止する方向に進んでいる。しかし、「意味のない儀礼」「形骸化した儀礼」は不要と考える前に、儀礼を意味のあるものとして維持する努力はされてきたのだろうか。日本社会全体が、コスト削減・効率化だけを重視し、文化的価値、精神的価値を軽視する方向に進んでいるようにも感じる。
 村上誠一郎総務大臣が年賀郵便元旦配達出発式で「ぬくもりを感じられる年賀状は日本の文化でもある」と述べた通り、年賀状は日本の文化であり、日本人の精神性そのものなのではなかろうか。
 年始のあいさつを手紙で交わす習慣は、平安時代後期以来1000年にわたって継承されてきた。年賀状は1873(明治6)年に郵便葉書制度が導入されてから本格化した。明治時代中頃になると年賀状が急増し、郵便では押印係が元日から不眠不休で消印作業を行い、日付印軸を握る手の平はマメで膨れ上がったともいう。
 GHQ占領期には日本的伝統が批判されがちだったが、その時期にも日本人の年賀状への愛着は強かった。1949(昭和24)年には、お年玉付き郵便はがきが発行され、翌1950年12月25日の『読売新聞』夕刊は、「門松と年賀状をどう思うか」をテーマにした投稿を紹介し、「投稿の8割強までが美しい伝統の行事として存続すべしと主張」と書いた。
 郵政省(当時)が「全日本年賀状版画コンクール」を開始したのは、翌1951年のことだった。以来、コンクールは74年間にわたり「手書きの良さ」「手づくりの良さ」に親しむことを目的として、日本郵便主催の全日本年賀状大賞コンクールとして続いている。
 年賀状復活のためには、お正月という日本古来の行事自体を盛り上げる(本誌2024年10月14日号、1面)とともに、年賀状の文化的価値、精神的価値を取り戻す必要があるのではないか。
 SNSによる新年のあいさつは、効率はいいが、画一的になりがちだ。これに対して手書きの文字には個性が表れ、そこに人間味と温もりが感じられる。文字を書くことは単なる情報伝達以上の意味を持つ。新年を迎え、相手を思い浮かべながら言葉を選び、気持ちを込めてペンを走らせること自体に重要な価値があるのではないか。
 年末に一冊の本と出合った。東洋ベアリング販売副社長などを務めた橋爪金吉氏が著わした『私と年賀状』(1981年)だ。同書は年賀状の歴史について詳しく記すだけではなく、著者が心惹かれた年賀状を何枚も紹介している。敬虔な気持ちで年賀状を一枚一枚肉筆で書いた、東大寺別当の清水公照氏を例に挙げて次のように述べている。
 「今は昔、賀状をかくのには、硯箱をとりよせて端渓の硯石に初水を注いで静に墨をすり、筆を執って沈思黙考、座机に向ってしばらくは師を思い、友を慕い、自らを省みる。その後に一筆に一字というように間をとりながら、呼吸を整えて年賀状をかいたのである」
 筆者自身に対する戒めの言葉としたい。(酒呑童子)

2024年12月23日 第7280・7281合併号

「絶対」と「相対」について

 世の中には「絶対」という言葉と「相対」という言葉がある。その違いは周辺の環境が変化してもその事象は変化しないのが絶対であり、周辺次第で変化するのが相対である。
 そこで不思議に思うのは、例えば走っている電車の中でボールを上に1㍍投げた場合、ボールは手元に戻ってくるまでにどれほど移動したことになるのだろうか。これは電車の中で投げた人からすれば、ボールは単に上下の直線運動をしただけだから2㍍動いたことになる。
 ところがそれを駅のホームに立っている人が見るとボールは放物線を描いて曲線運動となる。したがって明らかに2㍍より長い距離をボールが移動したことになる。電車が早く走れば走るほど放物線は長くなり、ボールが移動した距離も長くなる。
 例えば時速300㌔で走っている新幹線の中で同じ実験をした場合、新幹線の中では相変わらず2㍍しか動いてないのに、外からみれば一瞬のうちに何十㍍も移動したように見える。ボールが同じ運動をしても、移動距離が2㍍だったり数十㍍だったりするが、この場合、実際にボールが移動した距離はどちらが正しいのだろうか。
 結論から言うと、これはどちらも正しい。物が移動した距離というのはあくまで相対的なものであり、周りとの状況次第で変化する。したがって電車の中では2㍍動いたことになり、外からみればそれ以上の距離が実際に移動した距離になる。つまり相対と絶対が組み合わさってできているのがこの世の中の仕組みであり構造である。
 これは物理学上の話だが、言い換えれば私たちが生活しているこの世のすべてがこの相対と絶対の組み合わせでできているといっても過言ではない。全く同じ事象を見ても、見る角度や考え方次第で解釈が変わることもあれば、人間関係が壊れることもある。
 コップに水が半分残っていて、それを「まだ半分ある」と考える人もいれば「もう半分しかない」と考える人もいる。前者は喉が乾いていない人の発想であり、後者は喉が渇いている人の発想である。また、同じことを言われても、それを言った相手によって自分の心に傷がつく場合もあれば、冗談と受け止めて何とも思わない場合もある。
 いずれにしても私たちは判断する時には必ず何かを基準にして判断しており、言ってみれば私たちは相対で判断し、自分にとっての絶対を導いているのだと思う。先のボールの例に戻るなら、電車の中にいた人にとっては2㍍が絶対であり、それを外から見ていた人はそれ以上の距離が絶対である。そして彼らはお互いに相対である。
 こうして考えてみると、もしかしたら人間の幸・不幸も同様と言えるのかもしれない。人は自分が幸福なのか不幸なのか、自分自身を見ていただけでは判断がつかない。誰かと比較して初めて実感するのだろう。自分より不幸だと思える人を見れば「自分は幸福」と感じるだろうし、自分よりハッピーな人を見れば羨ましく思い、「自分は不幸だ」と嘆く。そこには絶対的な評価基準がない。
 自分自身で思っている幸福の度合いは、他の人から見たら必ずしもその通りではないのかもしれない。その逆もしかりで、「あの人はお金持ちで幸福だ」と思っても、本人はそうは感じていない可能性もある。お金があっても健康に不安があるかもしれない。お金もあり健康でも家族関係に問題があるかもしれない。莫大な資産を持っていても、それがあだになって相続問題に巻き込まれ、親族間で泥沼の争いになっているかもしれない。それは傍目には分からない。
 はたして自分は幸福なのか不幸なのか、時折わが身を振り返って自分の中に「絶対の幸せ」があるのかどうか考えてみるのもいいかもしれない。今年も早くも師走、来年も皆さまにとって幸多かりしことを祈ります。(有希聡佳)

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